板戸に棒を突っ張って、部屋の中に風を通す。
連日天気が良く、もう時期梅雨がやってくるなんて信じられない。
そんな今日は、発熱した日の朝とは違って早過ぎず遅過ぎもしない、完璧な程に適度な時間での目覚めだった。
立花くんの打診のおかげか、昨日の昼と夜は薬草を飲みやすく煎じた茶を、薬の代わりに頂く事となった。
疲れを取る効果がありますよ、と湯呑みを差し出した伊作くんの微笑みに、思わず手を握ってお礼をしてしまったのは記憶から消したい所である。
それ程までに嬉しかったのは、紛れもない事実ではあるけど。
その茶の効果もあるのか、かなり体が軽く、今なら何でもできる気がしている。
休んだ分を取り返すためにも、今日は目一杯頑張らないと。
おばちゃんの作る美味しい朝ご飯をしっかり食べて、やる気に満ち溢れた足を踏み出すと、その思いを引き留めるように肩に誰かの手が乗った。
「熱はもう大丈夫ですか?」
「小松田さん、おはようございます。昨日は申し訳ありませんでした。すっかり元気になりましたので、また今日からご指導よろしくお願いいたします」
「それがヘムヘムから伝言で、仕事前に学園長先生の庵に顔を出してほしいとの事です」
小松田さんの一言に、額に嫌な汗が浮かぶ。
お呼び出し?まさか、たった二日働いただけで倒れるなどとお叱りを受け、首を切られるのではと嫌な想像が膨らんでいく。
庵へ向かう足取りは重く、道中すれ違い様に挨拶を交わした子供たちに、ちゃんと笑顔を見せられていたかは自信がない。
庵の外を掃除していたヘムヘムが私の姿を見つけるなり、学園長先生を呼びに行ったのか障子の向こうへ消えていった。
閉められていた戸が全開にされ、部屋の中が丸見えとなる。
ここへ訪れるのは三度目なのに、前回までとは気持ちが全く違う。
心臓が煩く音を立てるのを、なるべくゆっくり息を吸って鎮めた。
「おはようございます、みょうじです。お呼びでしょうか」
縁側に正座し、声を待つ。
微笑みながら手招かれ、入室の許可に恐る恐る庵の敷居を跨ぐ。
学園長先生は柔らかな微笑みを崩さぬまま、流れるように茶を点て始めた。
困惑よりも何故ここに呼ばれたのか、理由が気になって頭の中はそれどころではない。
目の前に置かれた茶碗にいただいても良いものなのか、と茶碗と学園長先生を交互に見る。
言葉は無くただ頷かれてしまい、ようやく私の顔は困惑した気持ちを表に出して、頂戴いたします、と茶碗を手に取った。
作法に則って飲み干し、飲み口を手で拭って元に戻す。
ただ茶を飲ませたかっただけ、なんて事はあり得ない。
募る不安に、早く私をこの思いから解放してほしい気持ちでいっぱいだ。
「昨日は、私の体調管理不足にて早速のご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした。休息の時間を頂けました事、お礼申し上げます」
耐えられなくなった私は、まず昨日の事を頭を下げて謝罪した。
「新野先生の薬はよく効く。早く治ってよかったわい。お主とて数ヶ月の疲れの蓄積があったのだろう?すぐに治療のできるここで限界を迎えられたのはラッキーじゃったのお」
数ヶ月の疲れの蓄積。
私は、学園長先生にその話をしていない。
ということは、土井先生から聞いているのだろうか?
そういえば、雇用契約を交わした際に私が働く先を探していた理由を、しっかりとお話した覚えがない。
あの時は、帰りの時間も迫っており時間がなかった。
「学園長先生は、土井先生からどこまで私について聞いておられるのでしょうか」
「個人の事は許可無く話せないと、さほど聞いておらん。お主が事務の業務に長けていて、ひと月の間に環境が急激に変わったために仕事を探していることだけじゃ」
そんな少ない情報だけで、よく私を雇おうと思ったものだ。
私が雇用主ならば、この時点で採用とはとても言わない。
「ところで」
学園長先生は器用に片目だけを緩やかに閉じ、ニヒルに笑った。
「お主は学園の情報を取りに来た、誰かの遣いかの?」
何を言われたのか分からず、体が固まる。
「なんの、お話でしょうか」
「答えよ」
明るくお茶目な声色は、聞いた事の無い底から響く低いものとなり、背中を嫌な汗が伝う。
背筋も、背中に柱でも突き刺さっているのではと錯覚するほどに真っ直ぐ伸びる。
利吉さんにくのいちに見えるかと自ら尋ねた時とは全く違う状況に、どうしようと考えを巡らせた。
何か誤解されているのか?
それとも、これは試されているのか?
「お仕事のご提案をいただいた際、忍でもない私でもお役に立てますかとお尋ねした事をお覚えでしょうか?残念ながら私は忍者の心得など一つも存じ上げない、只の女にございます。今この状況で先生方始め、上級生の忍たま達に殺意と武器を向けられては、私はなす術もなく死ぬでしょう」
嘘をついている事は一つも無いというのに、激しく鼓動する心臓と、膝に置いた手は震えている。
震えを誤魔化すように強く握り締めた。
爪が食い込んで僅かに痛い。
「何か、不審な行いをしてしまいましたでしょうか?疑いが晴れるのであれば隅々まで調べていただいて構いません。害のあると思われる行動をしてしまったのであれば、今後の学園生活でご迷惑をお掛けしないためにも、ご教授願いたく存じます」
震える手を前に突き、頭を畳に付けた。
もし、今疑われているとするならば、何を以て無罪を証明できるだろう。
持ってきた荷物は、さほど無い。
必要最低限の衣類が大半で、何かが残っているとしたら土井先生のご自宅と、ご近所のお家に点々としてしまっている。
与えられた部屋の収納は一人部屋なのもあり、ほとんど空っぽだ。
裏山を越えてみせろと言われても、私の足じゃ一年生より時間がかかってもおかしくはない。
知識の無い私には、これだけで十分証明できると思っているけど、実際はどうなんだろう。
手裏剣を打てと言われても、的に当てることはできないと思うけれど…もし、偶然当ててしまったら?
「ワッハッハッハ!」
終わりの見えない思考の連鎖を断ち切るように、学園長先生は突如大きく笑った。
何故?という疑問を抱えれど、顔を上げるわけにもいかず、不思議な状況に手の震えが徐々に小さくなるのを押さえつけている額で感じる。
「これの一体どこが間者だというのか。教えてくれんかのお、六年生」