この時間に校舎周りを掃除することになっているらしいなまえさんに、俺たちは手を振るようになっていた。
乱太郎としんべヱと並んで、窓枠に肘をつきながら手を振っていると、なまえさんの手が一瞬振り返すのをやめそうになったのを、俺は見逃さない。
乱太郎としんべヱは、呑気にあれから体調を崩していなさそうで嬉しいね、なんて言っている。
俺がその姿をじっと見つめていると、なまえさんは、いつもよりぎこちなくみえる笑顔で手を振ってきた。なんだかなあ。
「えぇ?なまえさんは普段あんなんじゃないって、どう言うこと?」
授業も終わり、明日納品の内職を進めながらぼやいた言葉に、乱太郎は首を傾げた。
「ちょっと言葉にするのが難しいんだけどさ、なまえさんここに来てからすごい表情がかったいんだよ」
乱太郎としんべヱは顔を見合わせて、なまえさんの顔を思い浮かべているのか、顎に手を当てて斜め上を見上げた。
「うーん。あんまりピンとこない。でも私たちより付き合いの長いきり丸がそう言うんなら、きっとそうなんだろうね」
「あ!校庭で僕たちの頭を撫でてくれた時、すごくニコニコしてたよね。本当はもっとあんな風に笑ったりするってこと?」
「極端に言えばそう言うこと」
暇だし手伝うと申し出た二人に指示を出して、話を続ける。
「やっぱり色々と無理してんのかな」
「まだ慣れていないだけなんじゃない?だって働き始めてまだ一週間くらいでしょ?」
「そんなに短かったっけ?」
「僕たちみんなと違ってなまえさんのことちょっと前から知ってるから、長く働いてるみたいに感じちゃうよね」
しんべヱの言葉に乱太郎と揃って確かに、と頷く。
土井先生と一緒に帰ると、優しい笑顔で留守の間のことを伝えにきてくれるなまえさんと毎日会えて嬉しいのに、あんな顔されてちゃ、ちっとも嬉しくない。
「あ、あとで乱太郎ときり丸にもあげようと思ってたんだけど。これパパからの贈り物!なまえさんにも分けてあげたら、嬉しくなるかな?」
普段なら「あげる」に反応して泣き喚く俺は、しんべヱが箱から出したそれを覗き込んで、八重歯を見せて大きく頷いた。
──────
乱太郎、俺、なまえさん用にそれを分けるなり、二人が用を思い出したと部屋を出ていってしばらく経った。
まだまだ箱の中には、みっちりと未完成の造花が入っている。
話し相手のいなくなった今、作業速度をあげてそれぞれを組み合わせていくと、障子に人影が見えた気がして顔を上げた。
「きり丸くん、私だけど…開けても大丈夫?」
「なまえさん?」
俺たちは授業が終わってるけど、なまえさんは仕事中のはず。なんの用だろ。
戸が開いて俺と目が合うと、あれ?と口にして不思議そうに首を傾げた。
「なんか用ですか?」
「乱太郎くんとしんべヱくんから、きり丸くんが大変!って聞いて慌てて来たんだけど…怪我したとかじゃなさそうでよかった」
あの二人、帰ってこないと思ったらそういうことかよ!
よく見ると机の上に紙が置いてある。
文字が書いてある面をひっくり返して読むと、きり丸から渡してあげて!と書かれていた。
いやいや、これしんべヱのパパさんから貰ったものなのに。
みんなで渡さなきゃ駄目じゃん。
「今日は造花作りなんだね。手伝おうか?」
「なまえさん事務員の仕事は?」
「今日はもうおしまいなの」
いらないところ切るね、と土井先生の家で手伝ってくれた時みたいに、隣に座って俺が置いていた鋏を手に取った。
自分の仕事が終わったなら、休めばいいのに。
下唇を突き出して、自分でも意味が分からず不貞腐れながら花と枝をくっつける。
すると、ぷすり。と俺の頬を何かが突いた。
なまえさんの指だった。
離れていく指をそのまま目で追っかけて、じっとりとなまえさんを睨む。
「なにするんすか」
「可愛いほっぺただなと思って。いやなことでもあった?」
やなこと。ある。なまえさんが無理してること。
「そういうなまえさんこそ、あるんじゃないんですか」
俺がそういうと一瞬揺らいだ瞳はすぐに元に戻り、あるように見える?と誤魔化すように目を細めて笑われる。
そういうのも、嫌だ。
「俺たちに手を振るの、嫌ならやめればいいのに」
我慢できずに口から出た言葉に、なまえさんの瞳は今度は完全に動揺を見せた。
俺の事を見るのをやめて、手元の枝を切るだけの造花を見つめている。
俺は周りに比べたら、働くことがどういうことか分かる。
嫌ならやめろというのが、働く上で難しいことなのも、分かる。
でもこの半年、俺のアルバイトを進んで手伝ってくれるなまえさんは、こんな顔したことなかった。
苦手な分野でも、難しいねって笑いながら楽しむような人。
だからこそ、なまえさんのそんな顔は見たくなかった。
「きり丸くんにはバレバレなんだね」
本当はそんな事ないよって、否定してほしかった。
でも、しなかったってことは、やっぱり手を振るのをやめようと思ったってこと。
俺が溜め込んだ枝の長い造花を手に取って、言葉の合間に鋏で切り始める。
ぱつん、と鳴り響く音に、変にしてしまった空気も変えて欲しいと思った。
「嫌じゃないよ。みんながおはようって窓から手を振ってくれるの、すごく嬉しい。今日も一日頑張ろうって思える。信じてもらえないかもしれないけど本当だよ。だから、ただ私の気持ちの問題なんだよね」
そう言ったなまえさんの顔を盗み見ると、伏せた目は手を振るのを躊躇った時と同じだった。
「子供の俺には言えない話があるのは、分かるんですけど。そういう時の土井先生だし、大人には言いにくい話なら、別に聞くだけなら俺だってできるし。俺、なまえさんにはたくさん笑っててほしい。楽しそうに笑うなまえさんのこと、その、見てると俺も嬉しくなるから」
言ってから、恥ずかしくなって俯き気味に紐を巻いていく。
頭巾外してなくてよかった。耳が熱い。
俺の体を大好きな温かい腕が包んだ。
まだちょっと見慣れない、なまえさんの小松田さんと同じ服の色。
「ありがとう。きり丸くんには敵わないなぁ」
微かに震える声には気付かないふりをして、俺の頭を抱えるように包む腕を、恐る恐る触った。
俺を数秒抱え込んで落ち着いたらしいなまえさんの腕から解放されると、そこには俺の大好きな笑顔があった。
「さ、二人で早く内職終わらせちゃおっか。しんべヱくんのお父上から届いた南蛮菓子、凄く気になるし」
そう言ったなまえさんに、乱太郎としんべヱは結局口を滑らせていたことを知って、俺は盛大にずっこけた。