文字通り胸を撫で下ろし、ため息混じりに利吉さんに礼を伝えた。
「助かりました…」
「商魂逞しい方でしたね。なまえさんには申し訳ありませんが、あれのお陰で早く済んだので助かりましたよ。さあ、アイスキャンディー、を」
最後の店でようやく離されていた腕を、外に出るなり自ら進んで組みにいく。
予想外の疲労に追加のお礼はありがたく頂こうと歩みを進めると、利吉さんの言葉が不自然に止まり、次いで足も止まった。
小柄な私にとっては十分に見上げる高さの顔を見れば、眉と口角を引き攣らせている。
まさか、失敗したのだろうか。
無意識に体を寄せ、怯えを滲ませながら視線の先を見てみると、我ながら間抜けな声が出た。
「きり…こちゃん?」
「お姉様じゃないですか〜!こんなところで会うなんてびっくり!お出かけですか?」
いや、私には姉妹などいない。
アイスキャンディー売りの少女は、どんな偶然か知り合いだった。
花売りのバイトで早替わりを見たことがある、きり丸くんの女装。その名もきり子ちゃん。
一歩後ろに立つ女性とは面識がないので、きっとアルバイト仲間なんだろう。
凄く居心地が悪そうで、垂れる前髪を執拗に触って私たちから顔を隠している。
「きり丸、それに土井先生まで。いるのは気付いていましたが、まさかそんな姿だとは」
呆れ顔の利吉さんは、腕の力を緩めて楽にして構わないと指示をする。
疲労による私の聞き間違いだろうか?
いや、でも、後ろの女性のことを「土井先生」だと利吉さんは間違いなく口にした。
信じ難く、失礼を承知ですらりとした女性の頭から順に視線を落とす。
営業スマイルのきり丸くんと、片や気まずそうな土井先生と呼ばれた人。
驚きのあまり、目の前で利吉さんと腕を組んでいる様を見せつけていたことに漸く気付いた。
熱くなる顔に慌てて体を離して、これには理由があるのだと、必死に目の前の二人を交互に見た。
まるで仕組まれたように丁度残り二つで完売だというアイスキャンディーを利吉さんに買っていただき、どことなく気まずい空気感の中冷たいそれを口に運んで、忍術学園へ戻ってきた。
土井先生と山田先生のお部屋に揃ってお邪魔して、私の向かいに座る土井先生は、ずっと居心地が悪そうにしている。
先ほどから視線は合わず、少し寂しい。
「あの、お綺麗ですね」
どう声をかけるべきかと思案しながら出た言葉はこれだった。
利吉さんときり丸くんは、私の急な発言に目尻に涙を滲ませるほど笑っている。
大真面目に言ったつもりが、二人が笑ってくれたことによって、思いの外場の空気を和ませることができたようだ。
それが良かったのかは、さておいて。
「そりゃどうも」
不服そうに肩を竦めているその仕草は、女性らしさはありつつも確かに土井先生の片鱗を覗かせていた。
物凄い違和感を感じるが、きり丸くんや利吉さんの様子を見るに、初めてお披露目する姿というわけでもなさそうだ。
忍ってこんな事もするのだと、一つ新しい知識を得る。
「お帰りになるって言ってませんでした?」
出掛ける前に、帰ろうと誘われて断ったはずだ。
疲れてはいるけれど、数刻前のことを忘れるほどの疲労感ではない。
それに、あの町は長屋のある方とは真逆で、寄り道をするなら、別の町に行くはず。
「帰ろうと思ったら、なまえさんが利吉さんとどこかに行くみたいだったんで、後を追ってみようって俺が言いました!で、お二人はいつからそういう関係なんですか?」
探るような目の奥に思わず目を逸らす。
ちゃんと誤解されているのは、成功と言っても良いものか。
というより、私はあの食堂での出来事をきり丸くんが知らなさそうなことに少し驚いている。
あの場には複数の人がいたし、てっきり噂として話が出回っていると思っていた。
利吉さんによる箝口令でも敷かれていなきゃ、この二人はこんな反応も、変装してまで後をつけるなんて回りくどいことはしないだろうに。
「きり丸、二人はそういう関係じゃないよ」
訂正をしたのは、利吉さんではなく土井先生だった。
きり丸くんと驚く声が被る。
「お気付きだったんですか?」
「状況判断でね。利吉くん、なまえさんを忍務に同行させるなんて何を考えているんだ」
語気を強めて怒っている様子の土井先生に、利吉さんはどこ吹く風だ。
一方できり丸くんは、どういうことだと私たち三人を見回している。
「ネタバラシしましょうか、なまえさん」
「分かりました。きり丸くん、実はね…」
私は、利吉さんから告白された日の事を掻い摘んで説明した。
ランチを食べた後、紙切れに書かれた私の部屋の前へ向かうと、待っていた利吉さんに「次の忍務で、恋人役として隣を歩いてくれないか」と言われた事。
命の危険は無く、私の情報管理力に適任を感じて頼んだ事。
それを引き受けられないと、一度はしっかり断っていた事。
では、何故引き受けてこんな格好をしているのか?
それは、生徒たちの家業の宣伝目的だった。
忍務中は私に視線を集めるため、見た目を派手にする必要があった。
どうしてか中々引き下がってくれない利吉さんに、それならばと提案したのが、身につけるものは一年は組の伊助くんのご実家で染められたもの。
そして、髪型は四年は組の斉藤タカ丸くんにお願いすること。
気さくな方に聞かれた時に、生徒のご実家を答えて宣伝してもいいならと、条件を提示したら根回しすると二つ返事で話が進み、今日に至った。
ここまで話すと、土井先生が「君って人は」とぼやきながら頭を抱えている。
「せっかく帰ろうって言ってくれたのに、今朝はちゃんと説明ができなくてごめんね。そういう訳だから、利吉さんとは何にもないよ。急にこんな格好してて驚いたよね」
先日すれ違った立花くんに、突如「化粧は我々作法委員会にお任せください」と言われて、この顔が仕上がった。
その時は何のことかさっぱり分からず首を捻っていたけれど、今朝部屋に現れた兵太夫くんに手を引かれるがままに連れて行かれた先の部屋で、利吉さんが手配していた事を知らされた。
「こんな格好じゃなくて、とてもお似合いだと道中何度も言ったじゃないですか。なんでそんなに卑下するんですか」
「ですから、無理に褒めなくて良いですってば」
「頑なですね。褒め言葉は素直に受け取るべきですよ。お二人も似合うと思いますよね?」
そんな同意なんかを求めたら、誰だって世辞を言うに決まっている。
案の定きり丸くんは明るい笑顔で口を開いた。
「凄く綺麗ですよ!ねえ、土井先生」
「なんで二人ともお世辞を言うしかない聞き方するの?土井先生、何も言わなくていいですからね。あと、お帰りになるならそろそろ用意しないと遅くなりますよ」
無理に世辞を言わせる事が申し訳なくて、複雑に紐で結ばれた髪の束を解きながら帰りの催促をする。
結んだ跡が残った髪は、穏やかな波のように落ちていく。
斉藤くんには申し訳ないけど、頼まれ事は無事に終わった事だし。
化粧を落として、着替えて、いつもの姿でゆっくりしたい。
手櫛をかけながら顔を上げると、土井先生のぼんやりとした瞳と目が合う。
「うん、とても似合っていたし、綺麗だったよ」
少し時間をおいて放たれた言葉に、喉の奥で言葉がつかえる。
動揺は体に表れ、髪を指の隙間に通したまま私は固まった。
「……あ、りがとうございます」
利吉さんに散々言われた時とは違う、なんというか…。そう、破壊力。
聞き取れたかどうか定かではない声量のお礼は、暴れる心音に掻き消され、私ですらちゃんと声を発せていたのかもはや分からない。
胸の奥を落ち着かせるために、波打った髪を雑に一括りにし、お茶を用意してくるとそそくさと部屋を出た。
どんな顔して戻ればいいか、必死に考えながら。