夏休みが迫っていることもあり、何かと積もる仕事はあれど、不思議なことに手詰まることはない。
うーん、何でだろう。とすっとぼけてみる。
話に聞いていた以上に彼によって様々なことが起こり、仕事が長引く日も少なくないが、なんだかんだそれを楽しんでいる私もいるので、今日はすんなり仕事が終わりそうなことに寂しさすら感じる。
慣れというのは怖いものだ。
いや、多分、私は忙しい方が性に合っているという話なんだと思うけれど。
吉野先生と入れ替わりでお昼をいただくことになり、お先に食堂で今日のランチを堪能していると、袖口が引っ張られる感覚に左を向いた。
ご飯を味わいすぎて、隣に人が来たことに一切気が付いていない自分に少し驚く。
危うく詰まりかけた食事を麦茶で流し込み、怖がらせないように口角を引き上げた。
「あ、あの…」
「こんにちは、平太くん。どうかした?」
「ぼっ、僕の名前覚えて…?」
「もちろん。ちゃんと覚えてるよ」
引っ張ってきたのは、一年ろ組の下坂部平太くんだった。
疑惑の一件解決以降、行動で証明すればいいからと各組の名簿をお借りして名前は頭に叩き込んだ。
あれから日にちも経ち、だいぶ顔も一致してきている。
その中でも用具委員会の子達は事務作業の一環で修繕道具を借りに行ったり、何より吉野先生が顧問をされていることもあり、仕事をする上で関わりが強く対面する機会が多くてすぐに顔と名前は一致した。
強いて言えば相変わらず話す機会はそこまでないくらいで、確かに、向こうからしたらさほど話してもいないのにと思われても仕方ない。
中々要件を話し出さず、今にも逃げ出してしまいそうな平太くんを怖がらせないように、「もしかして斜堂先生か日向先生がお呼び?」と一つ問いの例を挙げてみると、そうじゃないと首を振られる。
「一緒に、ランチを食べてもいいですか…?」
おどおどとした様子で重々しく発せられた言葉は、その様相からは程遠くなんとも可愛らしいものだった。
もちろんと頷く私の顔と言ったら、自他共に認める破顔に違いない。
ぱっと顔を輝かせた平太くんが出入り口を振り返ったので、私もつられて視線を向けると、いつの間にやら一年ろ組の四人が顔を覗かせて様子を見ていたようだ。
平太くんの顔を見るなり結果を悟った顔を綻ばせて、おばちゃんからランチを受け取ると机は一気に人に埋もれた。
一年ろ組は斜堂先生の影響を受けて、いつ見かけても火の玉が見えるような空気を持つ不思議な子たちだけど、こうして声をかけようと思ったきっかけを話してくれた。
どうやら、一年は組の子達は相変わらず色々なところで私の話をしているらしく、聞いていた皆は「は組ばかりずるい」と羨ましくなったらしい。
あぁ、なんて愛おしいんだろう。
まとめて抱きしめたい衝動を箸を持つ手に発散し、私もみんなと話したかった、と相槌を打つ。
話す機会が無くて勿体無いと思っていたのは、忍たまの子達も同じだったなんて。
これは私からもう少し積極的に話しかけに行っても許されるのかもしれない。
最近の授業の話やテストでいい点を取れたこと、裏山にいい日陰スポットを見つけた話なんかを聞いて、その日はお開きとなった。
「あの」
昨日に引き続き、今日は小松田さんと交代で一人でお昼休憩を貰っていると声を掛けられる。
啜っていたうどんを噛み切り、咀嚼で動く口元を隠して声の主を見る。
「こんにちは、彦四郎くん」
「わぁ…本当に僕たちの名前、ちゃんと覚えていらっしゃるんですね」
まるで昨日を繰り返しているみたい。
本当に、という言い方から、きっとこの子達も一年は組の誰かから話を聞かされているのかな?
それとも、昨日のろ組の子達から話を聞いているか。
「新米事務員は、みんなの名前を早く覚えるのも仕事の一つだからね。それで、私に何か用事?」
昨日と違うのは、一年い組の四人は私の視界右奥の席で既にランチを囲っていることだ。
先ほどから時折視線は感じていて、気にして視線を向けると慌てたようにそっぽをむかれ、元に戻すとじっと見てくる。
いたちごっこのようなことを繰り返していたところだ。
食事途中の盆が置かれた空席は、先ほどまで彦四郎くんが座っていた。
わざわざ食事の手を止めてまで私に話しかけてくる用とは、何なんだろう。
真面目で賢いと先生が胸を張る組だから、今日こそ安藤先生や厚木先生からの言伝かもしれない、と思いきや。
「今日は頑なに二人がいいっていうので諦めますが、今度僕たちともランチをご一緒していただけませんか?は組だけじゃなくて、ろ組のみんなもなまえさんとお話したと聞いて、羨ましくて」
へ?と素っ頓狂な声が漏れ出る。
彦四郎くん越しに、伝七くんと佐吉くんがおい!と真っ赤な顔でこちらを睨んでいた。
一平くんは「二人が素直にならないから〜」と口を尖らせている。
私も彼らも、もう丼の中にうどんは大して残っていなさそうだ。
茹蛸みたいで可愛い、と思ったことは絶対口にしないようにしよう。
「そしたら明日のランチ、ここに座って待ってるね。それとも、もしかして昼間は学園にいないかな?」
最近は下級生の野外学習の外出届をよく受け取っているので聞いてみると、ちょうど明後日にずれ込んだらしく、嬉しそうに「お願いします」と言って元の席へ戻って行った。
伝七くんと佐吉くんが余計なことを言うなと眉毛を吊り上げて彦四郎くんを責め立てているが、彦四郎くんはそんなことは気にせず、明日待っててくださるそうだよと伝えている声が聞こえる。
それを受けた一平くんは三人を見回して、楽しみだね!と目を細めていた。
残りのうどんを噛む口元が自然と緩む。
こうして今日も、忍たまの子達から歩み寄ってきてくれるとは思わなかった。
自分に素直に、行動する力があるのが少し羨ましく、そして眩しい。
一年生の場合、は組の子達が良い意味で言いふらしているのが大きいような気もするけれど。
あの子たちには助けられてばかりで頭が上がらない。
何より、話したいと思ってもらえるのは学園の一員として認められたような気もする。
忍びとしても、人としても成熟していく上級生にかけては一筋縄でいかないかもしれないけど、こうして私の働く姿勢が少なからずいい印象に繋がるというならば、もっと役に立てるように働かないと。
湧いてくるやる気を胸に、軽い足取りで午後の仕事へ向かった。
明日も楽しい一日になりそうだ。