38. 縁は異なもの、味なもの

額に乗った濡れた手拭いが気持ち良い。
幸い美味しくいただいた冷やし中華は胃から出ることはなく、善法寺くんのテキパキとした処置のおかげで少し落ち着いた頭痛と眩暈にゆっくり目を開ける。

「なまえさん、お仕事中ちゃんと水分とってましたか?ランチの時に飲んでいたお茶は、たった一杯だけだったと思いますが」

流石は保健委員会委員長。よく見てるなあと感心しながらも、黙って視線を逸らす私に、善法寺くんは竹筒に入った水を差し出した。

「駄目じゃないですか!ほら、これ一本すぐに飲んでください。体、起こせますか?」
「大丈夫です」

介助を断ってゆっくり頭を起こし、竹筒の栓を抜いて喉を潤す。
やらかした。幼少期以来の熱中症だ。
善法寺くんの言う通り、お昼を食べるときにちゃんと水分をおかわりするべきだった、反省。
確かにお昼を食べる時、すでに喉は乾いていたし、早々に湯呑みの中は空になっていたけど、話してる最中に何度も立ち上がるのが申し訳なくて…。
仕事再開前に水分補給をすれば良いかと、自分の体調を甘く見ていた。
昼一番から吉野先生と小松田さんと分担する仕事があったというのに、申し訳ない。
とりあえず吐き気は大丈夫そうで、後は頭痛が落ち着いたら、すぐに仕事へ戻らないと。
懐から残りのやることリストを取り出して目を通し、善法寺くんが飲めるならもう一本と差し出した竹筒を手に取るために横を向くと、人が増えていた。
働き始めてから見たことのない人物と目が合い、空気がシン、と静まり返る。

「やぁ」

片手を上げて挨拶をしてきた大柄の男性に言いたいことは色々浮かんだけれど、まずは自分の命大事にと、その人から視線を外さないまま竹筒の栓を抜いて、水を流し込んだ。
爛れた火傷の痕が少し見えている、片目だけを覗かせた包帯に包まれた顔。
よく見るとその包帯は顔どころではなく、胸元に腕にと至る所に巻かれているようだった。
医務室で処置をしてもらった、にしては最近の傷のようには見えない。
そもそも、ようやく目を開けられた時には医務室には私と善法寺くんしかいなかったはず。
つまり、私がその空間を認識していなかった一瞬で現れた。
障子戸は閉まっているから、外からの侵入は考えにくい。
ということは、土井先生が以前言っていた、天井裏にあるという空間に、いつからか隠れていたと推察する。
ただの「お客様」が、そんなところに隠れる必要があるわけがない。
ということは、つまり。

「入門表に、サインはされましたか?」
「彼は私に気付けないよ」

嘲笑とは異なるも鼻で笑いながら、目の前の人はそう言った。
驚いた。あのサイドワインダーの小松田さんのセンサーを掻い潜っているなんて。
小松田さんが気付けないなら、私なんてもっと気付くわけがない。
これで確信が持てたが、やはり気配を隠すのが上手い「プロ忍者」ということだ。
それにしたって、どうしてそんな人が、忍術学園の医務室に来ているのか?
説明を求めようと善法寺くんを見るが、彼は私たちのやり取りには見向きもせず、薬草棚の前で何かを探している。
何度も開閉することにより振動で動いていた棚を指摘すると、未然に防げた不幸に礼を言われた。
お礼よりも、この方の説明が欲しいけれど、お礼に振り向いた善法寺くんはまたも薬草棚に向き合ってしまう。
私は諦めて、ずっと私に視線を向け続ける男性を見た。

「恐れ入りますが、どちら様ですか?」
「私は曲者だよ、君は見ない顔だね」
「新しい事務員です。そちらが名乗らないのであれば、私も名乗りません」

何か情報を取りに来た、にしては堂々としすぎている。
何より善法寺くんは驚きもしていなければ、ここにいることを不思議そうにもしていない。
私と曲者の探り合う視線をお互い逸らさずにいると、扉が開いて大きな影が差す。
影を辿って顔を上げると、そこに立つ人の姿を見て、思わず慌てて立ち上がった。
突然立ち上がったことにより、がつんと強い頭痛を誘発して思わず眉を顰める。

「伊作、すまないが尊奈門くんを…なまえさん?それに雑渡殿まで」
「へぇ、なまえちゃんって言うの」
「っ、その呼び方やめてください」

私のことをそう呼ぶ人は少なく、ましてや男性には中々いないのもあるせいか、鳥肌が立ち腕をさする。
それに、敵か味方かわからない忍に名を知られた、なんともいえない恐怖心。
一方で、土井先生は私を見て、明らかに何故ここにいるんだという顔をしている。
腕をさすっているうちに引いていく鳥肌を感じながら、土井先生に俵抱きにされている、見たところ雑渡とやらと同じ装束を着ている男の人が気になった。
怪我人というよりは、一言で言うならボロボロになっている。
ここに来たということは、目を回している彼の処置をしたいんだろう。
つい先程まで寝転んでいた畳を退くと、土井先生はそこにその人を寝かせた。
寝転んだことで漸く見えた顔は、白粉に顔を突っ込んだのかと言いたくなるほど真っ白で、どんな人なのか全く分からない。
学園関係者とも思えない二人と、医務室で対面している状況もかなり謎だ。
どこの誰で、何が起こっているのかを説明して欲しい気持ちと、私がここにいるのを深掘りして欲しくない気持ちがせめぎ合う。
しかし結果はすぐに後者をとって、善法寺くんに事情を説明している土井先生の後ろを静かに通り抜けようとするも、そんな事は叶うはずもなく。
善法寺くんと話したまま、こちらには見向きもせず土井先生の手が私の手首を掴む。
忍者って、そんなことまでできてしまうんですか。
今だけは気配を消すという技を、私も会得していたかったと切に思う。

「私、仕事が立て込んでおりますので…」
「仕事が立て込んでいる人が、医務室で横になる必要が?」
「暑くて少し休憩させてもらってただけですよ」

熱中症だから、嘘はついていない。
それに仕事が立て込んでいるのも本当だし。
仕事に戻りたいと掴んでいる手に触れると、その手はびくりと驚いたように離れる。

「あっ、なまえさん!まだ話は終わっていませんが!」

今がチャンスとばかりに、私は開けられたままの戸を抜けて事務室への道を駆けた。
ひぃ、頭が痛い。

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