食堂で少しの塩を舐め、お腹がたぷたぷになるまで麦茶をもらった足で向かう足取りは重い。
土井先生がもう医務室を出られていることを祈って近付いていくと、もうその時点で私の眉は下がる。
土井先生のお声は、本当によくお通りで。
別のことを優先するか悩みつつ、ここまで来たのに戻る方が二度手間だと、残る仕事のことを考えて潔く諦めて、部屋を覗き込んだ。
比喩ではなく言葉の通り真っ白な顔をしていた人は、綺麗に顔を拭いてもらったのか素顔を晒して横たわっている。
ひとつ呻いた彼は突然「土井!」と叫ぶと上体を起こして、こっそり中の様子を覗いていた私とばっちり目が合った。
丸っこい瞳の、どこかあどけなさの残る少年に見えた。
私と歳は変わらないくらいだろうか。
「誰だ、お前」
「あ、なまえさん!」
立ちあがろうとする土井先生を手で制し、医務室へ足を踏み入れ直す。
とりあえず、私が今抱えている善法寺くん宛の書類を渡させて欲しい。
「善法寺くん、これ夏休み前の委員会活動報告会についての案内なので、目を通しておいてくださいとのことです」
「わざわざありがとうございます!それで戻られたんですね」
可能であれば保健委員会の皆さんだけがいる時間に来たかったんだけどね。とは言えず。
ほら、今も土井先生がじっとこちらを見ていらっしゃる。
何故か雑渡さんと倒れていた彼まで。
私は軽くため息をついて、渋々ここにいた理由を説明した。
「脱水で立ちくらみを起こしたんです。水分も塩分も補給して大分落ち着きましたので、心配は要りません。それよりも、この方達についてのご説明をいただけませんか?」
そう言いながら、この場にいるのが不思議な二人に視線を向ける。
相変わらずなぜか私を凝視していて目が合うので、すぐに逸らした。
細かく観察されているようで少し怖い。
「君が来てから尊奈門くんが来るのは初めてだったか」
尊奈門、と呼ばれた彼はむすくれた顔で土井先生を睨んでいる。
何やら因縁があるらしく、雑渡さんはそれを見て頭を小突いた。
軽いものに見えたが、受けた本人は「イテッ」と眉を顰めて、口を尖らせながら雑渡さんを見た。
組頭、と文句を垂れているのが聞こえ、この二人は上司と部下なんだと言うことがわかる。
土井先生は説明を悩みながらも、それでいて彼をおちょくるように教えてくれた。
時々善法寺くんも補足するように参加してくれる。
「彼は諸泉尊奈門」
「この方は雑渡昆奈門さん。お二人はタソガレドキ城の忍者隊の方です」
しれっと言われた城の名に、私は困惑した顔を隠せなかった。
タソガレドキって、黄昏甚兵衛が城主を務める、戦好きのあまりいい噂を聞かない城以外知らない。
それで合っているというならば、忍術学園の味方のリストに名は無かったと記憶している。
そんな人たちが、何故学園に?
「尊奈門くんの尊厳を守るために伏せるが、とある事から彼から果たし状を渡されることがあってね。今日も私は忙しいから受けられないと言ったのに、わざわざ有給を取って、入門票にサインをしてまで学園に入り込み、テストの採点中に乗り込んできて、この有様というわけさ」
「おい!なんだその言い方。私を馬鹿にしているだろ!?今すぐ忍者らしく手裏剣や苦無を使って私と戦え!」
一転して目を瞬かせ、果たし状?有給?サイン済み?土井先生が倒した?と一句ごとに疑問符を浮かべた私をよそに、飛び起きた尊奈門さんは打ち身が痛むのか、懐に手を入れたまま膝をついた。
善法寺くんが大人しくしていろと座らせる。
そして、雑渡さんはそれを足を崩して眺めている。
説明をしていただいたところ恐縮だけど、ツッコミどころが多いのではないだろうか。
私はこめかみに手を添えて、状況を整理する。
「ええと、つまり。諸泉さんは仕事をお休みして、土井先生に勝負を挑みに来られたと。もしかして雑渡さんはそれを見に来られて?」
「私は尊奈門を連れ帰りに来ただけだよ」
結果が分かっていたから、勝負も見ないで医務室へやってきた、ということでいいのかな。
それもそれで可哀想な気もするけれど。
しかし土井先生が負けるとも思えないので、ここは指摘しないでおこう。
「土井先生がご存知みたいなので詳しくは聞きませんけど、お帰りの際は雑渡さんも入出門表に必ずサインしてくださいね」
土井先生も善法寺くんもこの調子ならば、敵でもなければ味方でもないといったところだろうか。現状は。
でも確かに敵のリストにタソガレドキ城の名があったはずなんだけど、今のこの状況だとよく分からない。
リストが更新されていない可能性もあるし、私がどうこうできる相手でもないので、その辺りは先生方や忍たまのみんなにお任せしよう。
とにかく私の仕事は一つ終わったので、まだまだ残る仕事の山をこなさなければとその場を立ち上がる。
「念を押しますけど、必ずサインしてから出ていってくださいね。本当に困りますから」
事務員の私たちは、皆の快適な夏休みのためにここ連日奔走している。
小松田さんがこの事を知って事務員も向いていない、と自信喪失に繋がってやる気を落とされてしまっては本当に困ると、切実な思いを込めてお願いをする。
昨日もツルタケ城の内木小丸さんが学園に黙って入って来たことに気が付けなかったと凹んでしまったのを、吉野先生と私でケアして少しだけ大変だった。
「二人には私からもお願いしておくから、君は弱った体を労って無理をしないように」
別に無理なんかしていない、と言いかけた口を閉じて、「はーい」と間延びした返事をする。
欠員が出て困ると言いながら、肝心の私がその欠員になりかけたのだ。
ちゃんと反省しないと。
暑い上に連日こうも忙しいと、体力が完全に回復しないまま翌日になっていてよくないと痛感する。
手元のリストから明日に回しても問題ないものを選び、土井先生の言う通り体を休ませることにしよう。
私が立ち去る際に手を振った土井先生に、タソガレドキの二人の視線が気になって頭だけ下げて、私は濡れ縁の向こうへ消えた。
「若いねぇ」
私がいなくなった医務室に、雑渡さんの声が響いた。