42. 縁は異なもの、味なもの

きり丸くんが大量に抱えたアルバイトに、食事の当番。
隣のおばちゃんや大家さんからの頼まれ事をこなしていれば、あっという間に二週間が経った。
その間、土井先生とは特に何もなく、平穏に日々を過ごせている、と思う。
利吉さんの態度が分かりやすいという発言が時々頭によぎり、バレていませんようにと願うばかりだ。
意識しているなんて気付かれていた日には、恥ずかしさで日頃注意を払って何とかこれまで落ちずに済んでいる、綾部くんの掘る蛸壺に自ら入りたくなってしまう。

「俺、明日しんべヱの家に乱太郎と泊まりで遊びに行くんで!土井先生のこと、頼みます」
「そういえば二人と約束してたね。一泊?」
「二泊して帰ってきます。二日目は堺の港でアルバイトして、しんべヱのパパさんからお駄賃もらうんです」

目を銭の形にし、あへあへと喜ぶ側で、私は「楽しいお泊まりになるといいね」なんて声を掛けながら、背中に嫌な汗を流していた。二日ばかり、逃げても許されるだろうか。
そんな思いは許されるわけなく、引き受けた本人不在で私はきり丸くんのアルバイトをこなす。
近く夏祭りがあるらしく、金魚掬いのポイをひたすら作る。
土井先生は、子守のアルバイトに出向かれた。
自分がいない日くらい引き受けてくるな!ときり丸くんを叱りながらも、依頼主の自宅へ向かってしまうあたり、やっぱりきり丸くんにはそれなりに甘い。

きり丸くんは朝早くから持たせた菓子折りを抱えて元気に家を出て、今頃は堺のしんべヱくんのお家で美味しいご飯でも食べている頃だろう。
土井先生が戻られたら、夜ご飯の用意をして、それから…それから?
誰もいないのをいいことに頭を左右に振って、思考を掻き消す。
大きくため息をついて、無心で手を動かした。

帰宅した土井先生を至って冷静に迎え、もう少しで全て作り終えそうなポイ作りを引き受けてもらった代わりに、夜ご飯に取り掛かる。
道すがら買ってきてもらったニシンに串を刺して囲炉裏にかけ、大根をおろして味噌汁を作る。
あらかじめ炊いておいた白米の様子を確認していると、土井先生が横に立ったのか足を引っ掛けただけの草鞋が見えた。

「なまえさんすごいなあ」
「いえいえ、簡単なことしかしてませんよ。おばちゃんほど美味しくないのだけ、申し訳ないです」
「そんなこと言わない。私も手伝おう」

もう終わったのかと思い振り返ると、完成したポイが重ねられていた。流石、手が早い。
ありがたく出来上がった食事を皿によそうのをお願いして、ご飯の支度が進んでいく。
二人きりの食事は談笑も程々に、何事もなく時間は進んでいき、ついに就寝の時間となった。

衝立の向こうは、いつもきり丸くんを挟んで眠っている。
今日はそれがなく、衝立のすぐ隣に、土井先生が眠る。
衝立の存在に安心していたというのに、今日は全くそんなことはない。
早く寝たいのに、そう言う時こそ眠気が遠い。
薄暗い部屋の中、聴覚が研ぎ澄まされて布団の擦れる音がよく耳につく。
身じろぎとは違う長めの音がして、土井先生が寝返りをうたれたのだと思っていると、静まり返る空間に私の名前が響いた。

「まだ起きてる?」
「…起きてますよ」
「あまり眠くなくて、ちょっと話し相手になってもらえたらなあと」
「いいですよ。私も、眠気が来なくて困ってたので」

貴方のせいで。と言う言葉を隠して、衝立から背を向けて土井先生とぽつぽつと会話する。

「最近みんなとお昼を食べているって、は組の子達から聞いたよ」

生徒にそんな話をされるのは、土井先生が慕われている証拠だ。
ちょっと私の行動が筒抜けすぎかな、とも思うけれど、この件は嬉しかったからどこかでお話ししたかったし、丁度良い。

「話す機会がないから、一緒にご飯を食べませんかって、みんなが誘ってくれたんです。子供の行動力って凄いですね」
「うん、あの子たちには元気とやる気を貰える」

その言葉は、私よりも重たい。
当たり前だ。事務員と教師。
どちらが関わりが強いかなんて明白。

「それこそ、タソガレドキの方と医務室で鉢合わせたときが六年生の子達と一緒に食べた日だったんです。あの子達が最後で、夏休み前に全員とお話しできました」
「伊作から聞いたよ。みんな随分と例の件を気にしてたらしいから、蟠りが解けて嬉しそうだったぞ」
「私よりも気にしてたんだろうな、って言うのは凄く感じてたので、ちょっと申し訳なかったですね」
「なまえさんは、もう大丈夫かい?」
「それが…実は、かくかくしかじか」

私は七松くんが外出時に毎度話し掛けてくれていたことで、少しずつ慣れていたこと。
土井先生に相談してから、ちょっとずつ吹っ切れていたことを説明した。
便利な言葉だ、かくかくしかじかって。

土井先生は小平太がそんなことを、と驚いている様子だった。
顔を見ていないのに、その声色でどんな顔をしているのか、頭に浮かぶ。

「みんな、小松田さんのことは小松田さんなのに、私のことは一年は組が羨ましいから名前で呼びたいって言うんです。可愛いので許しちゃいました」

私の声を抑えたくすくすと笑う音が響いて、また静寂が訪れる。
土井先生、お眠りになられたのかな。
こんな雑談で眠くなったのならよかった。
私も、目を閉じて眠くなるのを待とう。

「なまえさん」

寝たと思った衝立の向こうからまた名を呼ばれて、驚きのあまり少しだけ首を振り返ってしまった。
布擦れの音がする。

「眠れそうなら、無理に話さなくていいですよ」
「…そう、だね。また明日にしよう。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

夜の虫の鳴き声と私たちの声だけが響く空間は、とても心地がよくて。
好きだと自覚したあの日を思い出して、少し胸が苦しくなった。

prev next

>> list <<