05. 縁は異なもの、味なもの

今日は朝から大忙しだ。
今日限り必要なくなるものをご近所の方へお譲りに回ったり、長持ちする消耗品や、昨夜使って乾かしておいた調理器具は、土井先生ときり丸くんの家まで運び込む。
この一週間はずっとこんな調子であったが、最後の仕上げといった作業を、土井先生の迎えが来るまでしていた。

「布団、どうしようかな」

長屋を見渡せば、部屋に残るは私が今朝まで寝ていた寝具のみとなった。
父と母の布団は亡くなる前の衛生状態が悪かったために、再利用はやめて処分をしていた。
残る私の布団はまだ使えるものではあったが、土井先生のお宅のものの使用感と比べて、よければ差し替えてもいいかもしれない。
一度押し入れにしまって、大家さんへ挨拶に行く前に、窓と戸を開けて埃を払っていく。
売ったり、譲ったり、運んだり、酷使した腰をさすりながら最後に床を拭いて、もう一度部屋を見渡す。

色々な思い出はあるが、思い残すことはもうない。
我が子のように育ててもらった恩はあれど、存外私は非情だったのだと気付いてしまってから、胸がずっと重たいように思う。
盗られるものもないので、全てをそのままに大家さんの元へ向かおうと思えば、開けた戸から大家さんの声がした。

「片付けは済んだかね?」
「おはようございます。わざわざ来てくださったんですか?」
「心配でね。半助も来ているよ」
「やぁ」

死角となっている位置にいたのか、そう呼ばれるなり大家さんの後ろに土井先生が現れた。

「お早いですね。おはようございます」

私が持ち出す風呂敷二つと並べて用意していた退去の書類を持って、大家さんの元へ立ち上がる。

「こちら、書類です。確認お願いいたします」
「確かに受け取ったよ。何度も言うようだが本当にいいのかい?家賃なら払える時に払えばいいから、ここにいたって…」
「そういうのは、私自身が許せませんから。それに、親から与えられた独り立ちの良い機会なんですよ、きっと」

取り繕う訳でもなく本心を言えば、大家さんも土井先生も顔を見合わせて困ったような顔をする。

「本当に、もぬけの殻になってしまったね」
「流石に女一人で片付けるのは、連日大変でした。相談なんですが、土井先生のお宅にお布団を運んでも良いですか?」
「布団?」
「残っているのがあと布団だけなんですけど、勿体無いのでお二人のうちの古い方と交換なんてどうかなと思いまして。いらなければ、どこかのお宅に渡してきます」

最後にお使いになった時の事を思い出しているようで、布団か…と、視線を上に向けて考え込まれている。

「…あぁ!そういえばきり丸が使っている物が、この間破れてしまったところだな」
「え?この間干しておきましたけど、破れてたの気づきませんでした。すみません。それなら丁度いいので運んじゃいますね」
「押入れかい?」
「私がやりますよ」
「これくらい私がやるさ」

気付けば大家さんはいなくなっており、戸窓を開けたまま土井先生の家まで歩く。
布団一式をまとめて抱えてくださっている土井先生の代わりに、慣れた手つきで戸を開けて、慣れた手つきで押し入れを開ける。

「きり丸くんのお布団の処分は、また後日にしても大丈夫ですか?そろそろ向かわないといけないですよね」
「布団が破れているのは嘘だよ」
「はい?」

驚いて振り返ると、土井先生は優しく微笑みながら、布団を下ろしていた。

「なんでそんな嘘を…」
「何かあったときは、ここに帰ってきなさい」

は?という驚きは声に乗らず、吐息と消えた。

「きり丸と私からのお願いだ」
「えっと、話に、ついていけないのですが」
「帰る家はあったほうがいい、それだけのことさ」
「答えになってない…」
「さぁ、そろそろ本当に出発しないと。にしても、結構譲ってくれたんだね?うちにこんなに物があるのを見ることになるなんて思わなかったよ」

棚と、調理器具がこんなに、と不在の間に増えたものに目をやっている。
私は、それを呆然と見つめていた。

「ここにいたのかい」

開いた戸の先を見れば、大家さんとこの家の隣のおばちゃん。

「挨拶もなく出ていっちゃったのかと思ったじゃないの」
「流石にそんなことしませんよ」

苦笑いをこぼし、草鞋の鼻緒だけつっかけて二人の前に立つ。

「これ、みんなから、あなたに」

おばちゃんが後ろ手に取り出したものは、どこか見慣れた浅葱色の巾着だった。

「ど、どうしたんですか?突然」
「就職祝いとして、受け取ってちょうだいよ」
「祝いって、そんな」
「あなたが思ってるより、みんなあなたのことを心配して、そして応援してるの。遠慮なんかしないで受け取りなさい」

一向に受け取らない私に痺れを切らして、無理やり手に握らされる。
かちゃり、と中に何か入ってる音がして紐を緩めれば、中から真新しい紅が出てきた。

「こんな素敵なものまで」
「それはね、婦人会のみんなからよ。こないだ町に行ったとき、なまえさんに似合いそうな色ねって全員が口を揃えたんだから」

おばちゃんは嬉しそうに笑いながら、先日の婦人会の様子を語っている。
紅と巾着を見つめ呆然とする私の肩を、土井先生がそっと叩いた。

「大家さんとおばちゃん。安心してください、なまえさんが仕事で挫けたときやヘマして追い出されたときは、この家にでも帰ってきなさいと言ってありますので」
「あらそうなの?それはよかった。いつでも帰ってらっしゃい。ここにでも、私のところにでも、大家さんのところにでも」
「ワシは空き家さえあれば、またいつでも貸すさ」
「みなさん…」

見えなくなるまで手を振ってくれる二人を、定期的に振り向いては手を振りかえす。
土井先生も私も、途中からまだ手を振っているのかと言うのを我慢した苦笑いを浮かべていたが、それを上回る温かさを感じていた。
下り坂になりようやく姿が見えなくなったところで、振り返るのをやめて真っ直ぐ歩き出す。

「さあ、学園へ向かおうか」
「土井先生」
「ん?」
「…ありがとうございます」

それが何に向けての礼かは、敢えて言わなかった。
正面に続く道を見つめたままそう口にした失礼な私の頭をそっと撫で、土井先生は「よく言えました」と、まるで先生のように口にした。

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