dolce



    「久しぶり!仁花!!」


    「久しぶり!!結局夏休み会えなかったねぇ、寂しかったよぉ」


    「嘘こけ、マネージャーで忙しかったんじゃないの?」


    「……ぎくっ」


    「やっぱりかぁ!」


    「でも本当に部活の人としか全然会ってないよ、夏休みあっという間だったなぁ。……名前も部活ばっかりだった?」


    「そうだねぇ、お盆休みはあったけど、ほとんど部活ばっかりで部員以外とはあんまり話して……………。」


    蘇る記憶。男の子らしい体つきと、鼻をかすめたふんわりとした良い匂い。


    「ない!!!話してない!!決して!!」


    「うわ!?ど、どうしたの急に。」


    「なんでもない!!何事も無かった夏休みでした!」


    「そ、そうですか!」


    「はい!!」


    あれはもはや事故だ。いや事故と言うには失礼か。影山くんは曲がりなりにも私を励まそうと、泣き止ませようとしてくれたのだから。


    …それでも、親切が産んだ事故だ。結局事故だ、そういう事にしないと発狂する。


    まぁ日頃影山くんと会うことなんてよっぽど無いし、大丈夫大丈夫。


    「……ちわっす。」


    「うわああああああ!!」


    へらへらと笑ってホームルームまでの時間を仁花と過ごしていたら、突如現れた私を狂わせている人こと影山くん。


    「ど、どうしたの名前!?」


    「な、なんでもない。仁花に用事ですか?では私は消えますね。」


    「いや、苗字でもいいんだけど、辞書貸してくれねぇか。」


    「辞書?……ごめん影山くん、私今持ってなくて…名前持ってる?」


    「………持ってる、ちょっとまってて」


    急いで自分の机の中から辞書を取り出し、彼に手渡す。


    「はい、ど、どぞ。」


    「う、うす。」


    しかし動き出さない影山くん。え?


    「ど、どうしたの。」


    「……苗字、ちょっと。」


    「え!?」


    腕を引かれて廊下まで引っ張り出される。


    「その、……あの時は悪かった。」


    「え、い、いや!?私の方こそごめんなさい。励ましてもらったのに、なんかおかしな反応してしまって。」


    「……そんなに嫌がると思ってなくて、悪かった。」


    嫌がる?


    い、いやいや。嫌がっているんじゃなくて、


    「ち、違うよ!!嫌がってるんじゃなくて、その……は、恥ずかしかっただけだから!!私の方こそごめん、嫌な思いさせたよね…。」


    「あ、いや、それは………全然、嫌とかじゃ無かったし、……むしろ、……」


    「え……むしろ…?」


    「………………………また授業終わったら返しにキマス。」


    「え!?」


    何!?なんでもやっとさせて行くの!?


    彼はそう言って光の速さで帰ってしまった。むしろ、なんですか。嫌じゃなくてむしろ、って言われると、


    ちょっと、期待してしまうんですけど………これは正しい反応なのでしょうか。





    あの音が苗字だと知ってから、聴こえ方が変わった。


    悪い意味では無い、むしろ、良い意味で、凄く良く聴こえてしまう。


    だって今まで想像してた楽器のあいつは、ぶっきらぼうで職人気質で、勉強とか運動とか全部駄目なイメージだった。


    なのに蓋を開けて見たら、にこにこ笑って勉強出来る苗字だった。運動能力については知らないが、今までの想像とは全然違う。


    苗字は逆に何かを極めたり、練習したり、なんと言うか努力に時間をかける人に見えなかった。


    勉強の面しか知らない為か、なんでもわかってる、なんでもそつなくこなす、そんなイメージ。


    だったのに、あの音を聴いてると、何度も何度も同じところを繰り返し練習して、夜になるまで練習して。


    そんな努力を重ねている、そんなの知らなくて、なんだかその一面を知ってしまってから、俺はおかしい。


    今まで以上に音が聴こえてしまう。そして、そこから苗字を連想までしてしまう。


    そこまでいってから、あの日の事を思い出して、暴れ出しそうになる。


    おかしい。平常心でいられない。


    まるであの音が聴こえている間、ずっと苗字と一緒にいるみたいで、あの日の事をなんて言えば良いのかわからなくて平常心が保てない。


    これは、問題だ。練習に集中できない事もある。


    早めに何とかしねぇと。そう思って苗字を廊下に連れ出し話してみたが、逆効果。


    こいつこんなに小柄だったか。なんて思ってしまい、抱き締めた時の細さを思い出して、おかしくなりそうだ。


    それに話していても、言わなくて良いことまで言いそうになって、結果逃げてしまった。


    なんでこんなに緊張するんだ。苗字だぞ、毎日勉強教わってた苗字。


    自分のクラスに戻っても尚ちらつく、あの日の顔を真っ赤にした苗字。


    クソ!!と頭を机にくっつける。こんな感情知らねぇよ、心臓がとにかくうるさい、速い。頭の中あいつの事ばっかりだ。


    そして何より今まではそんな事気にもしてなかったのに、苗字の事可愛いって、さっき会った時に思ってしまった。


    うがああああ!!これって、やっぱり、いや、でもこんな急になるもんなのか!?わ、わっかんねぇけど


    ……………こ、恋って奴なのかもしれない。





    「…………………あ。」


    「…………………あ。」


    辞書を貸した日から数日後、またしても私は練習に熱中し、暗くなった校内を歩いていた。そして校門へ差し掛かり、いつかのように影山くんと遭遇してしまう。


    「あ、え、えっと、」


    「………お疲れ。」


    「あ、お、お疲れ様。」


    「音が帰る間際まで聴こえてたからもしかして、とは思ったけど…。」


    「うっ。」


    そうだった、彼には私の練習中な汚い音が届いてしまっているのだった。


    「ご、ごめん。次から練習場所変えます…。」


    「え、なんでだよ。」


    「え?」


    「別に、うるさいとか思ってねぇし。ただ音が聴こえてる限りは苗字も学校いるんだな、って気づけるだけ。」


    あ、そういう事………。


    「そ、それなら……、影山くん?」


    「ん?」


    「きょ、今日は送ってくれなくても大丈夫だよ?」


    「は?何を根拠に言ってんだよ。」


    「うぐっ……でも度々こんな時間になって1人で帰ってるから、大丈夫だよ。」


    「暗くなってから1人で帰ってんのか?」


    「え、と、はい。」


    「危ねぇ。辞めとけよ。」


    「は、はい…。」


    私の家へと2人で向かいながら影山くんの言葉を反芻する。


    とは言え自分の意思でここまで遅く残ってる訳ではない。時間を忘れてしまうのだ。


    それにこれからコンテストまでの練習期間、どんどん日が短くなっていくので練習時間が限られていってしまう。


    それじゃあ困る。心配してくれている影山くんには申し訳ないが、暗い中帰りません。と言う約束は出来そうにもない。


    「…………おい。」


    「は、はい!!」


    「あんま守る気ねぇだろ。」


    ひぇえ!?なんでバレたの、エスパー…?


    「ううっ!!……だ、だって、これから日が短くなる一方だし……練習足りないし……。」


    「……ふはっ、だからって本当に言うかよ!!」


    「え、」


    「お前真面目過ぎだろ。」


    そう言って笑う影山くん。笑顔の影山くんなんて初めて見た、あ、笑うと少し幼くなるんだなぁ、なんて彼の新しい一面を見てしまい、鼓動が早まる。


    しかしいつまで経っても笑ってる彼に、少しむっとする。


    「そ、そんな笑わなくても!」


    「はははっ……悪ぃ……、なら俺がなんと言おうとお前は残るんだな?」


    「うぐっ………言い方が悪いと、そうなりますね…。」


    「……なら、毎日俺が送る。」


    「はい!?」


    何言ってんだこの人は!?


    「それなら良いだろ?お前は居残れるし。俺も心配じゃない。」


    「い、いやいや!!毎日なんてそこまでお世話になる訳には……それに、なんでそこまで……?」


    影山くんはきっと凄く優しい人なんだろう、今まで接してきて分かったことだ。


    でも毎日だなんて、そこまでする義理無いと思う。影山くんだって毎日練習してて、大変なのに。


    「なんでってそれは………。」


    「それは………?」


    「っとにかく!!俺が送る!!」


    「えぇ!?」


    それは、なんですか!?この間のむしろ、の続きだって聞けなかったのに、またもやもやする。


    後頭部をガシガシと掻きながら、あー、とかうー、とか言ってる影山くんの心境がびっくりするぐらいわからない。


    「いいな!?」


    ガシッと肩を掴まれ、聞かれる。ほんのり赤くなっている頬は私の幻覚だろうか。


    いつもよりずっと近い距離に、あれ、影山くんって…こんなかっこいい顔してたっけ……?なんて思ってしまい、ほんのり赤い彼よりずっと、頬に熱が集まり、


    「は、はいい!!」


    そう叫んだ。み、見てられない。こんな近くで影山くんを見ていられない、早く離して!!


    「お、おう。なら良い。……連絡先教えてくれ、音で大体分かるけど、残らないなら連絡欲しい。」


    あと俺が練習し足りねぇ時、待っててもらえるか…?と先程の威勢はどこへやら。恐る恐る聞いてくる影山くんに私はひとつ頷いた。


    「送って貰うんだもん。それぐらい全然するよ。」


    時間があるなら宿題でもやれば良いし、家に帰ってやらなければいけない事だって特に無い。


    「ん、ありがとう。」


    そう言ってお互いの携帯を取り出し、連絡先を交換した。


    新たに登録された影山飛雄と言う名に、ぶわああっと何かが込み上げる。胸が熱い。


    気づけば私の家に着いていて、色んなこと話していたらあっという間だったなぁ、と驚く。


    「じゃあな」


    「うん、送ってくれてありがとう。……明日からよろしくお願いします!」


    「ん、また明日な。」


    そう言って踵を返して行く影山くん。


    また明日。だって。


    勉強教えなくても会えるんだ。その事実にまたもぶわああっと胸が熱くなる。


    なんだろう、この気持ち。わかんない、わからないけれど、すっごくわくわくする。まるで新しい曲の楽譜を初めて見た時みたい。


    いつもより練習して疲れているはずなのに、その日の夜は胸がどきどきわくわくして、中々眠りにつけなかった。


    (甘く、優しく)



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