先生。


「…………影山くん、国語はね日本人なら勉強して役に立つと思うのよ。」


「…………うぬん。」


謎の鳴き声を上げて、大きな体を縮こまらせる教え子を見て苦笑いを浮かべる。


「ほら、また赤点取ると武田先生に怒られちゃうよ?遠征あるんでしょ?」


「……っす。」


こうして課題を手に私の元まで来るようになっただけでも大進歩。それでも赤点を取ってしまう悲しい現実に打ち勝つため、私とマンツーマンで勉強する影山くん。


漢字は中々出来るようになってきた、あとは読解問題かなぁ。


彼の国語を見始めて3年目になるが、一向に良くならない。


とは言え、初めて教科担当としてついた時から見ている彼。これだけ出来が悪くとも、愛着が沸いてしまうのは仕方ないと思う。


「……先生。」


「うん?」


「……コジンテキな質問、していいっすか。」


「え、何?答えられる範囲しか答えないけど、いいよ。」


珍しい。影山くんの方から声をかけてくるなんて。


基本的には寡黙な彼。その実はバレーボールに熱意を燃やすスポーツマン。


彼のことは校内でも有名で、将来有望なイケメンとして名が通っている。


「……あの、」


「うん?」


もごもご。口下手なのだ、彼は。時間はまだ沢山あるし、ちゃんと彼が言葉を選んで話すまで待ってあげよう。


「……あの、今年で烏野からいなくなるって本当っすか。」


言われた言葉にキョトン、と目を瞬かせてしまう。


「え、あ、うん。……影山くんまで知ってたんだね?」


「……クラスの人が話してるの聞いて。」


なるほど。別に隠すことでもないし、私は彼らに話していたが影山くんには話した記憶も無かったのになぁ?と思ったら。


「どこ行くんすか。」


「えぇ?……それ以上は言えないかなぁ。実家の方に帰るとしか。とりあえず宮城からはいなくなるよ。」


それがどうかしたの?そう続けると、ふいっと顔を逸らしてしまう。


「大丈夫だよ、3月まではいるから。影山くんの国語力をなんとかしてから去るから!!」


そう言うとそう言う意味じゃねぇよ……と呟かれる。あれ?


「……もう会えないんすか。」


「え?」


「烏野に来ても、会えないから。……卒業したらもう会えないんすか。」


悲しそうに言う影山くんに、頷く。


「……うん、そうだね。私も影山くんたちと一緒に卒業しちゃうから。でも大丈夫だよ、きっとどこへ行っても、影山くんに優しく言葉の間違いを教えてくれる人はいるよ!!」


ぐっ!と親指を立てると違ぇんだよ……とまたしても呟かれた。あれ?


影山くんは不器用だし口下手だけど、優しい子だ。私が荷物を抱えているとさり気なく持ってくれるし。黒板消すのも手伝ってくれたし。


だからその優しさに周りもきっと応えてくれる。優しい彼の周りには、きっと優しい人が現れるはず。


「私がいなくなっても、影山くんは大丈夫だよ!!」


笑顔でそう声をかけると、眉間のシワが濃くなった。え?


…………いや、待てよ?


今現在も向上してない彼の国語力。それを3年間教えてきたのは私。


………………。


……むしろ私と離れた方が良いのでは…!?


何が私がいなくなっても大丈夫!だ。上から目線過ぎるな私!?


教育者としての自信を喪失しそうになりながらも、彼が出した答案用紙に丸やバツをつけていく。


卒業するまでに、なんとか赤点だけでも回避出来るようにしてあげたいなぁ……。


毎回ビクビクとテストの返却に怯える影山くんを救ってあげたい。





「……先生。」


「あ、影山くん。卒業おめでとう!!」


「……先生も。」


「私はまだ卒業じゃないよ、1、2年生の授業だって残ってるし。」


そう話して、胸元に花をつけている彼を眺めていると、違和感を感じる。


よくよく学ランを見たら、ボタンが1つ残らず無くなっていた。


「え!?嘘!?あははは!!」


「?なんすか。」


「ボタン!!全部無くなってる!!」


「あぁ……なんか、追い剥ぎに遭いました。」


「追い剥ぎ!!」


確かに、全体的に見てもボロボロだ。髪の毛もボサボサしてて、なんとか抜け出してきたって感じ。


「先生は何でこんなとこ。」


私がいたのは卒業式を終えて、写真やらなんやら撮りあってる皆から離れた場所。


人目にもつかず、教え子たちが卒業することもあって、少しだけ感傷的になっていた自分にぴったりだと思って来たのに、なんで見つかったんだろう。


「仲良かった子達とは写真とか撮りあったし、……その、あんまり皆と居ると寂しくて仕方なくなっちゃうから、離れてた。」


「……そっすか。」


「影山くんもありがとね、3年間。プロに行くんだっけ?頑張ってね!バレーテレビでやってたら見るようにする!」


「……うす。」


ふっ、と息をつくように笑った影山くん。彼の笑顔は珍しい。そして美しい。モテるだけあるなぁ。


「……先生。」


「うん?」


「いつか、会いに行きます。」


「え?」


「先生が来月からどこに行くのか知らないけど、……教えても貰えねぇけど、探して、見つけて、会いに行きます。」


え、なんで。と言う言葉は咄嗟には出なくて。桜舞い散る中、ただただ慈しむようにこちらを見ている影山くんに見惚れていた。


「……これ。」


「……っえ?」


徐に差し出してきたのは、ボタン。


「……第二ボタンって、なんか特別なんすよね。」


「え、あ、うん。好きな子にあげたりとか、する……やつ…………。」


自分で言ってて、あれ?と疑問を感じ始める。そして


「じゃあ、あげます。」


にっ、と笑ってそう言い放った彼。それは、自分が何を言ってるのかわかってて放った、あげます。だった。


ぽかん、と口を開けて固まる私に彼は笑いながら近づく。


「…………いつか絶対、会いに行くから、」


くいっ、と顎先を掬われ、近すぎる距離でかち合う視線。


あ、それは流石にまずい、なんて思う頃にはゼロになった私たちの距離。


柔らかな感触は、ゆっくりゆっくり時間をかけて離れて、


再び綺麗な、そして少しだけ熱を孕んだ藍色とかち合う。


「………迎えに行くその日まで、待ってろよ。…名前先生。」


え、名前。


初めて呼ばれた名前に動揺し、走り去った影山くんを追うことは叶わなかった。


残されたのは真っ赤になった私と第二ボタン。


そして、私を甘く優しく縛る影山くんの言葉だけだった。

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