感情の捨て方

「名前?」


「ぅぉっ、…………お、おはよう。」


「ん、おはよう。」


洗面所で顔を洗っていたところ、ぬっ。と寝癖をつけながら現れた焦凍くん。


未だに名前呼びは慣れていなくてドキッとしてしまう。現場や事務所ではヒーロー名呼びだし。付き合う前だってずっとヒーロー名だったから仕方ないけれど…………。


「今日はオフだよな?」


水の滴るいい男。顎先から滴る水滴がなんとも色気があって、朝からなんと刺激的な。


タオルで顔を拭きながら聞いてきた焦凍くんに頷く。


「今日は別の事務所が担当だから。…………日用品だいぶ無くなってきたし、…………買い物行ってくる。」


うちの事務所のように、人数の少ない事務所はいくつか集まって担当区域を順番に担当する。


昨日までがうちの担当だったので、今日は休み。相当緊急な案件でない限り出動も無いだろう。


「なら俺も行く。」


「え?」


「いつも任せっきりだし、今日は何もねぇから。」


「そっか………………じゃあ、」


と思ったが、焦凍くんと街を歩けば目立ってしまうのでは?と気づいてしまった。


別に日頃プライベートで全く外に出てない訳では無いが、いつもは夜に雄英時代の子達とご飯行ってくる、とか。飲みに行ってくる。とか。夜に出歩くことが多い。


しかしながら昼間に出てしまえば、その目立つ紅白頭が人の目に触れてしまうのでは。


「………………焦凍くん、目立っちゃわないかな?」


「そうか?帽子とかマスクとかつけていけば大丈夫だろ。」


「…………かなぁ?」


なんとも不安だ、日頃現場で女性ファンに囲まれる彼を見ているからだろうか。あれがプライベートでも起こり得そうだと確信すらある。


まぁいざとなれば私も彼も一応ヒーローだ。逃げようと思えば逃げられるだろうし、いつまでも焦凍くんには買い物に行かせない。なんて困ってしまうので良い経験だ。そう考え直して私達は外へ行く準備を進めた。





「どうだ?」


「…………………………うん。」


帽子にマスク。確かに大部分は隠れていて一目では中々分からないかもしれない。


しかしながらその端正な顔立ちは隠しきれておらず、なんなはマスクのお陰でお顔の小ささを見せつけてしまっている。


「………………………………………………凄いな。」


「は?」


もはやここまでくると造形美だ。高い鼻も小さいお顔も、綺麗なオッドアイも薄い唇も。何一つ欠けてはいけない造形美。


綺麗なお顔を至近距離で見て、しみじみ思う。凄いなこの顔面。


「な、なんでもない。…………じゃあ行こうか。」


私もマスクをつけて、エコバッグを鞄に突っ込み、2人並んで玄関へと向かった。





「あとは?」


「あとは…………ティッシュと…………柔軟剤と…………。」


焦凍くんが持ってくれているカゴへ、予め買うと決めていたもの達をポイポイ入れていく。


「…………いつもこんなに買ってたのか。重くねぇのか?」


こんもりと山になってしまっているカゴを覗いて、目を丸くしている焦凍くん。


日頃あまり休みがしっかり取れないので、どうしても買い溜めになってしまうのだ。この量は免れない。


しかしながら重くねぇのか?と言う発言は些か頂けないな。


「…………私を誰だと思ってるの?」


冗談交じりにマッスルポーズをしてみせると、


「…っはは!!それもそうだな。」


そう言って焦凍くんは笑った。





「そう言えば気になってたんだけど、」


「うん?」


一度車へ荷物を置きに来た私達。次は食料品だ。


「この車って名前が持ってきたのか?」


そう言って目を向ける未だに綺麗な車。焦凍くんはまだ免許を持っていないので、運転するのは私だけだ。


「いや…………エンデヴァーがお祝いにくれた。」


「そうだったのか。…………新しいよなとは思ってたけど。」


元々事務所の車しか運転して来なかった故に、自分の車は持っていなかった。不必要だったし。


しかしながら事務所を立ち上げる際、都心でもあるまいし、車は必要だろう。となってエンデヴァーが事務所や土地と共に車までくれた。ここまでくると金銭感覚が少し心配になってくる。


本当に、最後の最後までお世話になって。なんなら事務所立ち上げてからも色んな事で聞きに行ったり、尻拭いをしてもらって来た。エンデヴァーにはこれから先も頭が上がらない。


「エンデヴァーはうちの事務所のスポンサーみたいなものだから。…………仕事として失礼な態度は取っちゃ駄目だよ。」


「…………………………。」


「焦凍くん?」


「………………………………………………。」


「焦凍くん???」





駐車場から戻ってきて、今度は食料品。これまた沢山買って帰らねば。


「まずは?」


「まずはー…………。」


スマホに残したメモに目を滑らせる。よし、


「まずは野菜から…………って、」


隣に立つ焦凍くん。…………の服の裾を掴む子供。


「お母さん!!ショート!!」


「…………………………あ。」


やべぇ。そんな顔をした焦凍くんと私。


すると駆けてきたお母さんらしき人が慌てて子供の手を離させる。


「す、すいません!!この子ショートの大ファンで…………。」


「あ、いえ……。」


「ショート!!サイン頂戴!!」


「あー……。」


基本的にプライベートでの対応は避けることとしているが、子供にそれは通用しないだろう。諦めた私は彼に頷く。


「わかった、どこに書く?」


しゃがみこんで聞くと、嬉しそうに目を輝かせる子供。


……………………ヒーロー、だなぁ。


見ていてなんとも微笑ましい。女性人気がどうしても目立ってしまうが、ショートはちゃんと子供人気も男性人気もある。


それにお年寄りからの支持も厚く、彼は基本的に酷く優しいので目に入る困った人全員に手を差し伸べる。その姿がちゃんと世の中に評価された結果だ。


騒ぎにならないのなら、迷惑な行為をされないのであれば、こうしてプライベートでもヒーローとして対応出来るのだが。


「…………え!?待って!?ショートじゃない!?」


「マジ!?!?きゃああ!!ショート様!!」


聞こえた声に振り向くと、こちらに駆けてくる女性たち。


彼女達の声は周囲の人々に聞こえていたようで、伝染病のように広がり多くの人がこちらに駆けてくる。


や、やば………………こ、これがショートの人気…………。


迫る人々に唖然としていると、


「……え?待って?ヒーロー名じゃね!?」


「…………本当だ!!え!!超レア!!仮面付けてないじゃん!!」


ば、…………バレた!!


「っショート!!」


「あぁ、…………買い物は諦めよう!」


サインを書き終えたショートは、私に向き直り頷く。


向けられる沢山の好奇の目とスマホから逃げるために、私達はその場を急いで離れようとしたが、


「待ってよヒーロー名!!素顔もっと見せてよー!」


「ヒーロー名!!やっぱ可愛いー!写真撮らせてください!」


向けられたスマホ。や、辞めて……咄嗟に腕を顔の前に出して顔を隠すが、


それより大きな影が自分の前に立ちはだかり、


「……ヒーロー名を撮るのは辞めてください。」


「しょ、…………ショート……。」


「……俺なら、良いので。」


そう言って帽子もマスクも取ったショート。


晒された造形美に周りから黄色い悲鳴が聞こえる。


そんな事……っ!!


なんとも情けない上司で申し訳ない。守ってもらって、身を隠して。


それでも、それ程に、人目に晒されるのは怖い事で嫌いな事だ。だからあの仮面とマントを身につけている。


ごめんね、ショート。ごめん、ごめん。


彼の背中に隠れるようにして身を隠す。しかし、


「ちょっとぐらい見せてよ、ヒーロー名!」


「えっ…………。」


ぐいぐい、腕を引っ張られる。ちょ、や、やめて……!


「滅多に見られないんだからさ!」


こ、これが世の中に蔓延る過激な人達…………ヒーロー界でも過激なファンは困るよね、なんて話は日常茶飯事だ。確かにこれは、困るし怖い。


「や、辞め…………、」


そう言うと私の体は強く引き寄せられる。


「…………ヒーロー名には触らないでください。」


「え……。」


「しょ、ショート…………?」


鋭い眼光。睨みつけるように窘めるショート。


そんな表情ヴィラン以外に見せるとは。私も民間人も思っていなくて驚いてしまう。


「…………帰ろう。ヒーロー名。」


「う、うん。」


そう言うとショートは強行突破で人混みを抜けていく。すると直ぐに警備員達がやって来て、遅くなってすいません!なんて声をかけられながら、彼らがファン達を抑えていくのを遠目に見ていた。


「…………ありがとう、焦凍くん。」


やっと人目から離れて、彼にお礼を言う。咄嗟に守ってくれた。


「いや…………にしても度が過ぎてたなあの人達。無理やりヒーロー名の顔見ようとするなんて……。」


未だに鋭い眼光。余程怒っているようで、彼は本当にヒーロー名を大事にしてくれているなぁ。と私は嬉しくなってしまう。


「ごめん、私ももっと抵抗するべきだった。」


日頃はもっと不気味な格好をしているし、仕事中なので無視する事なんて日常茶飯事だ。しかしながらプライベートであんなにも近寄って来られてしまうと、振り払おうにも振り払えない。何人かの腕を折ってしまいそうだ。


「名前は何も悪くねぇよ。…………買い物出来なかったな。」


「……仕方ないよ、違うスーパー行こうか。」


ん、と彼が頷いたのを見届けた瞬間。



rrrrrr!!!!


腕時計式の通信機器が鳴った。緊急通信。


「こちら、ヒーロー名。」


瞬時に出る。するとヴィランが暴れていて、バラバラの場所で暴れているため人手を要するとの事。


隣にいたショートと目配せをして、場所を聞くと、なんとこの場所のすぐ近く。


なんならこのショッピングモールの目の前。


了解。とだけ伝えて私達は来た道を急いで戻った。





先程私たちが囲まれてしまった場所へ戻ってくると、既にそこは民間人とヴィランによって混乱を極めていた。


「ひ、ヒーローはまだか……!?」


「た、助けてヒーロー……!!」


遠目に確認出来る個性は、手先が刃物のように尖り、それを辺り一帯切りつけ周り暴れている。


なにか目的があって暴れていると言うより、個性を誇示したいが為。ヒーローに勝ってやったという自己満足のために暴れているようにしか見えない。


よくいる輩なので、思想はなんとなく目星がつく。が、理解はできない。


「ショート。」


「あぁ、まずは動きを止める。」


「うん、あとあの手出来れば凍らせて欲しい。」


「わかった。」


逃げ惑う民間人へ腕を振るい続けるヴィラン。とりあえず目視出来る範囲では、未だ被害者は出ていなさそうだ。


「おらあああ!!!さっさと来いよヒーロー!!」


「ひっ!!た、たすけ、」


ヴィランが刃先を民間人へと向ける。


「…………あ。」


あの人は。先程私の腕を無理矢理にでも退かそうとしてきた過激な人。


とは言え仕事は仕事だ。どんな事をされたとしても、人をヴィランの手から救うのが私たちの仕事。だから、


「ショート、気持ちはわかるけど、」


「…………あぁ、仕事だろ!!」


若干ムッ。としていたショートに声をかけると、結局その表情を変えることはなく、ヴィランの手が届く前に氷結で動きを止めて見せた。


意外にも子供じみたところもあるなぁ。と可愛く思いつつもしっかりと指示通り手先まで凍らせてくれていて、流石としか言いようがない。


「……来たな!!しかも大物じゃねぇか!!俺の相手に最適な、」


やはり。予想通りその強靭な刃先で氷を割壊し、再び刃先を奮おうとするが、


欲しかったのはこの一瞬。民間人とヴィランの間に体を滑り込ませて拳を握る。


コスチュームじゃないから、グローブもマントもない。


しかしながら仕方が無い、緊急事態なのだから。


「俺はヒーロー名を倒したヴィランとして名を――!」


ゴリッ。


何か話していたような気がするが、勢い良く吹っ飛んで行ってしまって聞こえなかった。かなり良いとこ入ってしまったし。…………本当に、入り過ぎてしまった。なんかゴリって聞こえたけど大丈夫かな……。


「ヒーロー名!!」


駆けてくるショート。彼も無事そうだ、当たり前か。


振り返り、民間人の様子を見る。とりあえず怪我は無さそうに見えるけれど、


「怪我はありませんか、見たところ無さそうに見えますが……。」


「…………ぁ、あの、」


「はい?」


「す、すいませんでした…………さっき、その、」


「あぁ…………あれはもう大丈夫です。それより怪我は。」


「あ、ありません!!」


「なら良かった。ヴィランが暴れたせいで所々建物内傷つけられています。気をつけてお帰りください。」


そう伝えてゆっくりと立ち上がり帰り始めたのを見届け、警察が来るのを待つ。


するとバサッと何かを掛けられた。


「……あ、ありがとう。」


「…………いや。完全に忘れてた。コスチュームの意味。」


掛けられたのはショートの上着で。吹き飛んでしまった右腕から肩にかけての服に対してだろう。相も変わらず気もきいてしまうイケメンだ。


「あのマント、衝撃防止だったよな。」


「そう、マント無いとコスチュームでもない限り服は一緒に吹き飛んじゃうんだよね。」


腕は流石に吹き飛ばないが、ヴィランを殴る際表面上衝撃はこちらも受けてしまうので、その衝撃から守るのがあのマントの役割だ。


しかしながら今日はコスチュームでは無い。なので使った右腕から肩にかけて服は吹き飛んでしまった。…………もうこの服は着れないな。


ショートに貸してもらった上着に腕を通していると、やってきた警察。


状況を報告して、ヴィランを引渡し、私達は既に食料品を買いに行く元気も無くそのまま家に帰った。





「…………俺は、まだまだだな。」


「え?」


お風呂を上がり、ソファーでぼけっとしていると聞こえた反省のようなものに首を傾げる。これ以上無いサイドキックだと思っていたのは私だけ?


「感情を捨てきれなかった。仕事だと思っても、あの民間人には腹が立ったままだった。」


「あぁ……。」


その事か。とはいえちゃんと行動は出来たんだ、充分だと思う。


「……ヒーロー名は、イラついたりしねぇのか?」


「…………………………する、けど。…………いつの間にか仕事になると、感情捨てるのが当たり前になってたから…………今はあまりそう言うので困らない、かな。」


「……そうか、……俺は、まだまだだな。」


「……これからだよ。…………それに、怒ってくれるのは…………私は嬉しかったよ。」


好奇の目を向けられるのは、本当に苦手なのだ。それを私の代わりに、なんなら私以上に怒ってくれたのは本当に嬉しかった。


「…………ヒーロー名は俺を甘やかし過ぎだ。」


「えっ!?そ、そうかな……。」


「あぁ。」


そう言って後ろから抱きつくようにして私の肩に頭を埋める焦凍くん。甘やかし過ぎ…………そうかな…………もっと厳しく…………?いやでも厳しくするとこ無いしな……。


「…………俺ももっとヒーロー名みたいになりたい。」


「私見たいって…………どういう……?」


「…………もっと近寄りにくい感じに。」


「!?」


「今日民間人に睨んだのとか、報道されねぇかな。印象悪くなっても良いから。」


「い、いやいや。印象は良い方が…………。」


子供にも泣かれないし…………不気味なヴィランクラッシャーとか呼ばれないし…………。


「…………名前にだけ印象良く見えてれば良い。」


そう言ってぐりぐりと肩に頭を押し付けて甘えてくるこの年下は、あざといと言う言葉を知っているのだろうか。


そして後日。あの日の出来事は焦凍くんの願った通り報道された。


しかしながらその内容は、『ショート、メディア嫌いなヒーロー名をその身で守る!!デキる男はやはり違う!』なんて見出しで書かれていて。


SNSなんかで見ても、『ショートの記事見たけど、まじ彼氏力高すぎ!!ヒーロー名に触らないでくださいとかカッコよすぎるんですけど!!』『上司に対してあそこまで言えるとか、惚れる!!ちゃんと周りの人を大事にしてて、好印象でしかない!!』なんて。


それを見た焦凍くんの眉間に皺が深く深く刻まれたのは、言うまでもない。

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