及川くんごめんね

「もしもし?」


『もうすぐこっち出る、あと明日オフらしい。』


「え!?そうなの!?」


『あぁ、……でも悪い、明日はちょっとやりたい事あって……』


「……そ、そっか。わかった、平日だしね。」


『ごめん、ありがとう。じゃあ切るな。』


「飛雄?」


『……なんだ』


「前向いて行きなね」


『……っおう』


切れた通話。私の言葉は飛雄にどんな意味をもたらしたのかわからない、でも声色から下を向いているのがわかった。


どんな状況かなんて知らないけれど、もうすぐ春高予選。悔いの無いように前だけ向いて進んで欲しい。


こんな綺麗事ばかり言えるのは当事者じゃないからなんだけどね、と少しだけ笑って、夕飯の材料を買いに家を出た。




ガチャ、と玄関が開かれる音がして見に行くと、そこに居たのは飛雄。


しかしその姿は痛々しく、何があったのどうしてそうなったのと聞きたくなってしまうが、きっとそんな事飛雄は望んでいない。


「………おかえり、ご飯出来てるよ」


私に出来るのはこんな言葉をかけて、腕や頬に傷を負って帰ってきた飛雄を抱きしめてあげる事だけだ。


暫くしても動かない、話さない飛雄の腕を引き、ダイニングに座らせる。ご飯を目の前に出して、食べなさいと促す。


静かにご飯を食べ始めた飛雄。その姿に少しだけ安心する、酷い時はご飯も食べれず眠る事も出来なくなってしまうから。


食べ終わった事を確認し、お風呂へ行かせる。


「絆創膏とか取っても大丈夫なら取って傷口綺麗にしてきな?」


「………。」


少し考えて絆創膏を剥がす飛雄、想像以上に痛々しい傷達につい顔を顰めてしまう。


お風呂へ向かった飛雄を見送り、救急箱を用意しておく。あの傷ではしばらく貼っておかないと膿んでしまう。


それにしても何があったんだろう、充実した遠征じゃあ無かったの……?


そもそも電話の時点でなんだかいつもと違っていた、その時点でもう傷を負っていたのだろうか。


誰かと言い争って、喧嘩した、のだろうか……それも取っ組み合いの喧嘩。


心配になる、明日からまた学校なのに。これ以上傷を増やして帰ってこないといいんだけど……


なんて考えているとお風呂から飛雄が戻ってきた、いけない、私がこんな顔してたら。辛いのは飛雄なのに。


「……絆創膏、貼り直して欲しい」


「ん、そこ座って」


救急箱からガーゼや絆創膏を取り出す。大人しく座った飛雄は元気がない分いつもより小さく見えて、幼い頃を思い出してしまう。


ペタペタと飛雄の顔や腕を取り、貼り付けていく。こんな時でさえ綺麗な顔してるよなぁ、なんて事を考えてしまい自分で自分に引いてしまった。


「………聞かねぇのか」


「え?」


「何があったのか、聞かねぇのか」


「聞かないよ、飛雄が話したくなったら話してくれたら良いよ」


そう言うと、泣きそうな顔をする飛雄。え、泣かせてしまっただろうか。


「名前は、……いつもそうだよな」


「いつも?」


「うん……俺の気持ちをいつも考えてくれてる」


「そりゃあ大事な大事な飛雄だからね、傷つけられるのも傷つけるのも嫌だよ」


だから少しだけ、飛雄にこんな傷を負わせたのは誰なんだって怒りはあるよ。なんて言葉は胸の奥に仕舞う。


きっと飛雄も何か思うところがあって、自分にもたぶん非があるって思っているから辛そうな顔をしているのだろうから。


もしかしたら怒られるべきなのは飛雄の方なのかもしれない、彼らはまだ高校生。過ちだって沢山するだろう、それを長い目で見守るのが大人の役目だ。


「……遠征中、日向が速攻をやる時に目を瞑るの辞めたいって言い始めた」


「あの変人速攻?」


「ん。……でも今は俺が100パーセントあいつに合わせてるから出来てる訳で、あいつの意志まで入ってきたら合わせられる気がしねぇ。」


「確かに……ボールを目で追っちゃうだけで精一杯だろうに。」


「コーチにも菅原さんにも俺が正しいって言われた。……でも、あいつは曲げなかった。それで言い合いになって取っ組み合いになって……」


日向くんと取っ組み合いになったのか。……?にしては頬っぺの痣は痛々しい。日向くんは意外とパワー系?


「近くにいた谷地さんが田中さん呼んできて、俺も日向もぶん殴られた。それでやっと、冷静になれた。」


あ!田中くんだったんだ!!それなら納得だ、何故なら頬っぺの痣が1番痛々しい。日向くんにあそこまでの痣をつけられるとは考えにくい。


と言うか、谷地さんと言うのは


「谷地さんって新しいマネージャーさんの名前だよね?」


「あぁ、速攻の練習でボール出しして貰ってた」


そ、そんな割と知り合ったばかりの女の子に乱闘を見せたのかお前は……!!


しかも片や180センチ越えの大男、怖すぎるだろそれ!!


「……その子は大丈夫だった?怪我とかしてない?」


「あぁ、俺と日向だけ。」


「良かった……女の子の顔に傷でも負わせたら、結婚しないとだよ」


「そうなのか!?」


「知らないの?顔に傷があると嫁に行けないーってなるから、責任取って結婚するもんなのよ、……って言っても昔の話……何してんの」


「顔に傷つけようかと」


「なぜ私!?」


「結婚しないといけなくなるんだろ」


「どういう事!?と言うか元気になったんなら、速攻の事考えなさい!!」


突如拳を握り私の顔を掴んだ飛雄に驚いたが、元気になったようだしこれからの事を考えて欲しい。


「……どうしたらいいのかわかんねぇ」


「うーん……日向くんは絶対やりたいんだよね、目を開けた速攻」


「みたいだ。でもどうしたら……」


「………こんな時はさ、経験豊富なお兄さんに聞いてみたら?」


「?」


「及川くんとか」


「あの人が俺に会ってくれる訳ねぇだろ」


「あははは!!よく分かってるねぇ」


即答された内容に笑ってしまう。及川くんは徹底して飛雄の事が嫌いだ。しかし飛雄もまた及川くんの事が怖いし苦手である。ある意味相思相愛だ。


「じゃあさ、私の名前を使わない?」


「名前の名前?」


「そそ、私連絡先知ってるからさ、」


ごめんね及川くん。でも私は飛雄ファーストなので飛雄を優先するのです、ごめんよ。と一応心の中で謝りながら、私の作戦を実行に移した。





「ねーぇーまだー?」


「もうちょっと待って!もうちょっと待ったらね、すーっごい美人が来るから!」


「?この間彼女と別れたって言ってたじゃん」


「彼女とは違う人!!って言うかそんな事覚えてなくていいよ!!」


「彼女とは違う人と会うの?浮気してたの?」


「違うよ!?って言うかそんな言葉どこで覚えてくる訳!?」


遠目に連れている子供と言い争う及川さんの姿が見える。


大きな声で話しているので丸聞こえだ、美人が来るって完全に思い込んでる。俺が現れた瞬間の顔を想像して、既に嫌になる。


しかしこれは名前が作ってくれた貴重なチャンス、無駄にする訳にはいかない。


「及川さん」


「げぇっ!?飛雄!!……なんでいんのさ」


「……名前は来ません」


「……は?」


「名前じゃなくて、俺が話したい事があるので来ました」


「……なるほどね、名前ちゃんが誘って飛雄が来るってことね……って納得出来るわけないだろ!?」


ぐわああっとキレ始めた及川さん、連れている子供もドン引きだ。


「まぁね!?ちょっとね!?おかしいなって思った所はあったよ?月曜日の夕方じゃないと会えなくて、でもすぐにでも話したくて少しだけでいいから会ってくれないかな?ってなんかおかしいなって思ったよ!?」


でもこんな事ってないじゃん!!!と叫んだ及川さんは通行人の人々にチラチラ見られてる、俺まで目立つからやめて欲しい。


「そりゃ名前さんすっっっごい美人だから少しでも話せたらいいなぁって思うじゃん!?なのに来たのはクソ生意気な飛雄って!!酷いよ名前さん!!」


「あの、そろそろ話していいっすか」


「良いわけないだろ!?話なんか聞かないもんね!!ばーかばーか!!」


そう言って歩き出した及川さんを追いかけて、話を聞いて貰えるようになるまで数十分掛けることとなった。





夕方、家に帰ってきてから携帯を開くと及川くんからのメールが1件。


うわぁ……怒ってるかなぁ……?と恐る恐る開くと、飛雄が及川くんに頭を下げた写真。及川くんぶれてて笑えてしまう。


『酷いよ名前さん。お詫びとして今度デートして下さい!!』


最後に怒った絵文字までつけてきた及川くん。ごめんね、利用してしまって。お詫びなら致します……と文字を入力する


『ごめんなさい、デートしましょう!及川くんに合わせるよ!』


送信。デートだと語弊があるか、もっとシンプルにお出かけ、とかにしておけば良かったなぁ。私にデートって言う分には良くても言われるのは嫌かもだし……。


「ただいま」


「うわぁ!?お、おかえり!!」


「何してたんだ」


「及川くんからのメールに返事してた、どう?聞けた?」


「…………おう。」


「なら良かった」


「及川さんからなんて?」


「お詫びにデートしろって」


「は!?い、行くのか……?」


「うん、行ってくる。流石に悪い事しちゃったしね、あははは!!まぁデートって名ばかりでただご飯行くだけだと思うけど」


「………及川さんだけは、辞めとけよ」


「わかってますよ、前も言われたし。ただ遊びに行くだけ!」


そう言っても嫌そうに顔を歪める飛雄。どんだけ及川くん嫌いなの?姉ちゃん笑いそうなんだけど?


「………わかった」


「そう言えば、方向性は見えたの?速攻の」


「おう、コーチとも話して見えてきた。難しいだろうけど、必ず出来るようになってみせる。」


「いいね、飛雄が生き生きしてる!!飛雄のそういう顔好きよ!」


「そうかよ、見とけよ春高。びっくりさせてやる。」


キリリっとした顔に今日もかっこいいねぇとにやける私は少なくとも、飛雄がまた前向いて歩き出した事に安心していた。