++理性と本能の境目/天道輝



 天道さんが、私に視線を向けていると感じることがある。目線が合うと私を見ていないとでも言うようにしらばっくれるときも、軽く手を振ってくれるときもある。あとはやたらと距離が近い。彼がつけているムスク系の香りが分かるぐらい。書類を提出しようとキーボードを打っているとき、するりと横に来る。髪の毛を切ったときはすぐに気が付いて、似合ってるとよく微笑む。まめにメッセージをやりとりするし、事務所内で戯れに指を絡ませてきたり、頭を撫でてきたり。
 天道さんは私のことが好きだ。恋愛的な意味で。たぶんこれは私の思い上がりじゃない。だけどその好意を素直に受け止められないのは、私と彼の関係性ゆえだろう。彼は売り出し中の波に乗ってきた新人アイドル。かたや私は彼の所属するプロダクションのプロデューサー。今その好意に答えてもし事務所内ならともかく外に知られてしまったら。天道さんだけでなくこのプロダクションにも火種が飛ぶ。
 彼の私を呼ぶ優しげな声も、想像よりも大きくペンだこがぽこりと出た手も、ステージ上できらきらと輝く姿も、営業で上手く行かなかった時に慰めてくれるのも、笑うときにくしゃりとする表情も、細やかな気遣いをしてくれるのも、私が怖い顔をしていると冗談を飛ばしてくれるのも、好きだ。だけれど、この感情は心の奥底で封じなければいけない。時間が経てば彼だって考え直すだろうし、その時には私よりもずっといい人を見つけるに違いない。彼の視線が私に向かなくなったその時、私の胸はちくりとするだろうけれど。これが正しいのだ。そう言い聞かせることにした。





「天道さん、もうちょっとで家着きますから」

 ドラマ撮影の打ち上げで随分と飲み過ぎてしまった彼は、足元も覚束無いような状態だ。彼の前はドラマの監督だったし、彼自身もお酒を断るに断れなかったのだろう。打ち上げ中はなんとか保っていた彼だけれど、それが終わると気が抜けて一気に酔いが回ったらしかった。
 彼の腕を肩で支えながら階段を登る。起きているとは言え、半分意識が飛んでいる成人男性を運ぶのは中々骨が折れる。強いアルコールのにおいと、ムスクのにおいが混じる。ふらふらとあっちに行ったりこっちに行ったりしそうな彼をどうにか引き留めながら着実に歩みを進めて、ようやっと部屋の前に着いた。私がプロデューサーになってからというもの、何かあったときのために彼から渡されていた鍵で扉を開ける。これを使ったのは今日が初めてだった。
 がちゃりと鍵を開けて彼と共に玄関に入る。廊下の薄明かりのおかげで何となく見えるけれど、たぶん扉を閉めてしまったら目が慣れるまで何も見えなくなるに違いない。スイッチはどこだと探して見つけて足を踏み入れた瞬間、手首を力強く掴まれた。がちゃん、とドアが閉まり何も見えなくなる。やったのは彼だ。天道さん?、と彼の名字を呼ぶ。しかしそれは応えられることなく、ドアに手首を、足の間に彼の足を挟まれて縫い付けられる状態となる。まだ暗くてよく分からないけれど、彼が随分と近くに居ることはよく分かった。呼吸をする微かな音と、アルコールの含んだ呼気。熱すぎるぐらいの体温をひしひしと感じる。彼は何も言うこと無く、私の唇に自身のそれを重ねた。ざらりとした髭の感触。押さえ込まれた手首は指を絡めるものに変わる。まるで恋人同士が行うそれだった。

「天道さ、」
「名前が、好きだ」

 目が暗さに慣れてきた。真っ直ぐと私を見つめる目。ほんのりと赤くなった顔はアルコールのせいなのか。くしゃりと額に近い私の髪の毛を彼が撫でる。
 悪い、と彼が言う。嫌なら逃げてくれ、そう言うけれど、彼は私の指を絡めたまま。それを離す様子は見られない。心臓がどくどくと速く動く。彼は苦しそうな表情をしながら、吐露する。今まで私のことが好きだったこと、私との関係ゆえにこの思いは成就しないだろうと思ったということ、それでも想いは変わらなかったこと。一つ一つ自分の気持ちを確かめるように、私に告げる。

「……私も、天道さんが好きです。でも、」
「俺がアイドルで、名前がプロデューサーだからか」

 それに私は目をわずかに下に反らしながら頷いた。彼と同じ思いであったとしても、アイドルとそのプロデューサー、その壁は高く容易に超えられるものではない。彼らを多くの人に知って貰いたい。彼らの曲でたくさんの人に勇気づけられて欲しい。その思いがある手前、自身が担当するアイドルと恋愛関係になるなんて。彼らのキャリアに傷が付いてしまったら、そう考えると無理だった。
 彼が唇を噛む。アイドルの唇が切れたら仕事に影響してしまう、と制止するように彼の唇に手を遣る。

「すみません、天道さん。明日からは普通の、」

 アイドルとプロデューサーの関係に戻りましょう、そう言う直前に彼が遮る言葉を放った。今日だけは、彼が言葉を紡ぐ。嫌なら逃げて欲しい、彼は指を強く絡め直した。口づけが降ってくる。今度は額に、耳元に、首筋に、肩に。もう一度正面を向いた彼の目は潤んでいるようにも見えた。そして再び唇を重ねる。しゅるり、と彼がネクタイを緩める音がした。深く口付けると、唾液同士が混ざり合う音と、歯がかちんとぶつかり合う音。互い息をし合う音。狭い玄関の中には二人分の熱気が充満していてそれにあてられて身体も熱くなる。私の腰に遠慮がちに添えられた手。私が彼の背中に腕を回すと、その腰に回された手が強く私を抱き寄せる。








お題箱より。大人の色気を見せつけてくる天道輝。
20170811


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