++いちご大福


 春の穏やかな陽気も一瞬で終わりを告げた。5月の序盤だと言うのに既に長袖の服を着ていると暑いのだから、本格的な夏となったらどうなるのだろうと今から恐ろしい気持ちになる。西日が入る事務所は窓を開けているが、やはり日が照るせいか暑いものだ。温くなったお茶を飲みながら、椅子を少し後ろに引いてディスプレイを眺める。何事も俯瞰して見た方が上手くいく。背もたれに体重をかけるとぎしりと椅子が軋んだ。
 ディスプレイには半年後に展開予定のグッズのデザイン案が並んでいる。プロデューサーが案じているのはそのグッズ案のことではなく、それとは異なることだった。
「——どうしたのプロデューサーちゃん、浮かない顔して」
「色々ありまして……」
「気になること言うねえ」
 山下の茶々にプロデューサーはぎこちない笑みで応えた。
 プロデューサー以外に事務所にいるのは山下だけだ。ソファにゆるりと腰掛け、来期からのドラマの台本を手に持っていた。プロダクションの面々も何人かが出演しているドラマで、1週間ほど前から撮影が始まっている。テレビ局完全オリジナルの脚本だが、ストーリー構成に定評があることで有名な脚本家が執筆をしている。その脚本家が執筆をされているとなれば毎週録画をして見ているプロデューサーだ。プロダクションのアイドル達が抜擢されたことに喜びもひとしおではあったが、今はそのことが頭の片隅に追いやられるぐらいには頭を抱えざるを得ない案件があった。
 最近プロデュ―サーを悩ませることと言えば百々人のことだ。先日、百々人から進路の話を聞いたプロデューサーだが、色々なことを一気に言われすぎて頭がはちきれそうだった。立場上、学生のアイドルから進路相談を受けることはままにあったが、百々人のそれは今までで一番重かったと言っても過言ではない。
「次郎さんって、教師されていたとき三者面談されてますよね」
「してたけど」
 山下はいつの間にか台本を閉じていた。なんだかんだ山下は面倒見が良いのだ。話を聞くことが上手いということもある。
「でも俺たちも進路相談の専門家ってわけじゃないからねえ。言っちゃ悪いけど、自分の担当教科の準備の片手間にする生徒の進学先のことなんて、インターネットで調べるぐらいのこととか、実際進学した生徒が学校来たときに話聞くぐらいのことしか分からないよね」
「そういうものですよねえ」
「なにプロデューサーちゃん、行くの三者面談?」
「はい」
「今年受験生だったら、くろのとか?」
「あと百々人さんで……」
「あ〜」
 山下は間延びしたような声を発した。
「くろののことは、勉強を教えるついでに本人から何となく話は聞いてたからねえ。これからも事務所にいると思うし適任はプロデューサーちゃんかなとは思ってたけど。はなぞのかあ」
 少し含みのあるような言いぐさだった。ユニットは違えど、同じ事務所に所属して1年は経つ。何か思うところがあるのだろうか、とプロデューサーが考えていると山下が口を開いた。
「半年くらい前かな。夜9時過ぎぐらいなんだけど、はなぞのが事務所の前に座ってたのを見たことがあって。その時ははざまさんとるいと一緒にいて、プロデューサーちゃんいるかなって思って事務所に荷物取りにいったんだけど。はなぞのが声かけてほしいのはプロデューサーちゃんだなって思って、とりあえずプロデューサーちゃんに連絡して帰ったことあって」
「ありましたね……」
「それより前から、はなぞのって少し危ういっていうか、ぎりぎりのバランスでどうにか保ってるみたいな感じだなって思うことがあって、少し気にかけてはいたんだけど」
「次郎さんって、結構するどいですよね」
「まあね、元教師の勘っていうのもあるかも」
 その時のことはよく覚えている。山下から連絡が来たとき、付き添いの撮影の収録が押しており、担当していたアイドルを送り届けたあとのことだった。「事務所の前にはなぞのがいるから、もし戻ってくるなら声かけてあげて」というメッセージを見たとき少し驚いたが、これから事務所に戻るので、とすぐさま返信をしたのだった。急いで戻り、事務所の階段を登ると百々人が体育座りをしてスマートフォンを見ていた。プロデューサーに気が付くと顔がぱっと明るくなった。その頃は秋が深まってきた時分で、厚手のコートを羽織っていた。ビルの踊り場は空調がきいておらず、その中で一人でじっと座って待っていたのだ。コートとマフラーがあったとは言え寒かったに違いなく、こんな寒いところで、と手に触れるとやはりひんやりと冷たかった。そのあとにプロデューサーは、戻ってくるかも分からない私なんて待たないでください、と続けて言おうとしたが、ぐっと喉の奥に押しこんだ。ここで帰って来ないかもしれない人間を待つぐらいには何かがあったのだと気が付いたからだ。事務所の鍵を開けて中に入った。温かいココアを出して、とりとめもない話をしてその日は百々人を家まで送っていったが、実際何かあったからプロデューサーを待っていたのだろう。もしかしたら両親とのことだったのかもしれない。
 プロデューサーはアイドルたちの様子を気にかけるようにしているが、特に気にかけなければならないと考えている一人が百々人だった。百々人は不安定だ。感情の起伏が大きく、精神状態が体調やパフォーマンスに直結する。百々人とはいくつか共に仕事をしてきたが、プロデューサーに精神的に依存することで仕事のクオリティが上がるような節があることには薄々気が付いていた。
315プロダクションに所属しているアイドルたちは、自分たちで問題を解決していく力が強い。50名近くアイドルが所属している中で、申し訳ないが彼らをサポートする側の人員数は限られている。アイドル個々人の対人的な能力の高さに助けられていることもあるのも事実だった。しかし個々人の能力だけでは難しい場合もある。当人たちの間で解決できることであれば任せた方が良いが、そうでない場合に外部の手が介入されなければ潰れてしまう。今回の百々人の件はユニット内部でどうこうできる問題ではなく、外にいる大人が介入すべきだと判断した。
「だから、プロデューサーちゃんも今少し危ういような気するなって思うのよ」
 山下がSがでかでかと印字されたマグカップでお茶を啜った。それにつられてプロデューサーもすっかりと温くなったブラックコーヒーを口に含む。
「それも元教師の勘ってやつです?」
「そ、」
 のらりくらりと生きてきたように見える山下は存外人を見ている。柔和で人好きそうな顔からは想像ができないぐらい重いパンチを出してくる。狸のようなたれ目は、今はプロデューサーを直接見てはいなかったが、視線の鋭さは感じた。
 百々人から親から縁を切られたと聞いたとき、頭の上から重石が落ちてきたような衝撃を受けた。プロデューサーは今まで月並みな人生を送ってきた。肉親から縁を切ると言われるような経験など一度もしたことがない。
もとより純粋に百々人のことを知らなかったのだ。いつ絶縁するなどと言う話をしたのかも分からない。だがいつも何かにつけて事務所に訪れる頻度が多い彼が、普段と異なる様子だったことはこれまでの間に無かったように感じられた。
百々人の母親とは一度会ったことがある。スカウトしたアイドルが未成年であった場合は、その保護者に事務所について説明をし、アイドルとして活動することに対して了承を取る必要があるからだ。彼についても同じだ。事前に聞いていた住所から、家が都内の一等地にあることは知っていた。事前にアポイントを取り指定された日時に彼の家に伺った。建てられたのが最近なのだろう。黒い外壁をしておりどことなくシックな雰囲気が漂うマンションで、外から見えるエントランスは間接照明が施されていた。エントランスの前には金属の平べったい機械がある。オートロック付きのマンションでは良く見るタイプの、一階のエントランスに設置された機器から来訪者が各住戸を呼び出し、呼び出された側が遠隔操作でエントランスのドアを開錠するものだ。
保護者と話をするときはいつも緊張する。ジャケットの襟を直して部屋番号を入力すると、何回か呼び出し音が続き、画面越しに女性が現れた。百々人と似たような雰囲気を持つ女性で、プロデューサーはきゅっと唇を引き結びながらアポイントの件を話せば、「契約書やご説明の件は拝見しました。問題ないので必要書類は百々人に預けて、後日お渡しします」とだけ話をされた。百々人の母親と話をしたのはその一回こっきりで、本当にそれだけで話が終わってしまったのでプロデュ―サーは鳩が豆鉄砲を食らったような面持ちになった。多少は違和感があったが、それだけ百々人が両親から信頼されているということだろうかと、その時はそう捉えていたのだ。だが先日の百々人の話を聞けばその印象が一転する。百々人の両親は百々人を信頼して自由放任をしていたわけではない。ただただ彼の行動に興味が無かっただけだ。
「やっぱり個人のことだし、他人に口外しない方が良いってこともあると思うけどさ、でも一人で抱え込んだらプロデューサーちゃんも共倒れしちゃうでしょ。色々難しいことあると思うけど、少しぐらい吐き出してもいいんじゃない?」
「……そう、ですね」
 百々人ぐらいの年齢の子供は、良くも悪くも家族と学校の友人や先生が中心の人間関係だ。その中で居場所を探して安住できれば良い。だがプロデューサーが自分の当時のことを思い出すと、それが出来なければこの世の終わりだと思ってしまうぐらいには視野が狭かった。百々人の中には、家族と学校、そして事務所の3つの居場所があるだろう。そのひとつを手放して何とも思わないわけがない。何とも思わなくなるぐらいに心が傷ついているのだ。そしてプロデューサーは百々人が家族というものを手放したこと、彼が傷ついていることに気が付かなかった。一番近くにいた大人は自分自身のはずだ。それなのに彼の口から語られるまで、何も知らずにいたことがどうしようもなく情けなかったのだ。
 百々人は精神的にプロデューサーへ依存している。自分自身の一挙一動に百々人の心が揺れる。良いことか悪いことかと言えば、悪いだろう。315プロダクションのアイドルたちは、それぞれ目標がありそのための手段としてアイドルをしている。その中で百々人だけは異質なのだ。まるで、プロデューサーとの関係を保ちたいがためにアイドルをしているような、そう思わざるを得なかった。今回の一件で、もともと依存先として比重が高かった「事務所」という場所が、「プロデューサー」という人間が、より依存度が高いものとなってしまった。危ういとは思う。無くなる予定も居なくなる予定も今はさらさらないものの、この場所が、人間が居なくなってしまったとき、百々人は何を支えに生きていくのだろう。
 そしてなによりプロデューサーには、百々人を見出した責任があった。
「まあた難しい顔してる。……ほらプロデューサーちゃんいくよ、ちゃんと取ってね」
 ぽーん、と弧を描くように投げられたいちご大福がプロデューサーの腕に直撃する。大手食品メーカーのいちご大福だ。年間季節を問わずスーパーやコンビニなどの店頭に並んでいるのをよく見かける。鞄の中で押しつぶされていたのだろう、形が平べったくなっている。ずっしりとした重さをしたそれの後ろを見る。
「痛。どうしたんですかこれ」
「いちご大福。この前の収録で貰ったやつ。鞄の中に入れっぱなしで忘れてた。甘いものでも食べなよ」
「消費期限、昨日ですけど」
「えー、ごめん。でも1日ぐらいなら死なないし」
「良いこと言ってたのに、パアじゃないですか」
「じゃあ返して〜」
「ありがたくいただきます」
ビニールの包装紙を開けて、大きな一口でかぶりつく。甘いこしあんといちごの甘酸っぱさが口の中に広がる。和菓子にはコーヒーでは無くてお茶が飲みたくなる。一口分残ったコーヒーを飲み干してから立ち上がると、ついでに俺にもちょうだい〜、と図々しく言ってきた。山下のマグカップを奪う。



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