++豚しゃぶそうめん



「プロデューサー美味しそうなの作ってるね」
「見つかってしまいましたか……」
給湯室で煮立った大鍋を目の前にしたプロデューサーである。
うだるような暑さの中、事務所の扉を開けた渡辺は部屋の中の冷房が効いていることに胸を撫でおろしている。結った髪の毛、首筋からひと筋汗が伝っているので外は相当暑かったのだろう。
プロデューサーは微妙に余ったそうめんだか冷や麦をごちゃまぜにした麺と、豚肉を湯がく。鍋からもくもくと上がる蒸気とガスの火のせいで見ているだけでも暑いのだろう。渡辺は、少し慄いたような表情をしていた。
「食べますか?」
「良いなら食べるけど」
「どのぐらいほしいです?」
「ひと口」
料理など適当だ。見た目など腹に入れば皆同じだし、生肉を食して腹を壊すなどしなければどうにかなる、というのがプロデューサーの持論だが、人に差し出すというのなら勝手が変わってくる。
 豚肉の色が変わり、麺もちょうどいい柔らかさになってきたので、ざるに上げて水道水で洗い氷で締める。来客用のガラス製の皿とグッズ試作品のどんぶりを食器棚から取り出し盛り付ける。そうめんの上に湯がいた豚肉とチューブのおろし大根に生姜、その上から麺つゆを回しかければ完成だ。割りばしと一緒に渡辺に手渡す。
「ありがとう。暑いし冷たいお茶で良かった? 冷蔵庫の水出しのお茶貰ったんだけど」
「大丈夫です。ありがとうございます」
 パソコンに汁が飛び散るのが怖いので、プロデューサーは渡辺と向かい合わせになるようにソファに腰掛ける。いただきますと手を合わせて麺を啜る。やはりそうめんと冷や麦が混じっていたためか、妙にアルデンテな麺が何本かあったが、昨年のお中元の残飯処理なので致し方あるまい。
「なんかこの麺つゆ、美味しいね」
「お歳暮の高いものです」
「スーパーで買う298円の麺つゆとは訳が違うね」
 ごちそうさまでした美味しかったよ、とほんのひと口分だったので先に終えた渡辺が席を立つ。
「これ洗っていい?」
「え、いいですよ。私使いましたし」
「一食分の恩義」
「ひと口だけですけど。それではありがたく……」
 渡辺は自身の使った皿を洗うついでに、寸胴とざるも洗う。
「プロデューサー家近いんだから、いったん帰ればいいのに。俺みたいなのにお昼絡まれるし、仕事の電話も来るでしょ」
「私、家近いって言いましたっけ?」
「輝と行かなかった? 輝が桃送られてきたからって、ちょうどプロデューサーも休みの日で、お茶飲んで帰ったような」
「あ〜ありましたね。いくら近いと言ってもこの灼熱の中歩きたくありませんよ、外」
 のど越しがいいのでつるつると食べれてしまう。仕事をしている時は早食いになりがちだ。最後の豚肉を咀嚼する。
「食べ終えた? ついでに洗うからちょうだい」
「いいんですか? それでは遠慮なく……」
 まるで頭の後ろに目でもついているのではないかと思ってしまうほどの察しの良さだ。プロデューサーはさっと器と箸をゆすいで渡辺に渡す。
「みのりさんは今日、ミーティングでしたか」
「雨彦と誠司たちとね。合同ライブのことで。ちょっと早く来すぎちゃった」
 渡辺が洗い終えた鍋をプロデューサーが受け取り、タオルで拭く。皿とざるについても同じようにふき取り、所定の位置に戻した。
 こうして渡辺が予定の時刻よりも早く事務所に来たというのは、何か話したいことがあるからだろうとプロデューサーは踏んでいた。戸棚に個包装のバタークッキーがあったはずだと、2枚取り出す。そのうち1枚をソファでお茶を飲んでいる渡辺に手渡した。
 包装の封を切り、ひと口クッキーをかじったところで渡辺が切り出した。
「百々人くん、最近事務所で見ないけど、何かあったの?」
「塾ですね。夏休みに入ってからは夏期講習なので最近は毎日朝から晩まで。なので事務所にあまり居ないんです」
「合同ライブで百々人くんがいないのって……」
「受験のためですね」
 プロダクションのアイドルたちが出演する合同ライブは年に1度開催される。今年は冬に開催される予定で、先日チケットの先行販売が始まったところだ。基本的には全員が出演できるようにスケジュールを調整するところだが難しい年もある。今年のライブは百々人のほかに数名、受験や仕事の都合で出演出来ないアイドルが居た。
「今後の仕事についてセーブすることも、近々クラスファーストが担当する回のラジオでご報告する予定です」
「なんとなくそうかもとは思ってたけど、そんなに大変なんだね……」
美大進学というのは思っていた何十倍も大変だということを、プロデューサーも初めて知った。
春先、桜が散り葉桜になった頃、三者面談があった。担任の教師と百々人、プロデューサー。以前までは三者面談の際には百々人の母親が同伴していたはずで、担任は少し目を丸くさせてプロデューサーを出迎えたが、百々人とどういった関係かを聞くと納得したような表情に戻った。二者面談の際に何度か話題に上がっていたので、担任もすぐにぴんと来たようだ。教室の机を4つ並べて、15分ほどの面談の時間の中、最初に言われたのは「学校で花園の第一志望の大学の勉強についてサポートをすることは難しい。予備校に通うことを勧める」ということだった。全体の合格実績を見ても百々人が志望する油画専攻は倍率が20倍程度、それに加えて半数以上が浪人生だと言うのだから、開かれている門は狭い。
百々人はそのことを十分承知していたようで、その担任の話を驚くこともなく聞いていた。千人近く志望者が居る中で、60名程度の枠を争う。プロデューサーは考えもしていなかったことだ。一番近くにいる大人として百々人を支えなければならない、そう決意していたが、結局は生半可な気持ちだったのだと自身を恥じた。全てを知っているように担任から話を聞く百々人からは、予備校の話もそれに伴い仕事をどうするかという話も一切聞かなかった。受験の準備は早ければ早い方がいい。仕事も制限して勉強に充てた方が良い。百々人も例外なくそう思っていただろう。プロデューサーは自身の忙しさにかまけて、百々人に遠慮させていたことを悟った。
三者面談が終わったあと、百々人には予備校に通うことと受験を終えるまで仕事を調整することを提案した。もともとクラスファーストはメンバーに高校生が2名いることもあり、長い時間は拘束されないような仕事となるよう配慮されていた。すでに決まっている仕事は最後までするとして、これから取る仕事はセーブする。百々人の本気に応えたいと思った。
「そんなに大変だと、メンタルに来てない?」
「会うときは大丈夫そうに見えますが、しんどいですよね……」
 百々人は弱音を吐かない。そのことがどうしようもなく不安になることがある。辛いんじゃないか、無理をしているんじゃないか、本当は辞めてしまいたいんじゃないか。百々人に会うたび、にこやかなその表情の裏に、負の感情が隠されていないか窺っている自身がいた。
「驕りかもしれませんが、私は、私が百々人さんに絵の才能があると言ったから、百々人さんは、どんなに苦しくても辞められないのかもしれないと思ってしまうときがあって」
 グラスの周りが結露し始めた。中の氷が解け、徐々にお茶の色が薄まっていく。
 百々人のプロデューサーから嫌われたくない、という一種の脅迫概念のような思いは強烈だ。ダンスや歌で間違えたあとの気の落ち込みようや、プロデューサーの顔色を窺うような仕草でよく分かる。期待通りにできなければ失望される、そして捨てられる。そういった環境で育ってきたのだ。
「考えすぎじゃないかな」
 渡辺がぴしゃりと否定的に言い切ったので、プロデューサーは思わず顔を上げる。
「人間ってさ、多かれ少なかれ他人に影響を受けていくものだよ。プロデューサーの言葉は少し影響してるかもしれない。でも毎日朝から晩までって、他人から言われただけじゃできないよ。自分の意志が無いと」
「そうでしょうか」
「うん。でも、そうだな……。プロデューサーに話してくれないなら、百々人くんが弱音を吐きやすくなりそうな人を適宜送り込んだりするといいんじゃない?」
「良い考えかもしれません」
「でしょ?」



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