++全部あげる/ヴィル・シェーンハイト


*6章ネタバレあり










 いつものぷっくりとした唇じゃない。頬を手で挟んで、しわがれた老婆のような唇に口づけする。すると彼のたるんだ肌に隠された紫色の目が大きく見開かれて、泣き声が止んだ。レオナ先輩やジャミル先輩もびっくりしたように目を大きく開く。
 いつものヴィル先輩は私の頭2つ分はゆうに背が高いから、顔を近づけるなんて背伸びをしても出来ないけど、今の彼は背中が丸まっていて身長が低くなっているから、少し襟元を掴んだだけで簡単に出来た。エペルが手で目を隠して隙間から見ている。オーララ、ルーク先輩の驚いた声が聞こえた。

「……キスをしたら戻ると思ったんですけど、戻らなかったですね」

 唇と唇が離れたタイミングで、そんな周囲の反応にバツが悪くなって、私は思わずその言葉を漏らした。おかしいな、こういう世界って真実の愛のキスが元に戻る条件なのにな、私はその相手に相応しく無かったのかもしれない。ここはやっぱり現役王子のレオナ先輩がそのお相手なのかもしれないな、とレオナ先輩の名前を呼ぼうとしたが、ヴィル先輩がわなわなと震えていることに気がついた。

「ごめんなさいヴィル先輩。真実の愛のキスがあれば元に戻るかもしれないって思ったんですけど、私じゃ力不足みたいでした。ヴィル先輩も突然好きでも無い人にキスなんてされて嫌でしたよね。大変申し訳ございませんでした。償います」

 彼が年老いた姿になろうとも、彼の魂や志まで変わるものではない。イデア先輩を想って先ほど啖呵を切った彼の姿には酷く感銘を受けた。どんな姿になっても気高い人。どんな姿になっても彼のことは好きだけれど、彼が元に戻りたいのならば私に出来ることはなんでもしたい。私には魔力は無いし、キスは効果が無かったし、残るのは生き血や臓物だろうか。私の元の世界には若い女性を拷問器具に入れて体中の血を抜き取って湯船に入れることで自分の美を保とうとした人が居たな、と思い出す。

「ルーク先輩、ナイフありますか? よく切れるものならなんでも大丈夫です」
「野暮なことを聞くけれど、ヴィルと君は恋仲なのかい?」
「ありがとうございます。いいえ、私が勝手に好きなだけです」

 ルーク先輩が寮服の内ポケットの中からナイフを出した。自分で捕らえた獲物を捌くための私物だろうか。それとも弓矢のやじりを整えるものか、恐ろしくて聞けやしないがありがたく頂戴する。
 自身の腕の内側の、皮膚が薄くて柔らかい部分にナイフの刃を当てると、今何やってるの!と今まで呆然としていたヴィル先輩の怒号が頭の上から響いた。耳の鼓膜が破れそうだ。刃を押さえながらなんてすか、と尋ねる。

「なんですか、じゃないわよ。アンタ何しようとしてるの?!」
「キスが駄目だったので、今度は乙女の生き血かなと思って」
「?! 馬鹿な真似止めなさい!」

 ナイフを手で叩かれてカランと地面に転がり落ちた。刃が欠けてしまったかもしれない。申し訳なく思いながら拾おうとすると、ヴィル先輩が俊敏にナイフを蹴ったので、レオナ先輩の元に飛んでしまった。それをレオナ先輩が拾う。
 ヴィル先輩が私の頬を手で包み込んで、幼子によく言い聞かせるように言葉を放つ。紫の目は老人になる前と変わらない。気高くて意志が強い、迷いのない目をしている。

「アタシはアンタに怪我をさせてまで元に戻らなくていいの。もっと自分を大切になさい」
「でもヴィル先輩元に戻りたいんですよね。私はあなたが好きだから協力したいんです」
「……アンタたち絶対この子に鋭利なものを持たせないで」

 彼ははあ、とため息を吐きながら、アンタのその気持ちだけで充分よと言った。私を抱擁してありがとうと言った。ヴィル先輩がこのまま元に戻らなかったら、ヴィル先輩は表舞台から姿を消して、学園に戻ることも出来ずに死んでしまうかもしれない。そうなったらどうしよう。この面子の中で一番冷静なのは私かもしれないけど、それでも彼が人目に触れずにこっそりと死ぬことを考えると涙が出てくる。回された腕は細く、背中も胸も心許ない薄さだ。私でも押せば倒れてしまいそうで骨なんて折れてしまいそうなほど弱い。涙が出てきた。

「私ヴィル先輩の中身が好きなんです! ヴィル先輩が元に戻らなかったら私が養うから死なないで」
「アンタの面倒にならなくて良いぐらいには蓄えはあるわよ死なないわよ馬鹿!」

 彼の精一杯の強がりなのかもしれない。それが辛くてぐずぐずと鼻を鳴らす。彼の寮服に私の涙の痕がついているかもしれない。ぎゅうっと彼のことを抱きしめて泣く。彼も私がしゃくりを上げて静かに泣いている姿につられる。


***


「お前はどこも枯れていないようだな」
「うん。みんなが守ってくれたから、大丈夫」
「だが目元が腫れている。泣いたのか? 泣きすぎると目が溶けてしまうぞ」
「ちょっとだけね。ありがとうツノ太郎」

 ツノ太郎のおかげでヴィル先輩は元に戻った。
 結局帰りの飛行機の中は、わんわんと泣くヴィル先輩の横で手を握りながら泣く私のせいで地獄のような雰囲気だったということは申し添えておく。
 ヴィル先輩は元に戻ったし一件落着だ。終わり良ければ全て良し、故郷の慣用句がここまでしっくりくることもないだろう。オンボロ寮はボロボロだけれどどうにかなる。ここまでの旅の疲れがどっと出てきた。疲れたから一眠りしたいけど部屋は壊滅状態だし、保健室で寝させて貰おうかなと思っていたときに、私の元に向かう雑草をかき分ける足音が聞こえる。

「ナマエ」
「ヴィル先輩、お疲れさまです」

 ヴィル先輩は似合わずにもじもじと言いにくそうに目を泳がせる。そこで私はつい先ほどのヴィル先輩への告白の件かもしれないと勘づいた。
 私はヴィル先輩が好きだ。だけれどそれは恋慕の好きではないと思う。尊敬をしているだとか憧れているだとかそういう意味の好きという気持ちなのだ。私は彼の発言を遮って言葉を続ける。

「ヴィル先輩は私のこと好きなわけでもないのに、キスしてしまって申し訳ございませんでした。このことについては私、ヴィル先輩が満足されるまで雑用や何かお手伝いをさせていただきます」
「そのことなんだけれど……」
「私、ヴィル先輩のことは好きなんですけど、尊敬とか憧れとかそういう気持ちなんです。ヴィル先輩とどうこうなりたいというわけじゃなくて、ヴィル先輩が幸せな姿を応援したいなって思っているんです。だから続きは言わなくて大丈夫です」

 ぽかんとするヴィル先輩に、お先に失礼しますね、と声をかける。何かあれば、連絡先を知っているエペル経由で彼から連絡が来るだろう。ぺこりと頭を下げると彼が、ええ、と返答した。






20230402


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