++全部ちょうだい/ヴィル・シェーンハイト


全部あげるの続き







「アタシはあの子とキスもしたいしセックスもしたいわ。フられた気分よ」

 ヴィルが深く嘆息をした。麗しいかんばせに深い影が落ちる。それすらも彼の美しさを引き立てる要素となるのだから末恐ろしいものだ。
 ルークはその隣で溜息を吐くその姿さえ美しい、と評した。
 オンボロ寮がほぼ全壊という形となってしまったので、ナマエとグリムはポムフィオーレ寮の預かりとなっていた。グリムが毛並みをトリートメントで艶やかにさせられているのと同じように、ナマエも自身の髪の毛に触れるのを許している。風呂上がりの火照った肌に隙だらけの寝間着姿、濡れた鴉の羽のような艶やかで美しい髪の毛にその下にあるほっそりとしたうなじはヴィルを欲情させるには充分すぎるほどだった。ナマエの髪の毛を触る度に、押し倒して薄桃の唇を貪って柔い肌を堪能したい衝動に駆られた。ここ数日間は不意に触れたナマエの肌の柔らかさと温さを思い出して自慰をすることもあるほどだ。つまりヴィル・シェーンハイトは恋をしていた。

「ヴィル、君が身を焦がしてしまうほどの恋という感情に振り回されている姿はとても尊くて美しい。これまでに君のそんな姿を見たことが無かったから」
「そんなに分かるものかしら」
「ああ、君がナマエくんに向ける表情はいつもより数段柔らかいものだし、何より彼女と一緒に居るときはエスコートしているね。扉を開けたり、椅子を引いたり。彼女は自分の性別を隠しているし、普段そのように振る舞うのはよした方がいいかもしれないね」
「気をつけるわ……」

 はあ、と溜息を吐いた。自分のことはよく知っているはずなのに他人から指摘されることでようやっと自分のことが分かってくることが恐ろしい。

「あとは、あまり自分で慰めると肌に悪い」
「……アンタ、アタシの部屋に監視カメラをつけていないわよね」
「ウィ、そんな野暮なことはしないさ」

 あと数刻もすればナマエがこの部屋にやってくる。こちらの気持ちなど知らない彼女が無防備な姿でこの部屋の敷居をくぐるのだ。それを考えるだけでヴィルは気がどうにかなってしまいそうだった。

「アタシ、自分で自分が怖いのよ。あの子が今日も私の部屋に来るけれど、その時我慢が出来なくて襲ってしまわないか」
「私が一緒に居ようか?」
「冗談はやめてちょうだい」
「人の恋路の邪魔をするようなことはしないさ。それがヴィルならばなおさらね」

 その人を好意的に感じるか否か、共にいる時間が長ければ中身がそれを決定するだろうが、短期間の場合はどうだろうか。髪の毛や爪、顔、服装など容姿や外見でその人となりを判断することが多いはずだ。芸能界という場所にいる以上、ヴィルもそれを痛いほど感じていた。だからこそ体型の維持やその美貌に磨きをかけることに時間を費やしている。
 だが、彼女が初めてヴィルに口づけをしたとき、年老いみすぼらしい姿になっていたが躊躇いが無かった。真実の愛のキスが呪いを解く、そういった魔法があることにはあるが何百年も、下手をしたら千年も前の話ではないだろうか。それに彼女は魔法士でないのだから呪いなんて解けるはずがないのだ。それでもヴィルを助けたいと自分の身を差し出した。今まで結局は人の外見が印象や好感度を決めるものだと思わざるを得なかったヴィルは彼女の行動に酷く動揺した。それと同時にナマエは自分の中身を見てくれる存在なのだと気がついた。外見だけではない中身が好きなのだと、老人となったヴィルに口づけを落とし、抱擁をして涙を流したナマエの行動が嘘ではないと証明になった。
 ヴィルにとっては初めての経験だった。ヴィルがこの容姿で無ければ、芸能界にいることもなかっただろう。ポムフィオーレ寮の寮長もしていなかっただろう。闇の鏡にポムフィオーレ寮に選ばれることもなかったかもしれない。ヴィルの中身が好きというナマエの言葉がヴィルの心をほだしてしまったのだった。

「そろそろ彼女が来る頃だろうから、私はおいとますることにするよ。ヴィルにも準備があるだろうから」
「ええ。お気遣いありがとう」

 ルークは微笑んで、含みのある声で言った。狙った獲物はじわじわと弱らせてから仕留めるものさ、と。





「いらっしゃい、ナマエとグリム。……グリムは居ないの?」
「はい、エペルたちと遊んでいたら眠ってしまって。起こすのも可哀想なので私だけ。お手を煩わせて申し訳ないですし、今日は自分でケアするとお伝えに来たんです」
「いいわよ。アタシにさせてちょうだい」

 眉根を寄せて申し訳なさそうにうつむくナマエに、絶好の機会だとヴィルは思った。部屋の中に招き入れたが、ナマエは部屋に一歩踏み入れ、扉の前から動こうとしない。

「その、エペルから気をつけろって言われてて」

 ヴィルさんがナマエさんを見る目は男が女を見る目だ、エペルがナマエに昨晩そう言った。ナマエはまさかと笑ったが、いんやとエペルが真剣に首を振ったので笑うに笑えなくなってしまった。
 まず眼差しが違う、それにエスコートをする姿、ふとした瞬間にナマエさんの腰や手にヴィルさんの手が触れた時に一瞬強ばるときがある。どうでも良い人間にそんな反応はしない。

「エペルの肩を持つの?」
「……エペルの方がヴィル先輩よりも付き合いが長いので」
「傷つくわ」
「だから今日はグリムも居ないし、帰ります」

 ヴィルが腕をすいっと横に動かすと扉がバタンとしまった。鍵がひとりでに閉まる。ナマエは驚いたように後ろを勢いよく振り返った。がちゃがちゃと扉のノブを動かしていると、音も無くナマエの背後に立ったヴィルが、ナマエの肩を抱いてノブを触る手に自身の手を添える。ヴィルが勧めたシャンプーにおいとナマエ自身の甘さが混じったにおいがする。
 ナマエは混乱していた。背中に感じるヴィルの体温は熱く、良いにおいもする。ヴィルの体は顔立ちから華奢にも見えるが存外胸板は厚く、薄手のシャツから見える腕には血管が浮かんでいる。ドッドッドと心臓が跳ねる。手首を捕まれているから心臓がうるさいくらいに鳴っていることもヴィルはすぐに気が付くだろう。
 
「別に今とって食おうと思っているわけじゃないわよ。……今チャンスがあればそれも良いとは思うけど」

 ちゅう、とナマエの首筋にキスを落とす。ナマエが息を飲む音がした。

「アタシはアンタとキスもしたいしセックスもしたいと思ってる。アンタはそれを望んでいないようだけど、アタシはそうなることを望んでるの」
「あの、えっと……」
「ファンとしてアタシのことが好き? 一個人としては? 恋愛対象になる?」

 ううう、とナマエが唸ったのでヴィルは手首をつかんでいた力を緩める。
 顔に血が集まっている。真っ赤になっているだろうと分かる。ぷしゅうと蒸気が噴き出しているような感覚さえしていた。
 ヴィルはうなじから耳にかけて、ナマエが熟れたトマトのように真っ赤になっている様を見て、胸がきゅんと高鳴る。ねえお願いその可愛い顔を見せて?、と甘く囁いた。

「お、」
「どうかした?」
「推しの声が良すぎるぅ……」

 ヴィルから体を背けたままナマエがへなへなとその場に座り込んだ。両手で耳をぎゅっと塞いでいる。
 それに構わずヴィルが、こっち向いて、お顔を見せて?とナマエの耳のすぐ近くで言うのだから、ナマエからすればたまったものではなかった。とにかくこの状況から脱さなければ頭がどうにかなってしまいそうだ。ナマエは内鍵に手を伸ばしたが、それすらもヴィルに止められてしまう。ヴィルは後ろからナマエの胸や腹を絡めるように抱きしめる。

「せっかく二人きりなのに出て行くの?」
「ヴィル先輩、からかうならやめてください!」

 むっとしたヴィルはナマエの顎を掴むと小さな唇を食べた。ナマエが目をまんまるにさせる。
 んー!、とくぐもった声がナマエから聞こえるが、それを無視する。
 ナマエの唇からは、化粧水や乳液の苦い味とそうではない甘い味がした。舌先でツンツンと唇をつつくが、彼女はぎゅっと唇を引き結んでいる。今取って食うつもりはないけれど、こんな機会は当分ないかもしれないと思うと性急な行動をしてしまう。ただでさえナマエはエースとデュースと行動を共にしており、その上グリムとは四六時中一緒に居るのだ。まして彼女はヴィルのことを恋愛対象と見ていないと来た。それならば彼女が自分と二人きりになる機会など限られており、今がヴィル自身を意識させる絶好の機会だ。
 ヴィルの父親は、愛を確かめ合うのはお互いに同意があってこそだとよく言うものだ。熱砂の国は婚前交渉は御法度と聞くが、薔薇や輝石の国は付き合う前に体の相性を知るためにセックスをするのはよくあることだ。ナマエの出身の国がどうであるかは分からないか、寮が壊れている間にエペルの部屋に転がり込んでいるぐらいなのだからそこまで厳しくは無いはずだ。
 男性と女性の力の差は歴然としている。もしかしたらナマエは本当に拒否しているのかもしれない。このまま続けて押し倒してしまいたい気持ちと、ナマエの体だけではなく心もヴィルの物にしたいのだという気持ちで揺れたが、ヴィルは名残惜しく唇を離した。

「ねえナマエ、アタシアンタのことが本当に好きなの。好きじゃない相手にキスなんてしない」
「わ、分かりました」
「男として見てくれるってこと?」
「はい……」
「良かったわ、それじゃあ次のデートの約束をしましょうか」







20230702


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