++味噌ラーメン


 花園さんはデッサンも油画も一般的な受験生よりも優れていると思います。でもぱっと目を惹くものは無い。受講生の作品の中からどれか1つを選ぶとしたら、花園さんの作品は選ばない。2番目3番目でやっと選ぶかな。人から良く見られたい意識が強く出ていて、無難な作品になっている。これは花園さんが本当に描きたい絵?
 目を惹くものがない、1番にはなれない。その言葉が重くのしかかる。予備校の講師は深く落ち込んだ百々人の姿を見て、まだ受験まで日があるからインプットもして構図のバリエーションを増やしましょう、と声を掛けた。はい、としわがれた声が喉から出た。
 百々人が美術予備校に通い始めたのは早い方だ。中学生の時から美術系の高校を志望する生徒たちに混じって通っていた。高校に入ってからも1年生までは平日夜間の基礎コースに週3回。美大への進学のため、というよりはコンクールで最優秀賞を取るための絵を描くためという側面の方が強かったかもしれない。絵を描いているときは無心になることが出来たし、絵を描くことは楽しいと思っていたから、平日夜の授業も苦では無かった。高校2年生から1年ブランクがあったが、全く描いていなかったわけではない。3年生となり再度予備校に通いだした際は感覚を取り戻すことには苦労したが、おおむね上手くいっていると思っていた。
 講師との面談を行っていた部屋を出て、教室へ戻る。1人の講師につき10人程度の生徒で1クラス。それが百々人の志望する油画専攻のクラスだけで4クラスほどある。百々人が通う夜間コースだけで40人いる。昼間コースを合わせれば一体何人いるのか。その中で百々人と志望先が同じ者も数多くいる。一体何人合格するのか、そう考えると交友関係を築こうとする気持ちになれなかった。画材を鞄の中にいれ、いそいそと講義室から出る。
「つかれた……」
 はあ、と大きくため息を吐く。何時間も座りっぱなしで集中しているのだ。全身が石のように固くなっているような気さえしていた。時刻は夜9時、家に帰れば9時半頃だろう。
 建物の外に出ると、9月特有の何とも言えない生ぬるい風が当たる。ぐっと背筋を伸ばすと、背中や腰からぽきぽきと骨が鳴る音が聞こえる。
「——百々人先輩!」
 よく聞きなれた声が聞こえてそちらを見遣る。入口から少し離れた場所に私服姿の天峰と眉見がおり、手を振っていた。
 ここ最近は事務所に行く頻度もぐっと減った。週に1、2度ほどだ。毎日のように通っていたことが遠い昔のように感じる。仕事の量もセーブをしているので、必然的に天峰や眉見と会う機会も少なくなった。タイミングが悪かったせいもある、前回会ったのはひと月ほど前だろう。
「どうして……」
「鋭心先輩の撮影が近くで。それだったら皆でご飯行きませんかってなって。百々人先輩は夜までって分かってたし、さっきリンク送ったんですけど」
「ごめん、授業受けてる時は機内モードにしてるんだ……」
「こちらこそ急に押しかけてすまない。時間はあるか、明日朝早いようであればまた後日にしよう」
「ううん、大丈夫。久しぶりに2人に会えて嬉しい」
 機内モードを解除してリンクを見れば、1時間前にクラスファーストのグループチャットに天峰からのメッセージがあった。
「プロデューサーも行きたいと言っていたんだが、明日締め切りの書類が出来なくて行けないとのことで軍資金だけ貰っている」
「3000円もらったので、ラーメンと餃子2皿いけると思います」
「いいな、僕もぴぃちゃんに会いたかった」
「百々人先輩、毎週1回は会ってるんでしょ? 俺たちよりプロデューサーと会う頻度の方が多いぐらいですよ」
 天峰が頬を膨らませる。それを見逃さない百々人だ。たった1つだけしか年は変わらないというのに構いたくなる。いつだったか、秀くんは可愛がりがいがあるよね〜、と言っていた北村の言葉のとおりだな、と思い頬が緩むのを感じた。それと同時に少し意地悪をしたくなってしまう。
「それって、しゅーくん、僕に会えなくて寂しいってこと?」
「……同じユニットのメンバーなのに3人揃って会ったの、もうひと月も前ですよ」
「そっかあ」
「ちょっと、鋭心先輩も百々人先輩も生ぬるい目で見るのやめてくださいよ。そうです、寂しいんです。これで良いですか」
「うんうん、僕も2人に会えなくて寂しかったよ」
「なんだよこの茶番……」
 天峰が頭をかきながら大きくため息を吐いた。最近は百々人にペースに巻き込まれることが少なかったためか、調子が崩されているらしい。そんな様子の天峰を、百々人と眉見が微笑みながら見ている。その視線に居心地の悪さを感じる天峰だ。天峰はやりにくさをごまかすように現在地から近い店を地図アプリで探し、写真や口コミを見ながらここはどうですかと2人に尋ねた。白髪ねぎがこんもりと盛られた味噌ラーメンが人気メニューの店のようだ。それに2人は口々に良いんじゃないかと言い、天峰を真ん中にして3列になってその店に向かって歩を進める。夜のオフィス街であることもあり、周囲には仕事終わりの人間が駅に向かって歩いている。その流れに沿って並んで歩く。
「最後に3人揃ったのは、ラジオの収録か」
「ごめんね」
「いや。百々人が謝ることではない。もともとプロデューサーも学生は勉学が優先になるようにスケジュールを配慮しているし、実際百々人が優先すべきなのは勉学だろう。最近はどうだ?」
「えー、うん、……自信は、無いかも」
 百々人の表情が翳る。
 気が置けない同じユニットの面々が聞き手ということもあるのだろう。驚くぐらいするりと弱音が口から漏れ出した。
「前よりは成長してると思うけど、周りもそうだから。ぴぃちゃんは浪人しても良いって言ってくれるけど、来年1年間また同じ生活をするってなったら、無理だと思う」
プロデューサーには言えていないことだ。百々人に週に1度は会いませんかと提案したのは彼女自身で、百々人はそれが配慮であることを重々承知していた。百々人が弱音を吐いたり甘えたりできるように、プロデューサーは百々人のために時間を作ってくれる。だがそれに寄りかかってばかりではプロデューサーへの負担が大きくなってしまう。迷惑をかけたくない、その一心で自身の心の内を吐露できずにいた。
春先、三者面談が終わったあと、プロデューサーは予備校に通うことと受験を終えるまで仕事を調整することを提案してくれた。この人には敵わないと、百々人は思った。百々人は自分一人の力で合格をするのは難しいことだとは分かっていたが、金銭的な負担が大きくなるためプロデューサーには言い出せずにいたことだった。予備校に通い始めるなら早い方が良い。何校かパンフレットを取り寄せて吟味したが、顔見知りの講師がいる中学から通っていた予備校に再入学すると自分で決めた。
「——苦しくても辛くても、僕が選んだことだから。最後までやり切りたいなって。ごめんね、弱音吐いちゃって」
「吐き出せるものなら吐き出した方が良い」
「でもぴぃちゃんには内緒にしてね。心配かけたくないから」
「ああ」
 眉見が頷いた。
沈黙が続く。クラスファーストはメンバー間で会話が多いユニットではないが、今日の沈黙はいつもと少し勝手が違うように百々人は感じていた。現に天峰の視線がやや泳いでいるようにも見えた。眉見も天峰も自身を偽ることが苦手な性分だが、天峰のそれは挙動にも出てしまうものなので嘘をつくとすぐ分かる。百々人は早々に勘づいた。夕飯の誘い、タイミングよく百々人の通う予備校の前に現れた2人、プロデューサーからのおこづかい。プロデューサーが一枚かんでいるのではないか、と。
「もしかしてぴぃちゃんから何か言われてる?」
 百々人がじっと見つめるのは天峰だ。
「しゅーくん」
「どうして俺だけに振るんですか」
「しゅーくんだけ目線が泳いでた」
「秀」
「どうして鋭心先輩も百々人先輩に加担するんですか、共犯でしょ?!」
 天峰が大きなため息を吐きながら、プロデューサーが関与していることを認めた。
「先輩、プロデューサーの前では大丈夫としか言わないからガス抜きしてきてって言ったんですよ。自分より俺たちの方が百々人先輩話せるだろうからって」
「言っておくが、プロデューサーに指示されたから百々人に会いに来たわけではなく、俺たちも会いたかったんだ。最後に3人揃ったのも随分前だろう。その際もまとまった時間がとれるわけではなかった」
「プロデューサーに買収されたわけじゃないですから」
「……でもぴぃちゃんには言わないでね」
 2人、百々人から視線を逸らす。




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