++同じ穴の狢/桜庭薫



「桜庭さん、ご飯食べませんか?」

 プロデューサーの名字がコンビニのビニール袋を掲げる。重さがあることが分かる。おにぎり、スムージー、お茶が入っていた。
 壁に背をつけて座る桜庭は、先ほどのダンスレッスンで体力を消耗しており、いつもよりぐったりとしていた。ユニットのほかの2人と比べれば体力が劣っている桜庭だ。負けん気だけは強いが、疲弊しているのはすぐに分かる。

「必要ない」
「そうですか」

 名字は桜庭より拳ふたつ間隔を開けて隣に座った。ほかの2人は席を外している。おおかた飲み物か食べ物の調達に行ったのだろう。
 名字もまた、壁に背中をつける。そして袋の中からおにぎりを取り出し包装をピリピリと破った。具材が昆布のおにぎりだ。

「わざわざ横で食べるのか」
「お喋りがてらですよ。私はお腹が空いているので」

 桜庭の言葉は鋭い。まだ信頼されていないことを名字はひしひしと感じていた。
 出会ってひと月、桜庭にとっては信頼も何も、よく分からないことの方が多いに違いない。小さな芸能事務所、デビュー出来るかも分からない、自身をスカウトした名字名前の人となりも、どういう意図でこのユニットを作ったかも、桜庭からしてみれば行き先が不透明で、それが信頼関係の構築の支障となっているのだろう。
 口に含めば、パリパリとした海苔の音が辺りに響いた。ひとくちふたくち、名字が食べ進める間も桜庭は消耗した体力の回復に努めていた。目を閉じ穏やかに呼吸を繰り返す。寝ているのか起きているのか分からない、しかし元来神経質な桜庭は人前で眠ることなどないだろう。聞こえているに違いないと、名字は口を開いた。

「……桜庭さん、頑張りすぎじゃないですか。顔色も良くないし、」
「ここに来て言いたいことはそれか」
「そうです」

 自身の発言が桜庭のプライドをへし折っているのかもしれないと名字は思った。しかしはっきりとした物言いをしなければ桜庭の心には響かない。
 桜庭はぐっと息を詰まらせたが、それもほんの一瞬のことだった。

「僕は2人と比べて体を動かすことが不得手だ。だからその分努力をしなくてはならない」
「努力の方向性が違うと言っているんです。バスケ選手がずっと試合練習をするわけではないでしょう、それと同じです」
「君は完璧だった」

 名字の言葉を遮って桜庭が言葉を放つ。非難にもよく似た弱音だった。
 桜庭は淡々と続けた。

「最盛期の君をメディアで見ない日はないぐらいだったろう。芸能界に疎い僕でも、あの日君からスカウトされた時は驚いた。あの名字名前が僕を見出した、と」

 アイドルになりませんか、名字が名刺を差し出した時のことは、今でも鮮明に思い出されるほどだ。一つに括った髪の毛、糊のよくきいたスーツ、口元は緩く弧を描き、意志の強そうな目で桜庭を見ていた。顔を見ただけではすぐには思い出せなかったものの、名刺に書かれた名前を見たとき、桜庭はすぐに目の前に立つその人がどういった人であるかを思い出した。
 名字名前、3年ほど前に惜しまれながらも若くして引退した元アイドルだ。どのテレビ局もこぞって放送をした引退の会見では、「やりたいことが出来たので芸能界を引退します」ときっぱりと話していた。まさかその「やりたいこと」と言うのが弱小事務所のプロデューサーと言うことが驚きではあったが、そのとき名刺を差し出した名字の目は、アイドルをしていたそのときよりもずっと輝いていた。

「何をさせても上手くやり遂げる。バラエティも演技も、映画の初出演で、客寄せのための色物扱いの役を演じた君は主役を食ってかかってその年の賞を総なめにした。その翌年には最優秀主演女優賞、本業のアイドルだって決して手を抜かず、映画の撮影と平行して五大ドーム公演。今君と同じ立場に立って、どれだけ君が人間離れしていたかが分かる」
「随分お調べになられたんですね」
「ああ。君の言っていることがどれだけ本気なのかを測るために。第一線で活躍していた君が言うなら、勝算があるのだろうと思った」
「完璧に見えていましたか?」
「実際完璧だったろう」
「私はそのときから月経が止まりました」

 桜庭が舌の根で言葉を止めた。

「桜庭さんがおっしゃっていた時期から、引退をするまでずっと。体型管理のための食事制限に、ダンスレッスン、演技の練習、学校の授業、睡眠時間を削って、体の調子が悪くなるのは当たり前でした」

 ステージの上では常に観客を湧かせるようなパフォーマンスをしていた名字だ。まさか裏では体の不調を抱えていたなど桜庭は思いもしなかった。
 桜庭はぐっと拳を握った。名字のことはよく知らない。ただ今の話は安易に聞いていいものではなかっただろう。思うことは多々ある。芸能界を辞めたのは夢を追うためだけだったのか、本当は体調不良で活動を続けることが難しかったからなのではないか。
 
「桜庭さんがご自身の体調を管理出来ることは分かります。どれだけ根を詰めれば倒れてしまうかも、全部分かっていて管理されているんでしょう。でも一度健康を損ねた側の人間として、桜庭さんのことが心配なんです。以前の私と、あまりにも同じだから」

 桜庭が観念したと言うかのようにため息を吐いた。

「……どれが僕に買ってきたものなんだ」
「全部です」
「そんなには食べられない。柏木ではあるまいし」

 階段を登ってくる足音がする。「アイスぐらいだったら食えるだろ」「美味しそうなものがたくさんあったから、結構買っちゃいましたね」という会話が聞こえ、桜庭は一際大きなため息を吐いた。それに名字は考えることは皆同じだと笑いかける。

「君からも言ってくれ、このままだと体が重くて踊れなくなる」






お題箱より:元アイドルの女性P(当時自主練のしすぎで不健康なったことアリ)と桜庭薫
20250525


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