++#f6bfbc/桜庭薫



「薫くんだけ唇ピンクなのメロじゃん」

 確かに、とディスプレイの目の前で思わず立ち止まる。それまで何気なく眺めていたので全く気がつかなかった。撮影した時はもちろんのこと、写真の確認の際もグッズの監修を行ったその時もである。改めてじっくり見る時間が無かったので仕方がないと言えばそうなのかもしれないが、打ち合わせから実際の撮影までと一番長い時間彼らを見ていたのは私なのに。まさに一生の不覚だ。
 黒を基調とした装いでプロダクションのアイドル全員を撮影し、普段の彼らとはまた異なった魅力をアピールするという企画は大成功のまま進んでいる。ビジュアル展示の企画展に大型ディスプレイでの広告映像、グッズ展開、さらに企画展は好評のため地方都市への巡回も予定している。
 街頭に設置された巨大ディスプレイに彼らが映し出されていく。スマートフォンを構えて写真を撮っているその集団の中に身を投じて、今一度ディスプレイが映し出される彼の姿をしかと見る。やっぱり、桜庭さんの唇はピンクだ。



「視線がうるさい」
「す、すみません、気づかれましたか」
「それだけ見られていれば気づくだろう」

 やや呆れ顔の桜庭さんが、ため息混じりに言った。
 唇の色を確認したいので盗み見していました、とは口が裂けても言えない。言ったら最後、軽蔑の眼差しをされるに違いない。私はえっと、と言葉を濁す。
 撮影の際はシンプルなメイクで、と指示をしていたので、地を生かすようなメイクをしていたはずだ。このため、そうであるなら普段の桜庭さんの唇の色もほんのり薄桃色のリップを乗せたような色なんだろうか、と気になって仕方がなくなってしまったのだ。普段から顔を見合わせているものの、唇というひとつのパーツを注視したことが無かったので、桜庭さんの唇についてそこだけ靄がかかっているように思い出せない。そして今も窓からの西日のせいでよく分からなかった。

「体調でも悪いのか」
「あ、いえ、そういうわけではなくて、大丈夫なので……」

 やましいことがあるとき、嘘をつくときに視線が泳いでしまうのは悪い癖だと思っているが、そう易々と癖を変えることはできない。それを桜庭さんはよく知っているので、ぐいっと距離を詰められる。ソファに座って台本を読んでいた桜庭さんが、デスクにいる私の元に来ると、私の頬に触れた。顔色を見るかのように真っ直ぐと私を見ている。
 心配をかけているのも申し訳ないし、こんなことをされては調子が狂いそうだ。どん引きされても仕方がないと腹を括りながら口を開いた。
 
「今展示をしているでしょう」
「それがどうしたんだ」
「いえ、それで桜庭さんの唇、色が着いてて、その、普段もそうだっけ、って気になってしまって」

 桜庭さんは一瞬きょとんとした顔をして、大きく安堵の息を吐き、そして私の手を自身の頬に滑らせて一言。気が済むまで見ればいいだろう、とのことだ。
 気が済むまでと言われても、と思いながら桜庭さんの頬に触れている手が手持ち無沙汰だ。
 白磁のように滑らかな肌に涼しげな目元だ。こんなに近くで、じっくり桜庭さんの顔を見られるような機会もないんじゃないだろうか。親指でその唇に触れる。ほかの肌とは違う、柔らかな感触だ。やっぱり少し薄桃っぽい色合いをしているのかもしれない。薄い形の良い唇だ。写真を見たら少しぷっくりとしていたから、何かグロスを塗っていたんだろうかとぼんやりと考える。吸い込まれそうな青い瞳だ。桜庭さんの虹彩には間抜けな顔の私がしっかりと映っていた。桜庭さんにこんなに見つめられることも早々ないな、と思っていると突然ぐっと距離が縮まった。鼻先と鼻先がくっつく。互いの息づかいまで分かる距離だ。軟骨の柔らかな感触が鼻の頭に押しつけられている。

「──悪い、邪魔した」
 
 キィ、と軋んだ扉の開閉音と共に天道さんが顔を覗かせたのと、桜庭さんが顔を離したのはほぼ同時だった。そして天道さんが踵返そうとしたので慌てて呼び止める。桜庭さんがばつが悪そうに眼鏡のフレームに触れていた。

「飲み物を買ってくる」
「お気をつけて……」

 とても気まずい場面を見られてしまった。桜庭さんにお気をつけて、と声をかけながら、天道さんに対していたたまれない気持ちになる。
 ぬるさを通り越して、少し冷たささえあるコーヒーに苦し紛れに口を付けていると天道さんが切り出した。

「桜庭って感情があんまり顔に出ないっていうか、わかりにくいだろ」
「そ、そうですね?」
「でも耳にはよく出ると思うんだよ」
「はい」
「今さ、夕日であんまり分からなかったかもしれないけど、耳赤かったな」

 何、しようとしてたんだろうな?、とニヤニヤとした顔の天道さんが続ける。何って、何、いや桜庭さんに限ってそんなことはないだろう。何を含みのある言い方をしているんだこの人は、ひと睨みしても天道さんには全く効いていない、それどころか猫の口元のように口元を緩ませて私を見ている。これは根ほり葉ほり聞かれるやつだ。





20250531


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