++唇に触れるだけの/水嶋咲


 いつか名前さんのことお化粧してみたいな、咲ちゃんがそう言ったことをふと思い出す。昨年のコスメ関連の撮影のときだった。事務所でもファッション系、美容系の雑誌を開いたり、熱心に化粧品のことを調べていたりと咲ちゃんは勉強熱心だ。だけれど学生と言うこともあり、あまり多くは買えないみたいで、いつもいいなあ、と雑誌を眺める咲ちゃんの姿を見て、その時の私はコスメのお仕事をもぎ取ってこようと決意したことを今でもしっかりと覚えている。
 10代、20代向けの化粧品メーカーの撮影で、新色のアイシャドウのプロモーションのための撮影だった。宣伝文句は新しい自分を見つけて、大人っぽくて可愛らしい衣装に身を包んで、ばっちりとお化粧を決めた咲ちゃんはすごく可愛かったし、コンセプトの通り、カメラの前でいつもと違った表情を見せる姿に胸がどきどきしたのも記憶に新しい。メイクをしているときも、メイクさんと楽しげに話している咲ちゃんを見て、楽しそうに撮影をしている咲ちゃんを見て、この仕事をとってきて本当によかったと思った。その衣装交換とメイク直しのちょっとした時間に咲ちゃんから言われたのだ。いつか名前さんのことお化粧してみたいな、と。

「まさか本当になるなんて……!」
「名前さん動かないで」

 咲ちゃんの声は真剣そのものだ。その鬼気迫った声音に私は思わずびたりと固まる。咲ちゃん、なんだかんだ言ってカフェパレードの中で怒らせたら一番怖いと思う。
 最近は咲ちゃんをCMで起用したいと言ってくださる企業さんも増えてきた。イベントにライブ、プロモーションのお仕事と、本当に忙しくてそれとなく大丈夫かと聞いたことがあるのだけれど、それも楽しんで貰えているようでとても嬉しい。
 机の上に広げられているのは、この前の雑誌の撮影でいただいた試供品の化粧品だ。試供品と言っても現場で使ったものをよろしければ、と譲り受けたものらしい。名前さん!、背後からご機嫌に近寄ってきた咲ちゃんは、にこにこと笑いながら、時間ちょっとある?、と尋ねた。時間を確認すると、次に現場に行く時間まで二時間半はあったので、少し嫌な予感はしたものの、ありますと頷いたのが運の尽きだった。後ろに隠していたメイク道具を私のデスクの上に広げて、前に言ったでしょ?、いつかお化粧してみたいって、とにやりと不敵に笑ったのだった。

「名前さん肌きれいだね」
「照れるし、照れるからやめてください」
「あっほんとだ、耳ちょっと赤くなった」
「ていうか咲ちゃん近くないです?」
「メイクなんだから近くなきゃできないでしょ?」

 もともとお化粧をするのが上手かった咲ちゃんだけれど、現場の場数を踏んだおかげか更にその腕が上がったような気がする。今回のことも、メイクさんに化粧の仕方を何回も教わって自分の目で見て、お化粧に自信がついたからぜひ私に、ということらしい。

「営業じゃないから、ちょっと派手にしても大丈夫かな?」
「あんまり派手にされるのと10代みたいな化粧されるとしんどいからやめてね……!」
「はーい、……あっ」
「ねえ今のあっ、ってなに?!」
「名前さんちょっと静かにしててくださいー」
「咲ちゃん〜!」

 アイラインを引いていた咲ちゃんが声を上げたので私は思わず身構える。なんだ今の声、怖すぎる。申し訳程度の鏡がぽつんと置いてあるだけで、正直ほとんど自分の顔を見られる状況ではないのが更に恐怖心を助長させる。
 咲ちゃんが真剣な表情で私にメイクをしているのが横目で見える。なんだなんだ、と通り過ぎる弊社のアイドルが数名通りかかる。少し沈黙が続いて、できた、と咲ちゃんが顔を上げた。

「鏡見る?」
「見ます!」

 どーぞ、と手渡された鏡には、うわーメイクでこんなに化けるものなんだなあと思う自分の顔があった。弊社のアイドルよりかは顔面が整っていないわけなので、そことは比べ物にならないわけだけれど、いつも自分で化粧をしているときよりずっと可愛く見えた。

「すごいなあ……」
「名前さん、あんなに夜更かし徹夜しないでって言ってるのに目元に隈できてるんだもん。気をつけてよね? 目元にハイライト入れて、あとアイライナーはこげ茶、眉毛の色も何色か使ったから」
「咲ちゃんのメイクとかファッションにかける情熱って本当に尊敬する……、あれ、リップ塗ってない?」
「うん、塗っちゃっていい?」
「よろしくお願いしますー」

 名前さんはピンク系の方が似合うよね、咲ちゃんがリップブラシで私の頬に手を添えながら唇に色をのせていく。もしかしたら咲ちゃんと同じ色のリップなのでは、同じリップを二人で共有していることに少しだけ心臓がどきっとした。相手は高校生、異性だけれど可愛らしいものが好きだということだけじゃない、と自分の心を平静に戻す。
 少しはみ出しちゃった、と咲ちゃんが私の唇に指を添えて唇の端に触れた。馴染ませるように指で触れる。これあたしと同じ色なんだ、その指でそのまま自身の唇を触れて、咲ちゃんが口角を上げた。






水嶋咲に迫られたい
20180324



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