++忘れられた人



 彼女は最近、ひどく疲れているように見えた。化粧で誤魔化しているが目元には薄ら隈が。食欲は無く、持ってきた弁当はいつも半分ほど食べると鞄の中にこっそりとしまい入れる。体つきは次第に細くなっていった。そんな彼女を心配していたのは何も僕だけでは無かった。頼れるプロデューサーとして皆から慕われていた彼女を心配する者は多かった。美味しいカレーが出来たから一緒に食べよう、少しお休みも必要じゃないですか?、往々にして皆声を掛け、彼女を労ったが、次第に彼女は衰えていった。

「──辞めたって、どういうことなんだよ!」
「ごめんなさい、僕もよく分からないんです。社長が仰ったことで……」

 天道がバンッ、と彼女のデスクを叩いた。デスクの上には、彼女の私物は何一つ残っていない。
 山村くんは困ったように眉根を上げて、今にも泣き出しそうな表情をしている。
 彼女が座っていた席を見る。いつも少しごちゃごちゃとしていて書類が積み重なっていたデスクの面影も無い。マグに入った飲みかけのコーヒーも、端にいつも置いてあるスマートフォンも。朝はいつものように僕らを見送ってくれた。いってらっしゃい、と微笑みながら。そんな中で辞めること考えていたのかと、誰も居ない事務所の中で粛々と自身が居た痕跡を消していたのかと、そう思うと胸が苦しくて、その行動を決定づけたのは一体何なのかを知らなければ気が済まなかった。それは僕らに言いづらいことなのか、それとも僕らに言うことさえ嫌なのか。

「社長は一体何を言っていたんだ?」
「名字さんが前々から決めていたことだと、引き留めることが出来なかったと」
「でも名前さん、そんなことオレたちには全然、」

 信頼していたプロデューサーの唐突な辞職は、僕たちの心を揺さぶるには十分すぎた。
 山村くんは、目を伏せて、小さな、とても小さな声で、こんなこと絶対信じていないんですが、そう前置きをして話し始める。

「……名字さんが辞めたのは、この仕事が嫌になったから、事務所のアイドルたちに嫌気が差したからだって」

 天道と柏木も、大きく目を見開いた。
 信じることが、出来なかった。
 いつも笑みを絶やさずに仕事をしていた。僕らをトップアイドルにするのが自分の夢だと。その姿を見守っていたいのだと。そう僕らをスカウトした時に、こちらが引いてしまうほど熱く語っていた彼女の姿が瞼の裏に浮かぶ。
 そんな彼女が、この仕事を、僕らのことが嫌いになったと、そんなことが信じられなかった。

「そんなこと……」
「僕だって信じられない、いや信じてませんよ。名字さんが、嫌いになったって、そんなことあり得ないじゃないですか……!」

 柏木の声がわなわなと震えていた。山村くんはぎゅっと唇を噛みしめる。
 彼女との思い出が走馬灯のように頭の中を走って行く。DRAMATIC STARSをトップアイドルにしてみせると宣言してみせた日。レコーディングでは僕らよりも遙かに緊張していた。初めてのライブで感動で涙を流した彼女の姿。撮影で海に訪れたときに、今度は夕日が沈む姿も見れたらいいなあ、と呟いていた姿。CD発売記念の握手会で、姿が見えないと思ったら彼女が列に並んでいたこと。作戦会議と称してファミレスでご飯を一緒に食べたこと。少し肌寒いと、一緒にココアを飲んだ日のこと。
 カチカチ、と頭の中で歯車が動き始める。何か兆候があったに違いない。彼女を、こう行動させたなにか原因が。
 一緒にココアを飲んだ日、本当につい最近のことだ。その時も彼女はどこか不調そうで、腕をさすっていたからココアを差し入れたのだ。ぴとりと首筋にココアをくっつけると、彼女は大げさに跳ねて、僕の顔を見た。そして一度下を見て、びっくりした桜庭さん驚かせないでくださいよ、とぷすっと頬を膨らませながらそう言った。彼女の手の甲には、僕の見間違いで無ければ、名前が小さくマジックペンで書いてあった。彼女はその手の甲を隠すようにもう片方の手で隠した。
 まさか、と思った。感染経路、及び発生要因は不明。致死率は100パーセント。最近になって発症が確認された不治の病。万能薬も特効薬も無い。研修医時代、こんな馬鹿げた病気があるのかと、鼻で笑ったことがあったが、実際に発症した患者を見て背筋が凍った思い出がある。誰でもかかる可能性がある。人の記憶を蝕む、恐ろしい病。

「桜庭、お前いったいどこに!」
「社長室だ」
「オレも……!」
「いや、天道と柏木は待っていてくれ」

 彼女がそうだとしたら、背筋に冷や汗が垂れる。手の甲に名前を書いていたのは、既に僕らの名前を忘れていたせいなのか。気が付けば一歩を踏み出していた。もしそうなのだとしたら、考えたく、なかった。





20170911


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