++世界が遠のく/黒野玄武



※生理ねた



 控えめに言ってやばい。私が言いたいのはこれに尽きる。
 何が原因なのか。徹夜もしくはエナジードリンクで疲れを誤魔化した不規則な生活、眠気覚ましに浴びるぐらい飲んだコーヒー、最近飲み会続きでアルコールを結構摂取していたこと。心当たりが多すぎることも問題だ。いやもう本当に死ぬほど痛いし集中力が言い方が非常に悪いがゴミクズなのである。お腹をペンチやトングでねじり回されているような鈍く強い痛みに思わず呻いた。本当に死にそうだ。
 月経痛は女性によって様々だと聞く。普段通り変わらずに生活できる人も居れば、ベッドから起き上がれない人も。私は普段は少し痛いなと思う程度で酷ければ鎮痛剤を飲めばけろりと出来る比較的軽い方だと思っていたけれど、今回ばかりは本当にやばい。自分史上最高に痛い。こんな痛みに、いやこれ以上の痛みに世の女性が毎月苦しんでいるのだと思うと私の今までの軽い月経痛なんて子どものお遊びみたいなものだと思えてしまう。それぐらい今回はやばい。例えるならばヒモ無しでバンジージャンプをしている感じ。もう自分でも何を言っているか分からない。それぐらい痛みで思考はまとまらないし集中力は皆無。

「……白湯」

 驚くことに食欲も全く無い。今日一日口に含んだものと言えば、お湯とゼリーだ。自分の食欲がなくなることなんて絶対無いだろうなと思っていたけど完全に今がその時である。
 生理中はお腹を冷やさないことが良いと言うのを信じている。鎮痛剤の効き目が気休め程度なので、早々にお腹を暖めることに余力を費やしている。ブランケットを2枚に重ねて、温かい飲み物を飲むようにして、あとは動くと痛むのでなるべく動かないように。今日外に出る予定が入っていなかったのが救いだった。
 立ちあがって給湯室に行こうとすると、ぐわんと視界が揺れた。あーこれはやばいやつ。あー、と情けない声を出しながら、歩こうとするけれど足に力が入らない。痺れるような感覚、地面が歪む。とにかくどこかに掴まなければ、と手を伸ばすも力が入らずに遠近感覚が掴めずに、肩や頭に棚や机がぶつかって、ようやく掴めたと思ったら積み上がった段ボールで、私の体重を支えるには力許なく、どたどたと段ボールが崩れ落ちてついでに私の持っていたマグカップも、がしゃんと割れた。割れた陶器に突っ込んだら血まみれになる、となけなしの気力が、真横に身体を倒れさせる。ごとんと頭が床にぶつかる。そのまま荒い呼吸を繰り返した。意識が遠のいていく。




「──さん、番長さん!」

 意識が覚醒してきて青ざめた玄武くんの顔が視界いっぱいに見えた。人生初気絶である。どれぐらい意識が飛んでいたのかは分からないけれど、玄武くんが居るし、数分ぐらいは気絶していたのかもしれない。

「ふ、はー、あー、だいじょうぶ……」
「大丈夫、じゃねえだろ」

 あー、と声が出る。視界がぐるんぐるん回っている。上手く呼吸が出来ない。いきなり立ちあがったから脳貧血と、連日の無理が身体に祟ったことと、生理中のこの身体のコンディションの悪さでこんなことになってしまったのだろうか。
 膝を折った玄武くんが、救急車呼ぶか?、と尋ねたのでそれに首を横に振る。身体中の血管がどくどくと脈打っている。それに2分待って、と言った。目を閉じる。とにかく身体が落ち着くのを待つ。はーはー、と肩で息をする私を、玄武くんが名前さん、と焦った声音で呼び止めた。
 だんだん気持ち悪さが抜けていく。とにかくこのまま床にうずくまっているのはまずいから、ソファに横たわるか事務椅子に座るかしないと。床を掌で押して立ちあがろうとするけれど、肘ががくんと折れてしまって立ちあがれない。早々に諦めて仰向けになる。この感じだと立ちあがれたとしてもまた立ちくらみで倒れそうだ。助けを求めた方が良い。

「ば、番長さん、」
「ごめんなさい、玄武くん。そこの椅子、いやソファまで、はこんで、いただけます……?」
「打ったのは頭か? それならこのままにして救急車呼んだ方が……」
「たぶん、ただの立ちくらみだから……」
「どこか痛い所や違和感のある所はあるか?」
「とくに、ないです」
「それじゃあゆっくり運ぶから、どこか痛かったら言ってくれ」

 玄武くんのここまで青白くなった顔も初めて見る。リリースイベントでも毅然とした表情をしていたのに。
 玄武くんは私の膝裏と背中に腕を入れて持ち上げた。割れ物を扱うかのようにゆっくりゆっくりと歩いてソファに下ろした。ありがとう、と言って目を閉じる。まだ身体中がどくどくしている。けれど呼吸は落ち着いてきた。目を閉じながら口を開く。声が掠れる。

「玄武くん、朱雀くんは……?」
「朱雀なら飲み物を買いに行った。もう5分もすれは来るだろう。……番長さん、」
「あー、へいき」
「倒れて平気なはずがないだろ」

 うわあ情けない。思わず手で目元を隠した。玄武くんが膝をついて私を見ているのが気配で分かる。

「たぶんちょっと、横になってたら治るから……」
「なんか隠してるんじゃないのか? 今までそんなこと無かったじゃねえか」
「あー、んー、いやー、」
「俺には言いにくい話か?」
「あー、まあ、はい」

 ちょっと男の子に対して生理とは言いにくいし、というか今までこんなことにならなかったから、生理だと言ったとしても他に原因があるんじゃないかと詰め寄られそうだ。それが連日の不規則な生活もあるかもだなんて冗談でも言えない。
 はあ、と玄武くんがため息を吐く。
 名前さんが死んじまうかと思った、と彼が消え入るような声で言った。まさかあ、と私が笑うと、笑い事じゃないだろう、と玄武くんが鋭い声音だ。

「……事務所入ろうとしたら上から何かが落ちるような音がして、番長さんは倒れているし、呼吸は荒いし呼びかけてもうわごとみたいな返事しかしない、」

 慌てて手を取って彼の方を見遣れば、泣き出しそうな顔をしていた。びっくり、した。眉根をつり上げて目は辛そうに細くなる。唇をぎゅっと引き結んで、それに手が震えていた。彼のこんな表情を見るのは初めてで胸がざわつく。
 名前さんが、生きてて良かった。祈るように彼が言った。私はなんて、残酷なことをしてしまったんだろうと思った。幼い頃に大切な人との別れを経験している彼に、私はもう一度その悲しみを味合わせようとしていた。
 ごめんね、生理なのと最近不規則な生活をしていたのと、今日碌なもの食べてないからそのせいだよ、と彼を安心させるために言う。すると安堵のため息が玄武くんの口から零れる。何か必要なものはあるか買ってくる、と玄武くんが尋ねた。何か胃に入れたいからゼリーを、と言ったところで、そんなもんばっか食ってるから倒れるんだろうが、と軽いデコピンが飛んでくる。いつもの玄武くんの表情に戻っている。ああ良かったと思った。卵粥が食べたいなあ、と仕方がねえな、と玄武くんが給湯室に向かう。
 ぐつぐつとお湯が煮たる音とねぎを切る音。玄武くんに、二度と、あんな表情はさせたくない。







20180710


- 80 -

*前次#
ALICE+