++怪物/九条天




「今まで恋愛をする暇なんてなかったよ。意外?」

 足を組んだ姿が様になる。色素の薄い髪の毛や長い手足、白い肌、顔立ち、その全てから天使と称されることもある彼は特段表情を変えることなくそう言った。
 淡い色の目が私を見つめては、すっと瞼が伏せられる。意外も意外だ。彼のこの外見だったら彼女の一人や二人過去にいただろうと思っていたのだ。確かに彼の境遇を考えれば恋愛をしている暇など無かったのかもしれない。

「勉強にレッスンに、アイドルになってからも。恋愛なんて不必要なものだと思ってた。そもそもアイドルには恋愛なんて要らないでしょう? スキャンダルになったらボクだけじゃなくグループの、事務所の損失にもなる」
「確かにそうですけど……」

 ソファの一番はじっこに身を寄せるように座る私は、内心ビクビクしている。本来ならばこんなところに招かれるような人間ではないのだ。
 机の上に置かれたコーヒーは既にもう冷めきっている。それに手をつける余裕がない。喉は乾ききっていて、声は掠れている。
 どうしてこうなったのだろう、と思案する。普段は姉鷺さんの小間使いのようなことをしている私だ。それに常にそんな風に働いているというわけじゃない。どうしても姉鷺さんの手が回らないときに少しだけアルバイト代をもらって働いているような分際だ。将来は業界に関わった仕事がしたいと思っていたので、知人のツテで仕事を紹介してもらったのだった。それがたまたま世間を賑わすトップアイドルグループだった、というだけだったのに。

「コーヒーのおかわりいる? もう冷めてるけど、それ」
「ね、猫舌なので……」

 彼に言われて半ば半強制的にコーヒーカップを手に取った。手の汗で滑る。味がまったくしなかった。

「かわいいね」

 かわいい?、カップが滑り落ちそうになって寸でのところで止めた。かわいいのはあなただしいきなり何、と強く思いながらあはは、と空気を濁した。ステージに立っている時とそうではない普段の時とでは、彼の印象は変わってくる。彼は理想のアイドルとしての彼を、ファンがいる間ずっと演じているのだ。普段の彼は素っ気なくどちらかと言えば冷たい、不必要なことはしない言わない合理主義だ。お世辞でかわいいとは言わないだろう。彼が何か企んでいるのかと身構える。

「今日は楽も龍も帰ってくるのはあと二時間後ぐらいだよ。雑誌の撮影で」
「へえ……そうなんですか」
「そう。だからそれまでは二人きり」

 どうして恋愛の話になったのだろう。彼らが載っている雑誌の特集で恋愛の話をしていて、それからだ。九条さんとこんな話をしはじめたのは。
 彼はいつも通りファンが喜ぶような、そんな回答をしていた。彼らが事務所を辞めてから、メディアへの露出はより自由になったようにも思える。悪く言えば守られなくなったのだろう。だけれどそれが今は良い方向に進んでいる気がする。今まで見ることができなかった彼らの一面見られるようになった。

「ボクはなにも思ってない女性を家に招いたりしないからね」
「それはどういう……」
「そのままの意味。名前さんが好きだから」

 ソファが軋む。九条さんがおもむろに近寄ってきて、私の手を自身の胸に押し立てた。薄いけれど筋肉がある胸板だ。心臓がどくどくと速く脈打っている。その体温の熱さに思わず手を離そうとするも、彼がしっかりと握っているせいで離せない。彼が私の目を見上げるようにじっと見つめながら、分かる?どきどきしてるの、と言った。

「好きだよ。ファーストキスは名前さん。ドラマのときに練習したいからってキスをせがんだけど、あれはファーストキスは名前さんとが良かったから。それにセックスをするなら、名前さんとしたい」

 反りぎみの肩を腕で抱き寄せられて、彼のきれいな顔が至近距離で見える。お人形さんみたいな白い綺麗な肌、くるんとカールしたまつげ、ぱっちりとした二重の大きな目、薄い唇。ボクと付き合って、吐息まで甘い。

「ああの、」
「世間から見ても顔立ちは整ってる方だと思うし、体も華奢ではないと思う。隣の二人ががっしりしているせいでそう見えるけど。ボクのこと嫌い?」
「嫌いでは、ないですけど……」
「じゃあ好き?」
「アイドルとしては好きです……」
「じゃあアイドルじゃないボクのことは好き?」
「す、好き方だと思います……」
「それならボクと付き合って」

 雑誌で、好きな人が居たら押すタイプだとは思いますね、と言っていた彼の言葉が脳裏にありありと思い浮かんだ。
 頷くまで帰さない、彼らが歌っている曲の一部だがまさにそれだった。その威圧感に負けて、はい、と言ってしまう。

「キスしていい?」
「え」
「恋人同士なんだからキスしてもいいでしょ」

 更に距離を詰められて、はいとしか言えなくなる。
 後頭部を押さえられて、髪の毛がぐしゃりとした。鼻の頭がこつんとくっついて、啄むような口づけが幾度となく落とされる。そのまま口のなかに彼の薄い舌が入ってくる。舌同士が絡まって、唾液が口のなかに入ってくる。はあ、と吐息混じりの声。ぐぢゅぐちゅとした水音を聞かせるようだ。舌先や唇がだんだんと痺れてきて、唾液がつう、と顎に垂れそうになる。それを彼が舐めあげた。ドラマで話題沸騰になったのも記憶に新しい。あの九条天が獣みたいなキスをしている、と。
 全部私が教えた。キスをするときの息の仕方も、腕の回し方も、舌の使い方も。その時よりずっと、なんというか扇情的だ。全部自分のものにしていた。

「名前さんかわいいね」
「あ、や、ちょっと待って」
「待って、て何が? 教えてくれたのは全部名前さんでしょ。服の中に手を入れて、横から背中までゆっくりなぞると良いって」
「変な気持ちなっちゃうから」
「なってよ。ボクだってセックスしたい」

 あの九条天からセックス、という単語が出てきたことに目眩がした。自慰すらもしなさそうな顔をした彼が、こんな卑猥な言葉を言うなんて、いやらしいことをするなんて夢にも思わなかった。そもそもどうして、恋人に? 私なんていたって普通なのに、意味が分からなかった。
 がちゃ、とドアが開く音がした。誰かが帰って来た。ただいま、と十さんと八乙女さんの声がして、彼が引いた。

「続きは、また今度」









20190713


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