++わるいこどもたち/キバナ


 カレーライスってそこまで好きじゃなかった。
 今思えばカレーもそうだし旅もそこまで好きじゃなかった。親から勧められて始めたジム巡りの旅は学ぶことも多くあったのかもしれない。ただ私には合わなかった。

「悪い大人になっちゃった」

 平日の昼下がり、天気は快晴でそこそこ暖かい。体調が悪いと嘘をついて仕事を休んで、公園でアルコールを片手にぼんやり景色を眺める大人になるだなんて、昔の私は思ってもいなかっただろう。
 相棒のゲンガーは夜になると途端に元気になる。昼間の日差しの強い頃は私の影の中に隠れるのがいつものことだ。薄っぺらい木のベンチに身を預ける。アルコールが程よく体に回っている。
 私の人生、大事な局面で自分の意志で選択をしたことは数えるぐらいしかないのかもしれないと思ったらぞっとした。旅に出たのは周りがそうだったからだ。ジムチャレンジをしたのも周りに流されて、旅を終えたあとに勉強して進学校に通ってこうやって冴えないOLをしているのも周りがそうだったから。そう言えばセミトーナメントを遅刻したこともあったが、それは不可抗力だ。最初の相棒にゲンガーを選んだのは自分の意志だったけれども、自分の意志で何かをしたというのはそれぐらいだった。

「ねーえゲンガー、新しいポケモンフーズとか見に行く? 同じ味だけじゃ飽きるよね」

 ぎゃう、とゲンガーが影の中で鳴いた。おそらく今はゆっくりしていたいがもう少ししたら行く、と言っているのだと思う。おそらく。

「このまま寝ちゃうのもいいねえ」

 将来はこういう陽だまりの中で、眠るように死んでいきたい。ずるずると前に体がずれる。はあ、とため息を吐きながら、体全体を弛緩させていく。
 ざりざり、と地面と靴が擦れて歩いてくる人の足音が聞こえてくる。平日の昼下がり、この公園という場所で何かをしているひとというのはそこそこ少ないし、こんな昼間からアルコールを摂取して虚ろな目をしている女が座る近辺を通ろうとしてくる人間というのはもっと少ない。誰、と伏せた目をゆっくりと開ける。空を覆い隠すような巨体、逆光のせいで凶悪な顔が更に凶悪に見えた。青い目が私を見据えている。口の端をつり上げて、その人物は言った。久しぶりだな、と。

「えっと、キバナ。覚えてる? ジムチャレンジぶり……?」
「トーナメントで遅刻された挙げ句、そのゲンガーで3タテしてきた女を忘れるわけねえだろ」

 タイプ相性も良いわけじゃないのにな、と彼は私の横に腰を下ろした。当時から変わらない長い脚を組んだ彼は、私の手に持ったシードルをふーん、と眺めた。見られた以上、もう変に隠すのもな、と妙に乾いた喉を酒で潤す。

「なんでここにいるの?」
「町のパトロールも仕事なんだよ。公園のベンチに昼間っから黄昏れてる女が居たら、どうかしたのか一応聞くだろ」
「ごめんねえ」
「で、オマエこそなんでここにいるんだ?」
「なんとなく……?」
「なんとなくで平日の昼間っから酒飲むか普通」

 影の中から這い出てきたゲンガーが不服そうな声を上げる。彼の頭をこちょこちょと撫でる。居心地が悪い。

「疲れたから仕事さぼってのんびりしてるだけだよ」
「オマエ、何の仕事してんの?」
「広告代理店の経理」
「セミトーナメントでベスト4入った女が? 勿体ねえな」
「バトルで生きていけるのは一握りでしょ」

 それ以外にも酒買ってるんだろ、オレにもくれ、と手を差し出される。パトロール中のジムリーダーがこんな昼間から飲んだくれしてたら相当印象悪いと思うんだけど。久しぶりの旧友との再会の場でその言葉は野暮だろうと喉の奥でその言葉を留める。酒屋で買ってきたビニール袋を漁って、地黒エールを取り出す。オレこれじゃなくてそっちがいい、と面の皮厚く別の方を指差す先にあるのは、カロス地方産の白ワインである。クッソこれそこそこ高いやつなんだけど、と悪態をつきそうになりながら差し出した。
 ジムチャレンジというのは子供に現実を突きつけるには酷く上等な手段だった。町で一番の実力を持つ子供のトレーナーが、ジムチャレンジを許可される。そしていざ表舞台に立つと自分は所詮井の中の蛙だということを知らしめされるのだ。そうやって現実を知った子供たちは、ジムチャレンジを終えると、あるいはジムチャレンジの最中でポケモンバトルをずっとしていきたい、という夢を追いかけることをやめる。チャンピオンになることもジムリーダーになることも、ジムトレーナーになることも、それは限られた才能がある者しかできないという事実を受け止めざるを得ないのだ。バトルで生計を立てることは難しい。だからこうやって私は何の変哲もない会社で働いてお金を得ている。人波に混ざって、軍人が整列をするように足並みを揃えて出勤する。平日5日間のルーチンワーク。人生はそう楽しくない。けれど生きている。もし私が、バトルで生きていけるような才能があったなら、そう思うことは無いとは言い切れない。目の前の男はそれをしている。しかも同期で、私と同じ舞台に立った男が。だからこそ心境は複雑だ。感慨も無さそうな顔でワインを手渡してはいるけれど。

「ジムリーダーがこんな所でアルコール煽ってて心象悪くなるんじゃないの? そういうの大事でしょ芸能人って」
「今日1日オフだからいーの」
「そういうもんなんだ……」

 キバナはコルクを外そうとしたけれど、どうやらきつかったらしい。これは無理だな、と諦めて真ん中に置く。私はその代わりに温くなったビールを手渡した。

「元気?」
「いきなり何なの、元気だよ。普通に」
「その割にはつまんなそうな顔してるけどな」

 仕事に疲れ切ったOLの顔なんてこんなものだ。平日の夜は適当にご飯を食べて、適当にドラマを見て、SNSをチェックして、次の日には隈を化粧でごまかして出勤。休みの日は摩耗しきった体をどうにか休める。そうやって人生を浪費していくのだ。この男は違うだろうけど。そう思ってしまうということは、私も彼と同じようになりたかったということなのだろう。志半ばで諦めた私と、最後まで諦めなかった彼。その差は雲泥であることは身が痛いほどわかっていた。

「帰っていい? 用事があるの」
「これから何も予定がないとか言い出してたのに?」
「出来たの」
「まあ待てよ。うちにはこのワインを開けるオープナーがある」
「私の家にもあるよ」
「それにつまみもあるし、なんなら試供品で貰った小包のポケモンフーズが山ほどあるぜ」
「なにそれ、お誘い?」
「そうだ。こんな所で話してたら目立つだろ? オレ様人気のジムリーダーだしな?」
「そうやって色んな女連れ込んでるんでしょ。不潔」
「洗面台の棚でも冷蔵庫の中でも、ベッドの周りでも何でも見まわせば分かるよ。そんな世間の印象とは打って変わって清廉潔白、ストイックに日々鍛錬してるってな」
「行くメリットが思いつかない。」
「何年も昔引きずって、その女の面影で似てるからって声かけて、ドンピシャで浮足立ってるオレの気持ち分かるか?」
「それって私のこと好きみたいじゃん」
「そうだよ好きなんだよ。分かったか」

 来る?来ない?、存外彼の目がまっすぐに私を見つめて来たので、耐えきれなくなって思わずふきだした。

「オマエここで笑う要素ねえだろ」
「いや本気なんだなって思ってたら面白くて」
「本気に決まってんだろ。連絡先も交換できず10年も会うことなく偶然見つけた相手なんだから」
「生ハムある?」
「ある」

 ここまで熱烈なアプローチをされて彼の誘いを断るというのもどうだろうか。それが彼の常套手段なのかもしれないけれど。それを彼が察したのか、オマエだけに言わねえよこんなこと、と呆れたように言った。じゃあ行こうかな、と立ち上がると、ゲンガーがやれやれと重い腰を上げた。

「男の家に上がるなんて、危機感ないよな」
「変なことしたら、ゲンガーが黙ってないからそのつもりで」
「昔から食えない女だよオマエは」
「どうもありがと」

 10年ぶりだというのに、紡がれる軽口の応酬は以前より滑らかなような感じがする。お互い少しだけ大人になった。だけれど昼間からアルコールを煽る真似だなんて、いい大人がするはずがないのだ。






20200419



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