「……伊瀬谷四季」
名前が怒っていることは明白だった。名前は怒ると、フルネームで名前を呼ぶことは過去三度名前を怒らせたときに実証済みだった。一度目は、ふざけて遊んでいたらパソコンの電源を抜いてしまってデータが全て消えたとき。二度目は夏のライブ前に水遊びをして彼女に水を掛けてしまったとき(ワイシャツが透けて彼女の下着がくっきり見えてしまってどぎまぎしたこともつけ合わせて置く)。三度目は、仮縫い状態の衣装ではしゃいで転んで、盛大にコーヒーをぶちまけてしまったとき。
今思い返せば全て自分に非があったとと四季は思う。今回は思い当たらないな、と四季が暢気に思考しているうちにも名前の形相は鬼のようなそれに変わっていく。
「どうしたんすか、名前ちゃん。顔怖……」
「これ」
これ、と突きつけられたのは一片の紙切れだ。身に覚えがない四季はどれどれ、とそれをのぞき見る。ちょうどレッスン終わりで今日はマックにでも行くか、と話していたハイジョーカーメンバーたちも後ろからそれを見た。
よく目を凝らして見て、四季はさっと顔を青ざめさせる。制服の内ポケットをこっそり探すも、突っ込んでいたはずの今日返されたテスト成績表が無い。あるのはキャンディーの包み紙だけで、動いているうちに落ちてしまったのだということが分かった。名前に見られたのが運の尽きである。
「この成績、どういうこと?」
怒号があたりに響き渡った。
・・・
「もー無理っす! お腹空いた!」
名前のデスクの横にこしらえた特設の勉強机には、数学の参考書と数式が書き綴られたノート、ペン類が散らばっていた。
始まりは一週間ほど前。名前から見るも無残なテスト成績表、――全体で見てると下から数えた方が圧倒的に早い順位、四季授業の半分以上寝ていた数学については最下位でもおかしくない点数を叩き出した、見られた四季は、仕事終わりに期末テストまでの一か月半、二時間以上の自学の時間を取るように言い渡された。しかも自宅では絶対に勉強をしなさそうと言う理由で、事務所で勉強をしろとのお達しだった。
「もうちょっとで終わるじゃん。あと5分くらい解いて」
「分かんない! メガメガ難しいっす!」
「……場合分けの問題でしょ。最初に横着せずにグラフ書けば解けるんじゃない?」
「うえー」
名前はデスクワークの傍ら、ちらりと四季のノートを見てヒントを言った。
土曜日の昼前。午前中早くの撮影を終えたハイジョーカーのメンバーもまた、四季と同じように自習をしているし、彼らに触発された所属の学生アイドルたちも仕事終わりに、または仕事が無い休日に、使う機会が無い会議室に机を並べて自習をしているのだ。何せプロダクション内には化学、数学、英語を教えるプロがいるし、彼ら三人以外にも教える人間は事欠かない。物理から古典、はたまた政治・経済まで教師陣のバリエーションがある。勉強をするには最高の布陣だった。
「どうしても分かんなかったら、硲さんに聞くといいよ。確かセムは13時には戻ってくるし」
「うー、もうちょっと頑張るっす……」
学生たちが集まる会議室から四季がこうやって一人隔離されているのも、彼自身が望んだことで、本人曰くメガメガ楽しそうだけどぜってえ集中できないっす、とのことだった。名前はうんうんと唸る四季にそっか、と返事をする。カタカタとキーボードを叩く音と、シャーペンの芯がカリカリとノートを滑る音が聞こえる。
がたん、とドアの開く音。ハイジョーカーの四季以外のメンバーがぞろぞろと事務室に入ってくる。
「シキー、コンビニ行って来るけど、何かいる?」
「来る途中買ってきたから大丈夫っす!」
「りょうかいー」
四季がハヤトっち優しい、と涙ぐむような声で言うので大げさだろ、とけたけたと笑いながら事務所の外に出る。
そこから更に手を動かすこといくらか。ようやっと答えを導き出し、解答をじっと見れば当たっていて、しゃっと赤ペンで大きく丸を付ける。やっと終わったー!、と両手を挙げて伸びる四季の横で、名前も大きく息を吐いてお昼ご飯を取り出した。四季が勉強をしている手前、一人で食べているのもなんだか居心地が悪いようだった。
「名前ちゃんのお弁当おいしそ……」
名前が取り出したタッパーの中には、薄く敷いたご飯の上におかずが乗っている。唐揚げに卵焼き、もやしのナムル、きんぴらごぼうに梅干し。色とりどりのそれに四季は目を輝かせた。
「四季、炭水化物ばっかり……」
「普通にお弁当買うと高いっすもん」
四季が広げたのは、おにぎり二つとメロンパンだった。名前はやれやれと肩を竦めながら、どれがいい?、と尋ねると更に四季の目が輝く。えっとえっと、と悩む四季の口の中に名前は唐揚げを放り込んだ。四季は驚きながらももぐもぐと咀嚼する。ふんふん、と何やらいたく感動したようで口にするけれど、名前にちゃんと食べてから話す、と制されてあえなく黙る。
「めっちゃうまい!」
「そう言ってもらえると嬉しい」
「冷めてんのにおいしい! 味ちゃんとついてるし、食べるとじゅわってするし、名前ちゃん天才っすか!」
「褒めすぎだって……」
「もう一個! もう一個くださいっす!」
「私の分無くなる……!」
四季の顔がぐいっと近くまで来て名前が狼狽える。お弁当を上にあげながらきらきらと自身を見つめる四季の目を何とか躱す。しかしそのいつまでも見つめてくる目に耐え切れずもう一個餌付けしてしまった。残りの唐揚げは二つ。貴重なたんぱく質をこれ以上与えるわけにはいかないと目をひたすら反らしていると、四季の猛攻撃も鳴りを潜める。
「あー、名前ちゃんの作ったからあげ、大盛りで食べたいなあー」
「テストの成績良かったら大盛りでも山盛りでも作ってあげるよ」
「マジっすか?! 本当? 名前ちゃん好きー! 愛してるー!」
「まずテストで良い点数取ってからね」
ぎゅーっと抱き着いてきた四季に驚きながらも、はいはいと名前はいなす。ちょうど帰って来たハイジョーカーのメンバーにこの光景を見られて驚かれるまであと少し。更になんやかんやで四季の口が滑ってメンバーにも唐揚げを振る舞わなければならなくなることを名前は知る由もない。
20170629