夏の熱に浮かされた/桜庭薫
「あっつ……」
外気温は摂氏38度。殺人的な太陽の光が身も心も焦がす時期。先ほどまで外で営業をしていた名前にとってはもうこの気温は死活問題だ。世の中クールビズが推奨されていると言っても、長袖のワイシャツのスーツは堪えるものがある。しかも長袖を着ていてもなお、じりじりと肌を焦がす光だ。何もしなくても汗が噴き出るので、朝から何重にも塗りたくった日焼け止めはすぐ落ちてしまう。
事務所の扉を開けてもむわりと淀んだように思える空気。設定気温は30度と環境に優しい仕様になっているのでクーラーの冷気を浴びている感覚はまったくない。
「ただいま戻りましたあ」
「あ、早かったですね、名字さん」
「この部屋暑くないですか?」
「え、そうですか?」
「暑いです山村さん」
リモコン、と名前が手を伸ばすと、山村はさっと手元にあったリモコンを抱き寄せた。断固として名前にリモコンを渡したくないようだ。
「あっついんですけど」
「だめです、節電するって言ってたでしょう社長が」
「今ここに居ないから良いじゃ無いですか」
「いつもに増して規範意識が雑ですね!」
「あー、もうだめです! 暑すぎ。見てくださいよ! この何もしなくても流れる汗!」
とにかくだめです、と山村が席を立つ。手には書類を持っていることから、報告書の提出に行くのだろう。机に置いたリモコンを見て、名前を一瞥してから、絶対にいじらないように、と釘を刺した。それに名前は気のはいっていない返事をした。
「あっつ……」
ワイシャツのボタンをぷちぷちと外す。流石にスラックスは脱げないな、と思いながら、汗ふきシートで全身を拭っていると思わぬ来訪者が現れた。外気の暑さにほんのりと顔が赤くなっている桜庭だ。彼が挨拶をしたのに名前もおはようございますと返そうとすると、桜庭の顔がぎょっとしたものに変わる。
「……いったい君は何をしているんだ?」
「汗ふきシートで拭いて、制汗剤塗りたくってます」
ワイシャツのボタンは下着が見えない範囲のギリギリまで外しているし、腕まくりもしている。それにパンプスは脱ぎ捨てているし、はたはたとシャツの中の熱気を逃がすように扇いでいるという少々はしたない格好をしているので、桜庭が眉根を顰めたのも無理は無い。
「君は女性でここは男所帯なのだから配慮はしてくれ。目のやり場に困る」
「あーすみません。さっきまで一人だったのでつい」
彼が暑い、と独り言つ。そして目敏く山村の机に置かれたリモコンを見つけると、名前が何かを言う前にぴこぴこと設定温度を下げた。
「薫さん怒られますよ。設定温度勝手に下げたって」
「暑い」
耳が赤くなった彼に、そんなに暑がりだったかと首を傾げる。ライブでもここまで赤くならないのに。
それを珍しいなあ、と眺めていると、早くその格好をどうにかしろ、と彼が来ていたジャケットをばさりと放り投げられる。
20170728