「名字、」
「は、はい!」
びくりと肩を震わせた名前に桜庭は眉をひそめた。その挙動不審な様は、明らかに彼女が何かをやらかしたのだということを彼自身の過去の経験が言っている。事務所で使っているマグを割ったのか、それともスケジュールを誤ったのか。
桜庭は、はあ、とため息を吐きながらどうかしたのか?、と尋ねた。彼女だって人間であるし、人間はよく失敗をする生き物であることは桜庭自身が重々承知していた。それに加えて日常的なプロデューサー業務に忙しい彼女である。ミスの一つや二つはするであろう。名前も桜庭が些細な失敗で怒鳴るつもりは無いことは知っているはずだった。
「いえ、全然なんでもないです」
「何でも無いわけが無いだろう」
言え、そう暗黙のように言う彼に、名前は本当に何でも無いんです、あたふたと手を振りながら返答する。こうなった彼女は頑として口を割らない。はあ、と再び桜庭はため息を吐いて、簡易キッチンに向かう。野菜庫にしまってある桃に用事があった。天道が持ってきた桃だ。名前は食べ物が絡むと容易に口が軽くなる。果物ナイフと桃、皿を持って名字、と呼ぶと、彼女が振り向いた。振り向いた彼女が大げさに驚いて身を捩ったせいで椅子から転げ落ちて、床に頭を強打した。
「おい! 大丈夫か」
「あ、全然平気なので、……ッい、」
桃とナイフをすぐさま置いて桜庭は彼女の元に駆け寄る。頭は、としゃがみ込んで膝をつき頭に手を添えようとするが、とても怯えられた目で見られた上に後ずさりされたので、桜庭に若干加虐心がそそられ始める。口角を上げながら彼女に近寄る。じりじりとにじり寄ると、床に手を着ける場所が無くなり、やがて窓際の壁に名前が追い詰められる。
「まっ、ちょっとまって桜庭さん」
「ただ診るだけだろう。頭を打っているのだから、用心に越したことは無い」
追い詰められた名前の顔が引きつる。まるで医者を怖がる子供のような表情である。追い詰められた名前は混乱したのだろう。頭を大きく後ろに振り切り、桜庭の顎をめがけて頭突きをした。アイドルをする前は医者をしていた彼だが、まさか頭突きを患者がしてくることは無かったため即座に対応できずにもろに当たる。桜庭は骨に響く痛みに顔をしかめた。名前と言えば頭突きのせいで意識が遠のいた。床に頭を打ったときよりも明らかに重傷である。自業自得だ。
・・・
「今朝、グレイみたいな宇宙人に連れ去られて、手術台にロープや布で羽交い締めにされて、にやりと口角を上げてメスを持った桜庭さんにお腹を麻酔無しで切られる夢を見まして」
「それが奇行に繋がったと?」
事務所の隅っこで居たたまれなくなった彼女が正座をしている。自身の担当しているユニットのアイドルの顔にあろうことか頭突きを食らわせてしまったことと、推しの顔に傷をつけかねない行為をしてしまった自分を戒めるためである。桜庭も居心地が悪いと思ったのか、拳いくつ分かの距離だけ離れて正座をしている。なんだなんだと事務所に出入りする面々は彼らを見遣る。先ほどピエールが、プロデューサーさん、と言葉を放つ前に、みのりが見ちゃ行けませんとでも言うように彼をレッスンルームに目隠しをして連れて行った。酷い反応である。
「申し訳ございませんでした……」
だらだらと汗が滲む。朝起きた時には寝汗でぐっしょりだった。その夢を見たせいで桜庭の顔を見ることが出来なかった。ナイフなんて持っていた彼を見たときは名前自身それだけで卒倒しそうだったのだ。
すっかりと萎縮して反省しきった彼女に、桜庭はふと興味本位で尋ねる。自分だけがこうやって彼女から恐れられるのも釈然としない。
「ちなみに、僕以外でそういった夢を見たことがあるのか?」
「こういう怖い夢のことですか?」
「ああ」
「……桜庭さんに対するわいせつ罪で天道さんに裁かれる夢と、飛行機に乗ってて柏木さんがレバー引き抜いてしまって墜落しそうになってあわあわする夢を、」
「酷いな」
20170815