桜庭さんが眠っているだなんて珍しい。営業を終えて、事務所へと戻ってきた。おつかれさまです、と言いながらドアを開けると、珍しく事務所内には誰もおらず、しん、と静まり返っていた。誰の声も聞こえないなんて今まであまりなくて、少し寂しいと思いながら自分の席に着こうとする。その手前、ソファに横たわり、眼鏡を外して腕を組んで寝ている彼を発見したというわけだった。
時間を見れば15時を回ったところ。彼のスケジュールは、確か朝早くから雑誌の撮影が入っていて、夜からもその続きがあったはずだ。次までに時間が空くからおそらく一度事務所に戻ってきたのだろう。きっとお疲れなんだな、と思った。いつも私が使っているもので悪いけれど、ないよりは幾分か良いだろうと思ってタオルケットをかける。それに彼が唸るような声を上げて、起こしてしまったかと内心ビクついたけれど、それも杞憂だった。
出来るだけ物音を立てないように仕事を始める。カタカタとタイピングをする音と、彼の僅かな寝息だけが聞こえる。一時間ほどもしていると、だんだんと集中力が続かなくなってくるのでコーヒーを投入する。コーヒーの香ばしいにおいがあたりに漂う。暖かい日差しが窓から漏れてくる。暑くないだろうか、と彼をちらりと覗けば心地よさそうに眠る姿があった。桜庭さんは神経質そうな性格だから、誰か人が居るような場所では眠れないのでは、と思っていたのだけど。どうやらそんなことも無さそうである。穏やかな表情だった。
徐々に日が傾いてきた。17時も過ぎた頃だ。そろそろ彼には準備があるだろう、と思って起こそうとする。桜庭さん、と彼の肩口をとんとん、と叩くけれど中々彼が起きない。本当にぐっすり眠っているようだった。
よくよく彼を眺めると、顔立ちはほっそりしていて、男性にしては華奢な印象を受ける。睫毛が長くて目を縁取っている。眼鏡を外している、更に寝顔ということもあっていつまより随分と幼く見えた。薄く開いた唇は厚くも無く薄くも無く。すっと通った鼻筋に、白磁のように白い肌。こんな男性が居て良いのか、いや良くない。圧倒的に顔が良すぎる。
揺らしても全然起きないのもあって、せっかくだし事務所のアルバム用に一枚撮ろうかな、と事務所専用のカメラを取り出す。日頃のアイドルたちの日常の瞬間を撮るのも私の仕事なのである。主に撮った写真は年末に発売されるプロダクションの写真集になったりカレンダーの写真になったり、あとプロマイドになったりする。
カメラを持って、床に膝をつく。フラッシュを焚かないように設定をして、ピントを合わせる。夕方の橙色の柔らかな光が差す中、柔らかな表情で眠る彼。最高のシャッターチャンスだ。私は一枚目をかしゃりと撮る。さらに二枚目を撮ろうとしたところで、レンズ越しに目を開いた彼とばっちりと目が合って、思わず驚いて後ろに引きそうになったのを腕をぐっと掴まれた。かしゃり、二枚目が撮られる。
「人の寝顔を撮るとは感心しないな」
「え、あ、いつから起きてたんですか……!」
「君が一枚目を撮ったときからだ」
私を掴んでいた手を離す。彼は含み笑いをしながら起き上がり、タオルケットをありがとう、おかげで暖かかった、と言いながらたたみ始める。
まだ心臓がばくばくしている。それもこれもレンズ越しにがっちりと視線が交わったからだ。彼としては珍しい、柔和に緩められた口許。優しげな目元が眼鏡を外したことで更に強調されている。何かに似ているな、と思ったら、きっと乙女ゲームの添い寝をしてくれる彼系のスチルである。その絵面を桜庭さんで撮れたのだと思うと心がとてもしんどい。
「そろそろか。悪いな、色々と気に掛けさせてしまった」
「いえ。あ、あの現場まで送りましょうか?」
「いや、向こうから迎えが来るようだから不要だ。あと、その写真は削除するように」
個人的には利用していいぞ、とにやりと笑いながら、身なりを整えて事務所のドアを彼が開いた。あとは残される私が一人。ぼんやりとしながら、先ほどの写真を表示させた。柔らかい表情も、その夕日が差しているのも、状況的に最強だ。ファンの方も悶絶だろうな、と思う反面、これを世の中に出してしまうのがとても惜しいと思ってしまう自分が居る。この写真は、私と桜庭さんの信頼関係があったからこそ写すことが出来た写真なのだ。私が後ろに転びそうになったのを瞬時に腕を掴んでくれた、その腕も画面の端に映っている。それを見るととてもにやけてしまって、表情が人様に見せられるものでない。
20170513