柔軟/御手洗翔太

 事務所にはアイドルたちがダンス練習が出来るような簡易的な部屋がある。外部のスタジオと比べたら、広さの面では劣るかもしれないが、設備は遜色ない。なのでユニット単位での練習によく使用されている。
 んん、と背中を伸ばすとゴキゴキ、と音がする。一段落終わった事務作業。ぐりぐりと肩を回しながらホワイトボードと時計を見れば、今日事務所内のレッスンルームを使っているのはジュピターとセムだった。目しょぼしょぼするし、カフェイン摂って眠気覚ましでもするか、と給湯室に向かうと、ちょうどドアを開けた御手洗さんと鉢合わせする。

「あっ名前さんだ−。お疲れさま!」
「御手洗さんもお疲れ様です。ダンス練習ですよね」
「うんそう。冷蔵庫で水冷やしてたの忘れてて」

 御手洗さんはTシャツにハーフパンツというラフな格好だ。冷蔵庫を開けて、翔、と蓋に書かれたペットボトルを取り出す。冷蔵庫は各々自由に使って良いことになっているので、持ってきたお弁当を冷やすためだとか置きアイスをするためだとかによく使われている。遠慮無く使うので、冷蔵庫の中は結構ぱんぱんだ。いつの間にかマジックペンで自分の名前を書くことが当たり前になった。
 私は、んー、と唸りながら、マグに適当にインスタントコーヒーを入れてお湯を注ぐ。そんな私を御手洗さんが一瞥した。

「なんか名前さんすっごい猫背じゃない?」
「さっきまでパソコンと睨めっこしてたからじゃないですかね」
「おばあちゃんみたい」
「おばあちゃん?!」
「あ、そうだ、名前さん今暇?」
「ちょっとなら……」

 おばあちゃんみたい、の一言にだいぶダメージを食らっている。急いで身体を伸ばすと張るような痛みが背中に来る。

「さっきまでミーティングしてて、今からダンスの練習なんだけど、ストレッチ一緒にしようよ。三人だと一人あぶれるんだよね」
「えー、御手洗さん別に一人でもストレッチ出来そうじゃないですか、身体柔らかそうだし」
「たまに押して貰いたいなって、いっつも冬馬くんも北斗くんも翔太身体柔らかいだろって言うし。ていうか名前さんデスクワークばっかりだと代謝落ちるし肩こり酷くなるよ、いいの?」
「良くないです……」
「じゃあ決まりだね!」

 御手洗さんが引っ張る。私はマグを適当に置いて、レッスンルームに急ぐ。階段を登ってレッスンルームに着くと、同じく動きやすい格好をした天ヶ瀬さんと伊集院さんが柔軟をしていた。

「翔太随分と遅かったんじゃない?」
「名前さん連れてきた」
「お前あんまり名前さんに迷惑かけんなよ」
「かけてないって!」
「いえ全然お気になさらず……。私こそ柔軟終わったら居なくなるので……」

 じゃあ僕からね、と御手洗さんが床に座る。脚をめいっぱい開いて、学生時代によくした柔軟だ。背中に手をかけて、じゃあ押しますね、と声をかける。

「え、いや、ちょっと、これもっと押して大丈夫ですか……?」
「もっと押して」
「これ身体溶けてます?」
「普通だって!」

 10秒押して10秒離しての次元じゃない。ずっと押しっぱなしである。ひー、と悲鳴を上げながら押し続けていると、べたりと御手洗さんの胸が床に着いて、背中がぞわぞわとする。やばい人間じゃない。続いて前屈でも私なんて要らないんじゃないかと思うぐらいの身体の柔らかさで、もはや彼が人間かどうかも疑わしくなってきた。押すとどんどん平べったくなる彼の身体にとんでもなく不安になってくる。その後もいくつか彼に教わった柔軟の手助けをして、ようやく終わる。手が震える。

「じゃあ次名前さんね」
「無理では……?」

 いつの間にか、向こうも天ヶ瀬さんが柔軟をされる側、伊集院さんが押す側に交替している。普通に見ても、彼らも柔軟性がものすごい。
 いいからつべこべ言わずに、と言われて、私は怖々としながら、床に座る。ジャケットを適当に畳んで床に置いた。パンツはストレッチが効く物だし大丈夫だろう。私は大丈夫じゃないと思うけど。

「私、お三方みたいに身体柔らかくないんですけど……」
「柔らかくするために柔軟するんでしょ?」
「そうですけど……」
「じゃあ行くね、って名前さんもっとちゃんとしてよ。脚開いて」
「これが限界なんですって!」
「本当?」
「嘘つきませんよ!」
「ふーん、じゃあ押すね」

 御手洗さんが訝しげに私を見た。そしてぐいっと背中を押す。柔軟なんて気が向いた時ぐらいしかしない私の身体が悲鳴を上げた。声にならない声が出る。
 これ以上押されたら私の身体が死ぬ。現に筋肉やら筋がこれ以上押されたらやばいと私に訴えかけている。

「う、あ゛! まっ、ちょっと、折れ、折れます!」
「まさか、もっと行けるでしょ?」
「むり! むりですって!」

 ぐりぐりと御手洗さんが押してくる。ずるずると私の身体が前に行く。
 伊集院さんがそんな私たちを見ながら笑っている。天ヶ瀬さんの身体が伸びる。

「名前さんいくらなんでも硬すぎじゃないですか?」
「冬馬くんの柔軟終わったよね。僕腰押さえるから、北斗くん背中押してくれない?」

 痺れを切らした御手洗さんが私の横に来て、腰をがしりと掴んで固定する。これやばいやつなのでは、冷や汗をだらだらと垂らしながら天ヶ瀬さんに助けを求めると、まあ頑張れよ、とじわりと汗ばんでいる彼がにこやかにそう言った。軽く腕を伸ばしたあとにあぐらをかいてこの状況を見ている。
 息吸って、吐いてください、と後ろから伊集院さんのめちゃくちゃ良い声が聞こえる。準備出来ましたか、行きますよ。そんなさっきからの御手洗さんとのやりとり見てたなら準備もクソもあるか。これ以上は無理だって分かっていらっしゃるはずなのに、彼らぜったいこの状況を楽しんでいる。死を感じた。






20180424

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