戸を開けた向こうで彼女は眠っていた。

少し遠い場所での任務だった。彼女と補助監督が一人ずつ。本来であれば有事を考えて二人一組で当たらせるものを、先の件で人手が足りなかった故にそうなったらしい。二級術師である彼女は決して弱くない。後輩が一時的に戦線を離脱している今、その隣に立たせるには彼も、己も余るというのが上の判断だったのだろう。
すぐに帰ってくるから。
その言葉を聞いた時に感じた妙な違和感を、虫の知らせのようなものを飲み下した自分を今でも許せないでいる。

そこが安置所でなかったことだけが幸いだった。
幾つもの管に繋がれて眠る彼女の頬は青白く、真新しい傷がついている。簡素な病衣の下を覆い尽くす包帯は止まらない血液でどす黒く染まっていた。体温は幾分も冷たくて、心臓が動いていなければ彼女の生を疑うほどだ。傍らに座って力の入らない手をそっと握る。それは少し前まで砕けていたという。辛うじて人の形を保っているだけのそれを無事だとどうして言えるだろう。これでも、こんなものでも生還と人は言う。
「傷が残る」
色濃い疲労を目の下に宿した友人はそう呟いた。
「起きてくれない」
きっとすぐに目覚めるよ、なんて気休めは誰も口に出せないままだ。

同行した補助監督は職を辞したと聞いた。凄惨な現場と呪いの図。後の処理に彼が向かわなかったことだけが唯一の相違か。彼女は一人で終わらせた。己の命を渡す寸前まで力を尽くした。それでも似たような呪いがしばらくすれば何処かに湧いてくることを知っている。
行けばよかった。それが彼女を侮辱することになろうとも行けばよかった。彼女は弱くない。学生の身では十分に力があって、そしてそれ以上に自分には力があった。共に行って片をつけていれば今も彼女は隣に座って頬を寄せて微笑んでくれただろう。手が足りないのがなんだ、その手を惜しんだせいでひとりの命が消えようとしている。命が消えずとも、もう二度とあの顔を見られないかもしれないと思うと、己には似つかわしくない恐れのようなものが渦巻くのがわかる。
戦うなとは言えない。この生き方こそを彼女はずっと望んでいた。誰にも決められず、誰にも定められず、自由に生きること。己の力をあるべきところで発揮できること。そしてそこに貴方がいればじゅうぶんに幸せだと前に言われたことがある。
戦わなければ傷つかなかったはずだ。こんな風に成り果てることもなかったはずだ。それでも何かを前にして彼女が逃げることはあり得なかった。だとしたら、それを生み出すものこそが無くなれば、彼女はもう戦う必要がない。二度とこんな、こんなことにはならずに済む。

では、それは。
彼女を傷つけた、それを生み出すのは。

名を呼んだ。返事は当然になかった。血と消毒液の匂いがする頬に口付ける。童話ではないから、こんなものでは目覚めない。或いは一度守れなかった自分はその役目を担えないということなのかもしれない。
明日の任務がなくなるほどの情は上にはないらしい。ならばその時間までここにいることくらい許されるだろう。誰もが皆知っているのだから。彼女が私を愛していることを。私が彼女を愛していることを。
眠るつもりはなかった。次に聞く彼女の声は現実が良かった。

そして。
それが叶うのが十年後になることを、その時は知らなかった。


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情交と街