
ヤクザパロ(!)
腥いにおい、血の匂い。目の前に広がる黒色。私の人生の終わりは呆気なくて、静かなものだった。
家の人間が人様に言えない仕事をしていると知ったのはいつだったろうか。不満も不足もなく満ち足りた生活をしてきた、そのための金銭が血だの痛みだのから生まれた汚れたものだと気づいたのは何歳の時だっけ。桜の樹の下には死体が埋まっているというが、我が家のあの大きな門の下にはいったい何が埋まっているのだろう。
私は女で、されど跡継ぎだったらしい。両親はそんな家業の行く末をたった一人の子である私に任せようと考えていたようだ。考えていたくせにそれについて何も語ろうともしなかった。楽観的だったのか、踏み込んで考えられなかったのかは知らない。今となってはもう、聞くこともできないのだから。
知らなかろうと、関わっていたのならそれは罪だ。罪にはきっと、罰が降る。
使用人というには強面の「部下」の送迎で大学に通う日々を過ごしながら、私はきっとろくな死に方をしないだろうと考えていた。
その日はひどい雨で、窓の外は昼なのに真っ暗だった。広すぎる部屋の中で私は膝を抱え、顔を埋めて時間が経つのを待っていた。外からは叫び声と、何かがぶつかりあうような、なにかが弾けるような嫌な音が聞こえてくる。青い顔をした母は私をここに押し込めて告げた。
どこぞの組が押し入ってきた、隙を見て窓から外に逃げなさい、足跡は雨が消してくれるから。貴方だけは生き延びて。
雨音と喧騒は増すばかりで、私の心はどんどん冷えていく。きっと母は父と共に死ぬつもりだ。そうなったら部下の彼らも一緒に死ぬだろう。私の両肩に全てを乗せて。そんなの、いきなり言われたって無理だ。だって今までずっと普通にやってきたんだもの。彼らが、私の家が義理や筋を重んじるのは知っている。私に沢山のものをくれたのを知っている。でも私は、そういう風に生きられない。私には、そういう風に生きる覚悟がない。
いつのまにか外は静かになって、雨音だけが響いていた。呼吸をするのが億劫だった。扉も窓も開ける気にはなれないまま、私はじっと蹲っている。
「こんなところで、どうしたのかな」
愉快そうな声が落ちてくる。顔を上げれば、いつのまにか開いていた扉と、真っ黒な服を着た男が目に入る。細い目が笑みの形に変わったけれど、安心なんてできなかった。その頬にうっすら、血を拭ったような赤い跡がついていたからだ。
男は私の前にしゃがんで顔を合わせる。
「君、ここの子だよね。ずっとここにいたんだ」
「……そうよ」
「君は逃げないの?」
「逃げるってどこに」
男の表情は変わらないまま、口元にだけ笑いを浮かべたまま続ける。
「じゃあ質問を変えようか」
「…………」
「君のお父さんはさっき死んじゃったよ。お母さんも。それから君の家にいた人たち全員。残りは君だけだから、私は君を殺さないといけない」
肩を軽く押され、背中が床についた。冷たいものが首筋にあたる。私に覆いかぶさる男からは煙のような香りと、噎せかえるような濃い血の香りがした。この黒い服にはきっと、父母や皆の血液が嫌というほど染み込んでいる。
頬に指が触れる。犬猫を可愛がるように撫でた指はそのまま、首に絡んだ髪を除ける。首の血管を切ったら、血が噴き出すのではなかったか。そうしたらこの男はまた血浸しになるんだろう。
「泣いたりしないの?」
「……泣いたら見逃してくれるのかしら」
「それは無理かな」
ぷつり、皮膚が切れたようで小さな痛みが走る。死ぬ。殺される。どれほど痛いのだろう。この男が人をいたぶって楽しむような人間だとしたらどうしようか。
「最後に言いたいことは?」
「特に、何も……」
言いかけて、止まる。どうせ死ぬのなら、心残りくらい吐き出してからでもいいはずだ。
平穏に生きて。何も知らないまま、何も背負わされないまま生きたその先の、私の小さな願い。幼い頃から夢に見た、世界を変えてしまう魔法のようなもの。
「死ぬ前に、恋をしてみたかった」
「……は、」
私の言葉を聞いた途端。男の目が丸くなる。数秒の沈黙の後、彼は大きな笑い声をあげた。なんだか馬鹿にされたような気がして思わず大きな声が出る。
「わ、笑わなくてもいいじゃない!」
「ははっ、ごめんごめん、いやー恋、恋か」
「聞いたのは貴方でしょう!」
「いや、普通こういう時って死にたくないとかそういうのだろ、君って変に度胸あるな」
散々な気分だった。もうなんだか全部がどうでも良くなってしまって、私はただ黙り込む。殺すならさっさと殺してほしい。
急に首元から冷たいものが離れる。短いナイフだったらしい。男はそれを適当に放り投げた。
「じゃあさ」
細められた瞳と目が合う。
「私が君の恋人になってあげようか」
「え?」
「私もちょうど一人寂しくてね」
「は、何言って、私別に貴方のこと、」
「私はね」
男は黒いシャツのボタンを緩め、その後同じ手で私の服を緩めていく。冷えた空気に素肌が触れて鳥肌が立つ。
「恋人には優しいんだよ。愛してる、なんて言ってくれるような可愛い子なら特に優しくしちゃうだろうな」
「なにそれ、」
「私も鬼じゃないから、恋人のことは殺せないし」
つまりは、私が彼の恋人になれば、死なずに済むらしい。胸の奥に芽生えた小さな安堵と、種類の違う絶望。こんな状況なのに、私はまだ生に執着しているんだろうか。
「ほら、こっち向いて」
顎を掴まれ、唇を塞がれる。舌が口内に侵入してきて、歯列をなぞられる。初めての感覚に背筋がぞわりとした。
「キスは初めて?」
「そうよ、悪いかしら」
「いいや、処女は面倒だけど「恋人」ならちゃんとしてあげるよ」
「……」
「ああそうだ、名前を教えてよ。恋人の名前も知らないなんて変だろう?」
男の笑顔が怖い。
「……澄麗」
「へぇ、いい名だ」
「貴方は」
「うーんそうだな」
男は少し迷うように黙って。
「傑、でいいよ」
そう言うと彼はまた私に口付けた。
prev next
戻る
情交と街