
そうやって、連絡も取らないままに日が過ぎて1週間。なんとか彼と会わずに過ごしているうちに、なんとなくその思い出は薄れてきていた。
あれは夢だったのだと、いつものように学校に来て授業を受けて教室を出れば、これまた「いつも」通りに彼の顔があって。あ。と思った時には私の足は彼と反対の方向に駆け出していた。
少しの追いかけっこの後、もともと運動が得意ではなかった私はあっさりと捕まってしまい、結果がこのざまだ。
「薫」
「……」
「どうして逃げるんだ…?」
問われるこちらが苦しくなるほど悲しげな声だった。なぜ逃げる?何故?そんなの、自分でもわからない。本当に足が勝手に動くのだ。本能とでもいうのだろうか。
「…怖がらせてしまったのか」
「ちが、そう、じゃなくて」
手を握ったまま私を見る目のなんと不安げなこと。こんなところは昔の、少年のままなのに。私の手を包み込む大きなそれが、いつの間にやら大人になっていた家康を認識させる。
「7日経った」
「…うん」
「何か、なんでもいいんだ。お前の言葉が聞きたい」
「なんでもって」
「…同じ気持ちじゃなくていい、怖かったとか、そんなものでもいいんだ」
怖かったと思いはしなかった。怖いのは、わからない自分自身だ。なんでもいいと言うのなら、ありのままを話してみようか。
「…よくわからなくて」
「ああ」
「本当に、よくわからないんだ」
「…うん」
我ながら、情けない声だ。
「確認、したいんだけど」
「ああ」
「好きって、どの好き」
「どの、って」
「ずっと一緒にいたでしょ、私たち」
「っ、ああ」
「だから、嫌いじゃない、好きだよ、私も」
「!」
「でも、その好きと、家康のこの前のは、違うでしょ」
そう言ったら。彼の目は少しだけ大きくなって、それからゆっくりと細められた。こういう顔は、昔からよくしている。哀しいときの、彼の顔。
「ああ、そうだな。違う」
「…うん」
「もう少し、進んだものだ」
進んだものと彼はいう。彼の心は、私の想いと同じものから、もう少し先に行ってしまったらしい。
じゃあ私は?今の私はどこにいる?友愛を通り過ぎた彼のことを、どこから見つめているのだろう。
ゆっくりと、握られていた手が離れていく。包まれていた温もりが去っていく。どうしてか胸の奥が酷く痛かった。
「話してくれてありがとう、薫。お前の口から、お前の想いが聞けて嬉しか、」
「違う、聞いて」
とっさに手が動いて、彼の手を掴む。立場は逆転、家康は目を丸くした。
「それは、私が今わかってる気持ちの話。さっき、わからないって言ったでしょ」
「あ、ああ」
「本当にわからない。家康の気持ちが嫌だなんて、怖いだなんて思わなかった。それは本当なんだ」
言葉が勝手にぽろぽろ溢れてくる。きちんと整えられないままに出てくる荒削りのそれが、今の私の全てだ。
「だから、もう少しだけ待って欲しい。私の気持ちを整理するから。そうしたら、きちんと貴方に伝えるから」
逃げてしまって、ごめんなさい。
そこまで言って頭を下げる。酷い女だ。この後に及んでまだ、彼を待たせる。だがどうやっても、どこまで言っても私の気持ちは不透明なままで。
「…わかった」
その声に見上げれば、優しい笑みを浮かべた家康が居た。
「待つよ。お前がお前の気持ちを理解するまで、ワシは待つ」
「っ、ありがとう」
「礼を言うのはワシの方だ」
私の手をそっと解いて、左手が私の右手を掴む。
手を、繋いでいる。
「お前の心が少しでもワシの方を見てくれるように頑張らないと、な」
いたずらっ子のように笑う顔が、ずっと大人びて見えて。
彼の好意を知覚した途端に私の世界は少し、色を変えた。
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情交と街