小さな部屋だ。棚の全てにぎっしりと本が詰まって、床にも高く積まれている。申し訳程度の小さな冷蔵庫と古びたポット。コーヒーメーカーだけが新しい。俗に言うゼミ室の中にいるのはソファーに沈み込んでいる女と、椅子に腰掛けて優雅に紅茶を飲む女、そしてたった今入室した線の細い男だけだった。

「それ、どうしたんだい」

ソファーに目をやった男、竹中半兵衛はそう口にしながらコーヒーメーカーの前に立つ。尋ねる声に心配の色はあまりない。淡い色のマグカップにコーヒーを注ぎ、デスクの前に置く。それから彼は自らの椅子に座った。紅茶を置いた女が間延びした声で笑う。

「告白よぉ」
「告白?…ああ、家康くんか」
「あーー…」

重苦しい呻きをあげて薫はゆっくり身を起こした。目の前にあるコーヒーを飲み、その苦みにむせ返る。憐れむように彼女を見、女こと京極マリアは言葉を続ける。

「朝からずうっとこの調子。告白も保留、駄目な女よねぇ」
「僕としては駄目以前に告白一つでどうしてこうなっているのかが気になるけど」
「ちょっと待って」

顔をあげた薫が二人の顔を交互に見る。

「何、二人は家康のこと知ってたの?ことっていうか、なんていうかだけど」
「ええ」
「知ってた」
「何で!?」
「何でも何も、君たち二人を見ているものは誰でも知ってるよ」
「貴方だけじゃない?わかってなかったの」
「嘘ー…」
「あんな風に、」

本を広げ、足を組んだ半兵衛はふうと息を吐く。

「君が来ている日は毎日君を迎えに来て、毎日ともに帰る。幼いころからずっと一緒だといえその年で、彼に他の心が無いと思っていたのかい?」
「思って…ませんでした…」
「というより、貴方のことだから意識なんてしてなかったのね?」
「その通りでございます」
「で、このコなんて返事したと思う?」
「返事をしなかったんだろう、はいもいいえも言えないだのなんだの理由をつけて」
「ねえ二人とも私いじめて楽しい?」
「「それなりに」」

うっすら笑う二人に薫は少し涙目になる。マリアは立ち上がり、その隣に座った。中途半端に残ったコーヒーを奪う女王に薫はぼんやりとした視線を向ける。美しく笑う彼女には薫が子供にみえているのだろう。同じ年齢の集まりではあったが、この二人はやけに大人びている、薫はいつも末っ子のような扱いを受けているのだ。

「冷静になってみなさい」
「なってる」
「今日から彼が迎えに来てくれなくなったら、貴方はどう?」
「どうって、」
「迎えに来ないという選択肢が頭にないのでしょう?それほどに、彼の存在は貴方の中で大きくなっている」

思い返してみれば。家康がいない日々のほうが少なかった。家康がいるのが当たり前、どんな日にも、どんな気分でも、薫は家康とともにいた。それが今日から迎えに来ない。それだけで済めばいいが、もしこの先彼が薫でない誰かを好きになって、今まで自分にしてくれていたようなことをするようになったら。
急速に頭が冷えていく。気付けにコーヒーを飲もうとして手が空ぶった。そうだ、マリアが飲んでしまった。

「マリア、私ちょっとまずいよね、」
「かなりまずいわよぉ、恋心にも思慕にも自覚なし、相手がいてくれて当たり前、幼稚で傲慢なお子さ」
「悪口やめて刺さるから」
「君は時に僕らより残酷なんじゃないかとさえ思うよ」
「半兵衛もうちょっと優しくして」
「僕は君が役に立ちさえすれば他はどうだってかまわない」
「聞いてます?」
「けれど」

読んでいた本に栞を挟み、その目が薫を見た。紫の眼鏡の奥で細められた瞳に軽蔑の色はない。それどころかどこか愉しそうで。

「はやく解決してくれないかい?僕らだってもう何年も気をもんでいるんだ」
「ほら、探しに行きなさいな」

その一日で手遅れになるのは嫌でしょう?優雅に笑うマリアにうなずいて、大した荷物もない鞄を持って部屋を飛び出した。きっと今日は来ているはずだ。思えば自分は彼がいつ、どんな授業を受けているのかも知らない。誰といるのかも。いや、断片的には聞いているけれど。それでも彼の生活のことを、脳裏に描くことができない。胸が苦しくなって、何も考えずに歩き始めた。



「…まさかあそこまで鈍いとはね」
「それが分かったから向こうも必死なのよ」

彼女の去った室内にて。二人は何事もなかったかのようにそれぞれの時間を過ごしている。

「それで、」
「ああ、今度差し入れでも、ですって。妾に相応しい部品だといいのだけれど」

細い指が携帯のディスプレイを叩く。愉快そうに唇を震わせる。

「君がそこまであの二人に肩入れするのは何故だい」
「あら?そんなの決まっているじゃない。あの娘が妾の部品だからよ。その辺りに捨て置くなんて、妾の持ち主としての品格が問われるもの。そういう貴方は?」
「僕は」

半兵衛はそこで言葉を切り、本の表紙を撫でる。

「…さあね」
「あら、貴方もしかして」
「それ以上は野暮だろう」

断ち切るような言葉にマリアは口を噤んだが、すぐにいつものように笑う。

「貴方がそれでいいなら」



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