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穏やかに過ごしていた瀬名と悠太の世界を壊したのは、同胞(エスパー)であり、自分より幼い少女だった。
二人が引き取られた組織では、ボスとその一人娘がいた。
その娘はテレパスであり、人の痛みがわかるからこそ同胞を救いたいと、父とともにこの組織を立ち上げたのだという。
非合法でありながら着実に構成員を増やし、子供たちを救う。
パンドラと似ていたが、この二つの組織が対立することはなかった。
瀬名と悠太が10歳になったときだった。
エスパーを道具として扱うために、取引を持ち掛けてきたある組織…
死の商人とも呼ばれるその組織も、父親と娘を筆頭に成り立っていたらしい。
瀬名と悠太が引き取られた組織は、もちろん取引を断った。
だが、それが火種となり、組織は襲われ、壊滅させられたのだった。
「敵のエスパーは、強力な催眠能力者だった。テレパスだったボスのお嬢さんは、そいつに操られて…ボスも、組織の部下たちも、どんどん制圧していった。
私と悠太は…恩人の二人が逃がしてくれたので、なんとか。でも、今組織の誰とも、連絡はとれていません」
連絡がないこと、日本に避難してからのパトロンからの話と、それらを組み合わせれば、壊滅したことは明らかだった。
それでも誰か生き残りがいれば、と思った。
パトロンも人から伝って聞いた話だったらしく、それ以上のことはわからない。
むしろパトロンが生きていたことすら、奇跡なのかもしれなかった。
「私は家族を得たと思ったのに、奪われた…。また失うのが怖いんです。
大事なものが増えて失ったときが辛いなら、大事なものはこの両手に抱えられるだけでいいと…。
だから、たとえ不安定であっても、組織に所属せず二人でやっていこうと、悠太と約束したんです」
家族を、居場所を奪われる悲しみは、兵部にも理解できた。
理不尽で失うことほど。辛く苦しいことはない。
「…それが、理由なんです。ここまでお世話になっておきながら、お誘いをお断りしてしまってごめんなさい」
瀬名はそのまま頭を下げた。
自分の足とその上で組んだ手が視界に広がる。
一度目の瞬きで、こらえていた涙が手の甲に落ちるのがわかった。
どうか、垂れた前髪で見えていないで。そう思わずにいられなかった。
「頭をあげて。そんな重く捉えないでほしいんだ。
さっきも言ったろ?僕たちは、同胞を助けたいのさ。借りとか何も考えないでほしい。
また困ったことがあれば必ず助けにいく。それに、今後君たちに仕事を依頼するかもしれないぜ?」
ここまで言ってくれている人に、ずっと頭を下げ続けるのも失礼だ。
瀬名はもう涙が出ないことを瞬きで確認してから顔をあげた。
まだ、泣きそうな顔をしていたらしい。
兵部がそっと手を伸ばし、ふわりと頬に触れた。
「君がもう悲しい思いをしないで済むように、その手伝いができたらいいと思っているよ」
「…そこまで気にかけてもらって、いいんですか」
「ああ。君たちはもう少し、大人に頼った方がいい。まだ子供なんだから」
そして手が頭の上で2回跳ねた。
少し安心したのか、瀬名の手元と肩の力が緩む。
それから短めに息を吐いて、少し冷めたホットミルクに手を付けた。
「ありがとうございます。…でも不思議、兵部さんとはまだ会って2回目なのに、最近知り合った気がしないというか…
なんだかあなたのこと、信頼できるって直感があるの」
その言葉に、兵部の胸がちくりと痛む。
兵部にとっても、瀬名を気にかけていることや瀬名との会話を、少し不思議に感じていたのだ。
「それは光栄だね。…まぁ、もしかすると前世か何かでご縁でもあったかな」
「ふふ、もしそうだと嬉しいのだけど」
前世で縁のある人と、今世でも会えたとしたら、もうそれは運命だね。
柔らかく微笑む瀬名。ここにきて、一番リラックスしているようだった。
少し伏せた目から伸びる長いまつ毛が、先ほどの涙をまとっており、反射で煌めいている。
(そういえば、同じように…赤い瞳に惹かれたことがあったような、)
記憶の彼方、どこか懐かしさを感じる兵部。
それも、ホットミルクが喉を抜けた後には薄まってしまった。
そうしていると、瀬名が小さくあくびをした。
「…食後のホットミルクって、こんなに心地いいんですね。眠くなってきた…」
「栄養もとったところだし、もう少し寝てみたらどうだい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ホットミルクを飲み干し、立ち上がる瀬名。
すると、ずっと座っていたせいか、足元がふらつきよろける。
「大丈夫かい?」
「は、はい…」
咄嗟に腕を掴んで支えてくれたのは兵部だった。
顔を上げると、兵部の顔がすぐ目の前にある。
異性に対しては近めの距離に、目の前の端正な顔立ちに、心臓がひとつ大きく打った。
瀬名が動揺したことは、もちろん目の前の兵部にも伝わった。
だがそこには触れず、瀬名が体制を整えたのを確認して掴んでいた手を放す。
「ありがとうございます、兵部さん」
「そういえば…寝るのを進めておいでなんだが、さっき怖い夢を見たと言ってたな」
「あぁ…!すっかり忘れてました。でももう大丈夫です」
瀬名は兵部を安心させるために、また微笑んだ。
それは嘘ではなく、本心からだった。
食事をとって、お菓子をつまんで、ホットミルクを飲んで…
そして今まで誰にも話せなかった今日までの成り行きを少し話せたことで、少し肩の荷が下りたように思えたからだ。
やはり、人間は社会の中で生きていかないといけない…そう痛感するのであった。
「また何かあったら呼んで。僕もまた様子を見にくるよ」
「ありがとうございます。それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
瞬間移動で兵部が去る。
瀬名は兵部の去った後をしばらく見つめたあと、窓の外の夕日に目をやった。
「…兵部さん、まるでアルみたい」
瀬名が頭に浮かべていたのは、夕日と同じように赤い髪をした男…
あの日、瀬名と悠太を迎えにきた組織の男だった。
兄のように慕っていた彼と、気にかけて守ってくれようとしている兵部の姿が重なる。
胸の前で、瀬名はぎゅっと手を握った。胸の痛みを相殺するかのように。
「でも…もう、失うのは怖いよ…」
兵部に勧誘されたことを思い出す。また大切なものを増やすのが怖い、瀬名の頭にはその思いでいっぱいだった。
痛みを隠すかのように、部屋のカーテンを閉める。夕日を遮断して、薄暗くなった部屋の中、瀬名はベッドに入って目と閉じるのであった。
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