Round 3 脱出編 Round 3 脱出編 「……気落ちしている所、大変申し訳ありませんが、今後の話をさせて下さい」 「……はい。お願いします」 ひとしきり泣いた後、私の嗚咽の間隔が落ち着いてきた所で学園長は切り出した。私は一度鼻を啜って頷いた。ぐずぐずするのは後でも出来る。自分のこれからについて考えなければ。 俯いていた顔を上げ、まっすぐ仮面の奥の瞳を見返した。話が出来る精神状況になったことが学園長にも伝わったのか、彼は一度頷き、話を始めた。 「この世界では、未だ家柄というものが重要視されています。こんな風習私も早く無くなるべきとは思っているんですがね、やはり染み付いた習性は中々離れないんですよねぇ」 「はぁ……それで?」 「もちろん昔と違い、本人の努力次第で如何様にも成り上がれます。とはいえ良い家柄出身だと、就職や結婚の際に相手に与える第一印象に明らかな差が出ます」 「まあ、どこの世界でもそうでしょうね」 「……で、これは自慢ではなく事実なんですが……私はこの世界においてかなり高貴な人物とされています。なんといっても名門NRCの学園長ですからねッ!」 「あ、ハイ……」 半分以上自慢な気がしたが、話を遮ると面倒なのであえてツッコミは入れなかった。 「ですから監督生さん、社会的に有利になるであろう、私の養子になりたくはありませんか?」 「……え」 予想の斜め上を行く展開に面食らう。そりゃあ、後ろ盾となる人が居てくれた方が有り難いし、学園長が自分の正式な保護者となってくれるのなら、こんなに心強いものはない。でも、学園長には学園長の生活もあるし、迷惑にはならないかな……などとグルグル頭の中で考え、すぐに返答できなかった。困惑する私を見かねてか、彼はこう言った。 「ところで貴方、この学園での成績はそれほど良くありませんね?」 急に変わった話の流れにまた驚きながらも、私はおずおずと頷いた。 「……はい。だって、いつか元の世界に帰るのなら、ここで魔法について学んだって仕方ありませんし……」 「まさに仰る通りです。勉強とは将来の自分のために行うことですから、自分の将来に繋がらないと分かっているならば、やる気なんて起きるはずありませんね」 怒られるかと思いきや、学園長は意外にも肯定してくれた。「しかし」と彼は金のかぎ爪のついた鋭い人差し指をピンと立てて言った。 「これからの貴方は違います。この世界で生きていく上で勉強していかなければなりません。……ということで、私から提案です」 「は、はい」 「貴方がこれから、良い成績を取ることができれば、私の養子にしてあげましょう。遠慮はしなくて結構。頑張った監督生さんへの、私からの細やかなご褒美を受け取ってください」 「ご褒美、ですか……」 「ええそうです。ああ、なんて私は優しいのでしょう! 良い成績を取るだけで、この世の誰しもが羨む立場を手に入れることが出来るのですから!」 「誰しもが羨むって……いやそれは言い過ぎでは?」 「そんなことありませんよ!」 「エースとかは嫌がりそうですけどね……」 「……なんですか。文句があるならこの話はなかったことにしても構いませんが。あ、それともあれですか? 他に養子になりたい先生でも居ます?」 「そういう訳じゃ……」 「では、私の養子って事で良いですね」 「……」 有り難い。これは本当に有り難い申し出だ。私だって一も二もなくこの提案に飛びつきたい。でもやっぱり日本人としては申し訳なさもあるわけで。思い切って「お願いします」と言いたいのに、遠慮して言い出せない自分が居た。 「Oh……」 また、体を許してしまった…… ベッドの上に横たわったまま、顔を両手で覆う。目覚めた瞬間思い出した昨夜の出来事にズーンと気分が暗くなった。いや、無理矢理凌辱させられただけだから、許したわけじゃないんだけど、でも、その……うん、ショックです。 昨日の朝ほどではないが、今日も今日とて体の節々が痛いし、喉がイガイガする。確実に喉潰れてるよこれ。 はぁ、と重い溜息を吐き、寝返りを打つと、 「……っ!?」 「おはよぉ♡」 と超至近距離にフロイド先輩が居て、無言の悲鳴を上げた。十センチくらいの距離に先輩の綺麗な顔が現われたから心臓に悪い。 あ、まつげも綺麗なターコイズブルーなんだな……などと寝起きでまだ完全に覚めていない頭はぼんやりそんなことを考えた。 「あ、まだ眠そーな顔してる。気絶してからあんま時間経ってねぇよ。もうちょい寝てな」 「ん、……」 嗄れた喉で小さく返事をし、コクリと頷いた。もぞもぞと布団の中で動き、フロイド先輩にぴとっとくっついた。 「エッ」 「んん……」 ちょっぴり低い体温が気持よくて、彼の胸板に頭をくっつける。なんだかアワアワしている声が聞こえたが、眠りの世界に落ちていった私は彼が何を言っているのか分からなかった。 「う……」 「おはようございます。監督生さん」 二度目の起床では、ジェイド先輩の声と共に覚醒に至った。ゆっくり瞼を持ち上げると、超至近距離にジェイド先輩のご尊顔があった。だからこれは心臓に悪いんだって。声なき悲鳴を上げると、喉が引き攣れるように痛んだ。 痛みにぎゅっと眉を寄せると、「ああ、少々お待ちください」と超接近していたご尊顔がスッと離れて行った。しばらくすると、オレンジの小瓶を持ったジェイド先輩が戻ってきた。 これ、昨日飲んだ回復薬だ、と痛みを我慢して上体を起こし、受け取ろうとしたが、感情の読めない笑顔を浮かべた彼は小瓶を私からサッと遠ざけた。 「……」 なんでいじわるするんですか。と、眉間に皺を寄せ、彼を睨む。 「ああ、意地悪している訳ではありませんよ。もちろんこれは貴方に飲ませますから、ご安心ください」 それなら早く渡して欲しい、と手の平を上に向けて出したが、ジェイド先輩はスルーした。酷い。 彼はオレンジの小瓶を開けると、なんと自分で飲んだのだ。回復薬を渇望している人の前でなんてことを……と目を剥いていると、彼は私が出していた手首を握ってグッと自分の方へ抱き寄せた。そして背中に腕を回し、口付けてきた。 「んんっ!?」 無理矢理割り開かれた唇の間から、舌と共に液体が流れてくる。反射的にこく、とそれを飲み込む。口移しが終わればすぐに離れて行くかと思った唇は中々どうして離れて行かず、しきりに口内を舐めた。舌を絡ませ、入念に舐る。味蕾を何度もすり合わせるねっとりした動きに翻弄され、「んっ、ふ、ぁ……♡」と鼻に掛かった声が漏れた。 「……お体、回復しましたか?」 「ぁ……っ♡」 キスに夢中になりかけた瞬間、ジェイド先輩はあっさり離れて行った。名残惜しさでつい甘えた声を出してしまい、流されやすくて快楽に弱い自分が嫌になる。 「……はい、大分元気になりました」 喉の痛みは引いたため、声を出して喋った。普段通りに話せている事を確認すると、彼は満足そうに頷いた。 「それは良かったです。さぁ、朝ご飯にしましょうか。フロイド、そろそろ起きてください」 「んぁ……?」 私の隣で寝コケていたフロイド先輩がジェイド先輩の呼びかけによってムニャムニャ起きた。 今朝――いや、昼に近い時刻だが――の朝食は、フルーツがたっぷり乗ったパンケーキだった。てっぺんに絞られたホイップクリームが軽やかで美味しい。ちなみに今朝もまた二人の手から一口ずつ与えられたので、食べるのが非常に面倒であった。二人が楽しそうだから……まあ、いいかな。 「クリーム、口の端についていますよ」 「え? どこですか?」 「ここです」 ジェイド先輩に指摘されて、考え事に耽っていた私はハッと我に返った。付いているクリームを拭おうとナプキンを手に取った時、彼の親指が伸びてくる。口角の辺りをぐっと拭うと、クリームのついた指先をぺろりと舐めた。色気ある仕草を目の当たりにしてとくんと心臓が高鳴った。 「……」 「どうされたんですか、唖然とした顔をして」 「いや、その……」 今の格好良かったなぁって思って。 とは恥ずかしくて言えなくて、飲み物として準備されていたミルクティーを飲んで誤魔化した。 「あ、あの、今日の二人のご予定は?」 「あー小エビちゃんがまぁた抜け出そうとしてオレらの予定聞いてるー」 「えぇ……?」 こちらをまるで信用していない様子のフロイド先輩が私にジト目を向ける。そういう訳ではない……事もないので、反応に困った。 「まあまあ。ここまで来るとこの反抗的な態度がいつまで持つか楽しみですし、自由にさせてあげましょう、フロイド」 「……ま、それもそっか!」 「今日は昼から夜にかけてシフトです。祝日で月曜日の今日も人で賑わうでしょうから、あまり戻って来られないかと思います。寂しい思いをさせてしまい申し訳ありません」 「全然平気です」 「うわ、脱出チャンスだって目ぇ輝かせてる」 「そんなにですか?」 なるべく歓喜しているのを表情に出さないようにしていたつもりだったが、結構バレバレらしい。私は役者に向いていないみたいだ。 「ま、戻って来れないっつっても、こっちに小エビちゃんが脱走するって通知が飛んできたら速攻で来るからな。覚悟しとけよ」 ニマァとフロイド先輩が邪悪に笑みを深めた。言外に、やったらまたお仕置きであると告げられた。 昼過ぎ。モストロ・ラウンジのシフトのため二人はココを出て行き、私は一人部屋に残された。二日連続で脱出は失敗し、酷い目に遭った私だが、今日こそは脱出を成功させてみせる。なぜなら明日が小テストの日だからだ! リーチ兄弟の思い通りになんてさせない! 今こそ! 反撃の狼煙を上げろ! 朝食中、私は次々に与えられるパンケーキを咀嚼しながら本日の脱出について考えていた。昨日アズール先輩が言っていたのは『警報魔法とロックが連動していること』そして、『人魚の鱗』がどうたらこうたらだ。残念ながら途中で魔法薬の効果が切れてしまったため、人魚の鱗をどうすればいいのかは分からなかったが、とにかくこれを使えば何かが起きるというヒントは与えられた。 「人魚の鱗……」 うーんと首を捻る。人魚の鱗と聞いてピンと来るのは、明日の錬金術の小テスト範囲の『安眠薬』だ。人魚の鱗の効果で、寝る直前に服用すると美しい子守歌に包まれる感覚に陥り、眠りやすくなるのだそう。 「安眠薬なんて作ったってなぁ……そもそも材料が足りないし」 そこまで考えて、ハッとひらめいた。もしかして、人魚の鱗を使った何か他の魔法薬が脱出の手助けになるのかもしれない! 私は急いでデスクの前に座り、監禁初日にジェイド先輩に与えられた教科書を開いた。錬金術の教科書は分厚く、一年生から三年生の範囲を全てカバーしている。これを調べればなにか載っているかもしれない……! 「……あった!」 人魚の鱗というキーワードで逆字引して、該当するページを一ページずつ捲って調べると、三四五ページにそれが載っていた。きっとこれこそがアズール先輩が私に伝えたかった情報に違いない。 そのページに載っていたのは、通信解除薬。遠隔操作が出来る魔法や、遠隔で何か通知が送られる魔法を解除できる効果を持つ薬である。強力だが、人魚の鱗というそれなりの希少な材料が必要であるため、希少な薬であるらしい。 「これ作れば脱出できそうじゃない……!? あ、でも鱗を手に入れないといけないのか……」 今晩彼等が帰ってきたら、バスタブで人魚姿を見せて欲しいと言えば手に入るだろうか。いや、でもそれだと今日中に脱出ができない……でもそうするしか方法はないか…… と、頭を悩ませていると、デスクの引き出しが少し開いているのが視界に入った。今朝も私に化粧を施したジェイド先輩が閉め忘れたのだろう。珍しいな。引き出しを閉めようと取っ手に手を掛けた時、中でキラリと光る何かが見えた。 「……ん?」 引き出しを開けて中を見てみると、監禁初日に拾った青い何かが照明の光を受けて光っていたようだった。 なんだ、これかぁ。と、引き出しを閉めようとして、頭の中に電撃が走った。 ……これ、人魚の鱗じゃない? 慌てて青い破片を取り出し、光に透かしてみる。よくよく見てみると、授業で習った人魚の鱗特有の模様が透けて見えた。 「に、人魚の鱗あったぁ……!」 以前この部屋に泊った人魚の誰かが落としていったのだろう。一体どこの誰の鱗かは分からないが、心から感謝する。 最大の難関である人魚の鱗がゲットできたので、先ほどの教科書三四五ページをもう一度開いた。 「なになに……? 材料は……人魚の鱗、人間の枝毛、妖精の粉……? 枝毛なんかあるかな……? あ、あった」 自分の髪を探してみたら、あっさり枝毛を見つけてしまったので複雑な気分になった。 妖精の粉の入手は意外と簡単だ。高いアイシャドウにはよく配合されているとクルーウェル先生が授業中に言っていた。引き出しの中にあるアイシャドウの裏を見てみると、予想通り妖精の粉が入っていた。 これで材料は集まった。あとは教科書に載っている手順通りに材料を混ぜ合わせ、魔法薬を完成させるのみだ。 ゴクリ、と緊張でつばを飲み込む。 完成させた金色の通信解除薬を首輪の継ぎ目にそっと垂らしてみる。するとカシャ、という音がした後、ガシャンと床に落ちた。 「は、外れた……!」 ようやくあの重かった金属製の首輪とおさらばだ! 軽くなった肩が嬉しくて、その場でブンブン腕を回した。 さて、これで通信解除薬の錬成に成功したことが判明した。次はお待ちかね、最大の関門であり私を二度も苦しめたドアノブさんである。ノブに決して触れないようにして、上からそっと魔法薬を垂らす。するとカシャ、とロックが外れるような音が小さく聞こえた。 「……いけた……?」 恐る恐るノブを手で触ると、昨日一昨日と感じた電流は感じられなかった。念のため手を離してもう一度触れてみたが、二度目も電流は流れなかった。 「……やったぁ……! 成功だ!」 ドアノブの前で勝利のガッツポーズを取った。これで、密室だった部屋の扉は開いた。あとはここから抜け出すのみである。 準備を整え、クローゼットにあった服の中でも比較的動きやすい服に着替えた私はドアノブをそっと回し、開いた隙間から周囲の様子をそろりと覗った。 廊下には誰も居ない。出るなら今だ! スルッと扉を抜け、バタンと閉める。私はなるべく足音を立てないよう忍び足で廊下を急いだ。 「……ふぁ〜〜〜。だりぃ……小エビちゃんに癒やしてもーらお」 ……は? 下の階へ続く階段から、フロイド先輩の声がした。 え? このタイミングで? 嘘でしょ? 残念ながら他に下へと降りる階段はない。そして部屋に一端退却しようにも、今の位置から部屋は割と離れている。戻っている間にフロイド先輩が廊下に出ている私を見つけてしまうだろう。 ど、どうしよう! 逃げ道がない……! 回避策を必死で考えた結果、こういう結論に陥った。 「バレないことを祈るしかない……!」 私は『疚しいことなど一切していません』というような至って普段通りの超涼しい顔で、胸を張り真っ直ぐ前を向いて歩いた。 するとすぐに階段の向こうから、両手をポケットに突っ込み、ダルそうにしているフロイド先輩が現われた。彼はやや下に向けていた視線を上げると、私を視界に入れた。 「あ、フロイド先輩お疲れ様でーす」 「え? あ、ウン……」 「それじゃ、失礼しまーす」 いつも通りの声と表情で先輩に挨拶し、彼の横を素通りした。彼はポカンと私を見つめ…… 「いやいやいや何してんのっ!?」 「クッ! バレたか……!!」 「バレるに決まってんじゃん!!!!」 大声でツッコミを入れるフロイド先輩に私は何も反論できない。ダッと走り出すが、身体能力に差がありすぎて、すぐに捕まってしまうだろう。……ここであの切り札を使うしかないか……! そう思ったとき、後ろで「ウッ」と苦しそうなうめき声が聞こえた。 「フロイド先輩!?」 振り返ると、フロイド先輩が右手で胸を押さえ、その場に倒れていた。なっ、何事!?!? 見れば彼の左手の近くに何かが書いてある。 [chapter小エビ ちゃ ん] 「ダイイングメッセージ!?!?」 見た目が完全にダイイングメッセージと死体だった。本当に何事???? これじゃ私が殺人犯のように見えるんですが????? よく分からないが、これは先輩が突然胸を押さえて倒れたという状況らしい。 どっ、どうしよう。駆け寄って助ける? でも罠だったら確実に秒で捕まってしまう。でももし本当に、急に具合が悪くなって倒れたのだとしたら……? 一瞬のうちに様々な考えが脳裏を過ぎる。 「……決めた」 すぐさま決意を固め、走り出した。 捨て置こ!! 「小エビちゃん!? なんでスルーすんのぉ!?」 「罠だったら困るので……」 「倒れてるオレ見捨てるなんてヒドくね!? 確かに罠だったけど!」 「ほらぁ罠だったんじゃないですか! 良かったーまんまと引っかからなくて!」 「クソッ……この小エビィ……!! お人好し小エビならぜってぇ引っかかると思ったのに……!」 悔しそうに叫びながら、倒れた状態から元気にむくっと立ち上がったフロイド先輩はこちらへ駆けてくる。 残念でした〜! お人好しだお人好しだとNRC生から言われる私だが、元の世界の基準だと別にそこまでお人好しな訳ではない。NRCトライブの合宿では、深夜におやつを食べてヴィル先輩の魔法に掛かったエース達を普通に見捨てたくらいだし。 先輩の倒れているのを完全スルーし走り去ったお陰で、私とフロイド先輩との距離はそこそこ開いているが、脚が尋常じゃなく速い彼のことだ、すぐに追いつかれるだろう。どうにかして鏡舎に辿り着かねばならないのに! 「――フロイドッ!? どうしたんですか!?」 「ジェイド! 小エビちゃんが脱走した!!」 「なんですって!?」 背後でジェイド先輩とフロイド先輩の会話が聞こえ、私を追いかける足音が一つ増えた。 マズイ。ジェイド先輩までもがこの追いかけっこに参戦してしまった! 途端に劣勢になった状況に歯噛みしたが、嘆いたって仕方がない。 「どいてくださーい!」 オクタヴィネル寮の廊下を爆走する。たまに廊下を通りかかる寮生に向かって叫べば、彼等はこちらをギョッと見て、すぐさま道を開けてくれた。 全力疾走すれば、寮の談話室に辿り着いた。が、ジェイド先輩とフロイド先輩はもうすぐそこまで迫っているのが音で分かった。幸い周りに人は居ない。――もうここで決めるしかない! 私はその場に急停止して即座に後ろを振り返った。 「……先に謝っておきます! すみません! 怪我に気をつけてください!」 「は?」 「え?」 猛スピードで迫ってくる二人がびっくりした顔を見せる。私はポケットの中からあるモノを包んだハンカチを地面に落とした。そして手に持っていた、予め割ってあったガラスのコップの破片を思い切り手首に滑らせた。ぽとりと鮮血が落としたハンカチに落ち、染み込む。 突然だが、ここで骨折治療薬についてお話ししよう。 骨折治療薬は錬金術で作ることが出来る魔法薬で、必要な材料は、カルシウム、ユニコーンの角の粉末、そして処女の生き血だ。 処女の生き血とは、一般的に吸血鬼が好むものであり、いくつかの魔法薬の材料にもなる。なぜなら処女の生き血には特別な生命エネルギーが宿っているからだ。 それを処女ではない女性の血液で代用するとどうなるか。錬金術の座学中、クラスメイトのマイケ君ががクルーウェル先生に質問した。 『それはだな、材料の性質を考えば自然と答えが出てくる。ユニコーンは処女の女性を好むことは皆知っているな? 処女ではない女性の血液を用いると、生命エネルギーが足りず魔法薬が完成しないどころか……』 『どころか……?』 クルーウェル先生のどこかシリアスな様子に、教室中がゴクリと息を飲んだ。 『ユニコーンの粉が拒絶反応を起こし、爆発する』 ユニコーンの角の粉末は、高級なファンデーションによく配合されているから気をつけろ。ま、真っ当なブランドの化粧品は、血液に触れても反応しないよう、色々と工夫されているがな。 と続いたクルーウェル先生の言葉を思い出しながら、私は走ってその場から離れた。 ジェイド先輩、フロイド先輩、残念でしたね。お二人が先日私の処女を奪ったせいで、こんな爆弾が完成して、お二人の元から逃げ出せてしまいましたよ。 ドガァァッ!! 背後で爆発が起き、爆風に煽られて走る速度が上がった。一方爆発に巻き込まれてしまった彼等はその場で足を止め、しきりに咳き込んでいた。「オイ逃げんなぁ!」と大声で叫んでいる所を聞くと、大してダメージは負っていないようだ。適当な材料で作った弱い爆弾とはいえ、怪我をさせてしまったらどうしようと心配だったので少し安心した。 「チッ。まさかこんな反撃を食らうなんて……追いかけますよ!」 「わぁってる!」 ふっふっふ! 私がなんの装備も無しにあの部屋から逃げると思ったか! ちなみにカルシウムは今朝出たミルクティー、ユニコーンの角の粉末は引き出しの中にあったファンデーションを使用した。 作戦が見事に大成功した事実に興奮しながら、私は鏡舎までの残り数十メートルを全力で走った。後ろから私を追いかけるために駆けだした足音が聞こえる。けれど絶対に振り返らない。オクタヴィネル寮から鏡舎へと続く魔法の鏡に向かって一直線にただ走る、走る。 「……えいっ!!」 私は大きくジャンプし、鏡の中に飛び込んだ。 ページ: トップページへ |