Act-06 狐雨
コテージにつくと2階と1階を見て回る雪乃に苦笑して諸星は買ってきた食材を冷蔵庫に入れて珈琲メーカーに粉を入れる
「にぃにぃ」
「どうした?」
キッチンでコーヒーが出来るのを待ちながら煙草を煙っていると雪乃がひょっこりと顔を見せる。
キッチンの換気扇がある所で吸うには何も言わないが、雪乃は煙草が嫌いな為一寸眉をひそめている
「リビングにチェスと将棋盤がある」
「―… 教えて欲しいのか?」
「うん。 チェスやりたい」
「分かった、コーヒーを入れたら教えてやる。 お前はジュースでいいな?」
「うん。さっき買ってきたカルピスでいい。」
「了解」
諸星は小さなトレイにカルピスを入れたグラスと珈琲を淹れたマグカップを置いて居間に行く
勝敗は、目に見えていたので諸星がを抜いて勝てば怒り、本気をだして負ければ負けたで頬を膨らませて怒るので笑いが止まらなかったが、そこを突っ込まれた
必死に謝ってご機嫌をとっているとザーザーと、別荘の中に居ても雨の音が聞こえて、諸星は2階の部屋に空気を通すために開けておいた窓を閉めに走り、雪乃はキッチンの窓を閉めに行く。
2階の窓を閉めながら外をみれば慌てて頭にタオルを乗せて屋根のある方へ避難をする観光客。
先程すれ違った大学生の4人組も外にでていたらしくキャーキャー喚きながら自分達のコテージに向って走っていく。
(宮野明美ー…。 此処で顔を会わす、とはな)
世界でも有名な科学者であった宮野エレーナとマッド・サイエンティストと呼ばれた宮野厚司は組織の幹部。
その事実を突き止めた俺達は夫である宮野厚司に接触に成功し、夫婦と二人の娘そろっての証人保護を条件にでもう少しで身柄確保ができる筈だった。
それが、日本の公安が下手を打ち、交通事故を装い殺害された
その間に産まれた二人の娘のうちの一人。
姉はごく一般人で一時施設に預けられたが養父母に引き取られた
妹は宮野夫妻の娘らしく幼い時から知能も高く、組織の手で育てられて海外留学をして居るという。
(雪乃を連れ出した効果なのか、取りあえず顔繋ぎだけはできた、という事か。 彼女はまだ大学生。卒業したら銀行勤務が決まっている。だが、彼女は組織に繋がる娘というだけで情報を得られるかどうか。情報的には宮野明美の妹の方が組織のトップに近い筈。)
FBIとして細く細くたどる糸の端に繋がる娘。
(問題はどうやって接触するか、だが… 急ぎすぎはダメだ)
部屋の窓を閉めて戸締りを確認してから居間に戻ると雪乃も居間の窓をきっちりと締めて鍵をかけている
「にぃにぃ凄い。展望台で云った通りに雨になった 空はとても明るいのに」
「天気なのに雨が降るのを狐雨、というそうだ。」
「狐雨…?」
「狐が嫁入りする時は雨になる、という寓話から来てる言葉で科学的な要素は全くないがな。激しく振るのは30分か1時間で時期に小雨になって止む。 夜のドライブには行けるだろうな。」
「いいの?」
「勿論、お前が行きたくなったら、だがな」
「うん!」
「さて、そろそろお姫様のリクエストのパスタを作ろうか」
剥れていたのを忘れて目を丸くしている雪乃の頭をくしゃりと撫でる
「作るの手伝う!」
「そうか? なら買い物袋にパスタが入ってるから出してきてくれるか? あと、オリーブオイルとパセリと鷹の爪が入ってる 俺は冷蔵庫からシーフードを出して下ごしらえをするから。」
「うん! 鷹の爪は中に入ってる種を取り除いて、パセリは茎を取り除けばいいんだよね?」
「あぁ、太い茎を取り除く程度でいいぞ。 細い茎はみじん切りするから。 」
あの日以来あまり見せなくなった笑顔。
(俺は、これからどれだけこの子を泣かす事になるのだろう)
少し早めの夕食を取り、医師に処方されている薬を服用させて片づけが終わる頃、雨は上がって夕陽が沈みだす。
「うわぁ…!! 綺麗!」
広く開け放った窓からは湖が見える
2階のバルコニーに置いてある椅子は雨に濡れて座れないが濡れた道路や樹々に光る雨粒が虹のように煌いている
「あの夕陽を追いかけてみたい、 にぃにぃの車とどっちが早い?」
「残念ながら、夕陽の方が早く沈むだろうな」
諸星はポケットから煙草を取り出すと火をつけて、雪乃が睨み付けているのをみて苦笑する
「悪い… 煙草は嫌いだったな」
「もう。 1本だけだよ!? 髪の毛に煙草の匂いがついちゃう」
「分かった。」
携帯灰皿に煙草を入れようとしてお姫様の許可を得た諸星は深々と煙を吸い込んだ。
(そうだ。赤井さんはヘビー・スモーカーだっけ。 ニコチン中毒ってアルコール依存症のように性質悪いし)
小さな溜息を吐く雪乃
「どうした? はしゃぎすぎて疲れたか?」
「ぇ―… ううん。 お外、久しぶりだから、にぃにぃと一緒で楽しい」
「そうだな。 俺はお前が楽しそうな顔を見せてくれるのが嬉しいよ」
アメリカの邸でも日本の療養所でも、あの事故から雪乃が自ら外に出る、という事はない。
療養所でも敷地内から出ようともせず、入所している他の患者たちと顔を合わすという事をしたがらない対人恐怖症の子。
ただ、時折ピアノが置かれた音楽室で静かなバラードのような曲を弾いている。
明るい曲や楽しい曲が大好きだった。
それが、今は哀愁だたよう曲ばかり弾いていると療養所の医師は言った。
それでも、入所したばかりの時よりは大分回復してきたという。
事故で錯乱状態に陥った"雪乃"は小学生でありながら何度も手頸にナイフを走らせた。
危険物を避ければフォークで傷を付ける程で一時は腕をベッドサイドに拘束した程だ
眠れずに悲鳴を上げて、精神安定剤を投与されてやっと眠る。
それが病院で9死に1生を得て意識を取り戻してから半年余りの報告。
精神病院に転移して24時間看護婦が付き添い、部屋には危険と思われるナイフもロープも置かれない
小さな爪切りさえも深爪をして皮膚を傷つけるからと置かれる事は無かった。
警察の事情聴取は持っての他。
合宿所で訃報を聞いた諸星が駆けつけた時は諸星にしがみ付いて、諸星以外の人間を寄せ付けようとしなかった。
諸星は休学して、怯え続ける雪乃の傍に居るのを選んだ。
状況が状況だけに学校も午前中、あるいは午後だけの登校を認め、休学扱いにはしないがテスト期間は出席、足りない分の補講は学校から送ってくる授業のレポートとPCを使った小テストの受講が課せられた
その後の出来事も全て頭に叩き込んである。
アメリカから日本に"戻る"途中で何度も読み返したレポートは日本で合流した学生時代の"友人"が焼却処分にした。
学校のクラスメートからの見舞いにも反応を示さず、事故の記憶は欠落し、それでも魘され続けた従妹を諸星は支え続けた。
その諸星も今頃は雪乃と一緒にアメリカに渡り、"雪乃"が暮らす家の近所に住む事を選んだ。
数年後には養父母と合わせて雪乃を支える存在になる筈だ。
(俺は、その諸星大に成りきれるだろうか)
沈んでいく夕焼けを見続ける雪乃を見つめて諸星は思う。
つん、と服をひかれた
「どうした?」
「アイスかシャーベット食べたい」
「アイス? アイスもシャーベットも買ってきてないぞ、アイスティーで我慢できないか?」
「アイスとシャーベット欲しい。」
じーっと見上げてくる雪乃に諸星はあっさりと白旗を上げた。
「なら、来る時に立ち寄ったスーパーまでドライブに行くか?」
「ドライブ?」
「確か夜の9時で閉店となっていた。今は7時だから十分間に合う。 湖1週する頃は星が綺麗な時間だろう。ただし、アイスかシャーベットかどちらか一つ。両方買ってもいいが、一つは明日の分だ。約束できるか?」
「うんっ」
「夏とはいえ夜は冷える。カーディガンを羽織るのを忘れるな」
「はーい」
洋服箪笥に掛けた水玉のカーディガンを取り出すのを傍目で見ながら諸星はバルコニーの窓を閉めた。
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