Act-10 ドタキャン
「行けなくなったって… Vater! どういう事?」
ホテルのコンベンションセンターで3日間の研究発表会があるのは十分把握していたが、事もあろうに受付などという仕事をさせられたのは、あの小生意気で可愛く育った巳恩の陰謀に違いない、と諸星は思った。
どうやら先日の事を根に持ったらしい巳恩が俺を推挙したらしいが迷惑この上もない仕事だった。
各種の発表は自分たちが関係する分野だけ聴講にくる招待客もいる為に数人の仲間と手分けして短い休憩を取る。
3日に渡る受付でスーツ姿で営業スマイルを使い続けるのはとても疲れる。
片付けが終わり、同僚が飲みにいうという誘いを断りネクタイを緩めると喫煙フロアで一息つこうとした矢先に巳恩の声が漏れ聞こえた。
ロビーの片隅にある電話のスペースでスマホを片手にプチっと切れたように応えている。
「約束したじゃない! 今回の発表会までに卒論を教授に叩きつけてきたら研究発表の後で2週間の休暇をくれて、”ごはんたべ”に行くって だから、仕事は入れないって約束したじゃない!?」
頭の良さに反比例してスマホに向かって不機嫌な顔を見せるのは子供ならではだと、諸星は、喉の奥で笑った。
(頭が良くて毒舌家でも子供は子供、か……。 確か半徹夜で卒論書いて教授に叩きつけてきた、と云ってたが、食事の約束を果たす為、だったのか?)
子供らしさを見せる顔。
「休暇はそのままって ―… 式典には出席してやるって。Vater! 云ってる事が違っ……!! ちょっ! 待ちなさいよ! クリスマスはっ!!」
(Vater? 確か飛行場で巳恩と一緒にいた長い黒髪の男の事をVaterと呼んでいたな? 資料によると有間巳恩の後見人でDr有間の教え子の一人。 組織とは関係ない外の世界での繋がりの後見人の事か?)
「―… 独りで行って遊んでこいって? は? これからフライトって? もう! Vaterと二人で遊びに行くの、楽しみにしてたのよ? サロンの予約もしたし、お店も鈴乃屋を通して半年前に予約―…っって!! Vater!!」
電話を切られたのか、ふるふると手を震わせてスマホの画面を睨み付けるのが年相応の表情で諸星はひっそりと苦笑する。
「あー!! もうっ! いいわよいいわよ! Vaterの分も贅沢三昧してくるんだからぁっ!!」
柳眉を逆立てるようにフロントに向かうと黒い布をかけて預けておいた鳥籠とルームキーを受け取る
「レディ。 ごはんたべは独りになっちゃったわ。 志保を誘えたら良かったのに志保には発表会後のレポート作成があるからフラれるだろう…、し……」
と、可愛がっている鷹に話かけ、自分をみている諸星を見つける。
「ふぅーーん? 人の電話に聞き耳を立ててたの? 諸星大」
「いや、そんな積りは」
「へぇ? 煙草を吸おうとした手を止めて?」
「―… 巳恩の声がでかくて聞こえただけだ」
「誰が名前で呼び捨てていいと許可を出したの。 お前はまだ幹部じゃないでしょう」
「年上が年下を呼び捨てて悪いのか」
「組織では階級がモノをいうのよ。 諸星はCランク。 それも志保の紹介状があって、外から入ってきた外部の人間。文句があるなら本部に云うかさっさと幹部になってコードネームをもらう事ね。 外部から入ってきた構成員にとしては異例の速さでCランクにあがっているのに不満でもあるの?」
「ならば、何と呼べば?」
「ランク上の構成員を呼ぶ時には敬称を付けるものよ。例え相手が自分より一回りも年下であってもね? 志保は優しいから敬称なしで呼んでも返事をしているみたいだけど、生憎と私は志保みたいに優しくないの」
「志保は幹部で、君より階級は上なのに名前で呼んでいたと思ったが」
「そうね。 志保は私と違って幹部として活躍してるわね。 でも、名前で呼んでいいと言ってくれたのは志保の方よ。」
「―… 」
「勿論、名前で呼ぶのは二人だけの時か今日のように外部での発表会の時だけと決めてるのだけど」
諸星は溜息を付く。
(あのルナ姉の子ならもっと優しい筈なんだがな…)
髪の色も瞳の色も違うのにルナ姉そっくりな彫の深い整った顔立ちだが性格は全く違う。
「―… 所詮、外部から来た人間に組織の階級を教え込んでも無駄って事ね。 役たたずの日本警察と同じ。 諸星の仕事は終わったのだからとっとと明美ママのトコへお帰り、坊や」
くすっと嘲るように笑うと巳恩は諸星の方を振り向きもせずにエレベーターの方に向かう。
「有間邸に帰らないのですか?」
丁寧語に切り替えて諸星は聞く。
「このホテルにはお気に入りのスパ・エステとカフェがあるから、ファーストクラスで一晩予約を取っていたのよ。 諸星も幹部になると噂をされてる男なら一度はこのホテルに泊まってみる事ね。 志保だって、日本で一流と呼ばれるホテルには何ヶ所も泊まっているわ。 北海道から沖縄までね。」
「そうですか。 では、今度是非お勧めのホテルを教えて貰って明美ママを連れて行きましょう。 優待割引とかあればぜひ分けて頂きたいものですが」
「優待割引なんて節約家ね」
巳恩はくすくすと笑う
「私が日本に戻ってくる時までに諸星がBランクになっていたら、北海道でも九州とか京都でもファーストクラスとか老舗の旅館とか、1週間の連泊費用を出してあげるわよ。 飛行機代のファーストクラス代金もつけてね。 明美はファーストクラスの部屋には泊まった事はないでしょうし。 組織の飛行機は幹部クラスとAプラス評価がなければ使えないもの。なんなら欧羅巴周遊5ツ星ホテル宿泊観光1ケ月費用とかだしてあげましょうか?」
「日本国内の移動にファーストクラスを使う必要はないだろう? 海外旅行に行く時だってエコノミーで十分だ。 京都なら車でも行けるしな。 仮にBランクの祝いとしても海外なんて贅沢すぎる。 北海道周遊3日位で十分だ。 九州の高千穂あたりでもいい」
「あらそう? 私のお父様は外の人間として行動する時、日本国内はビジネスで海外に行く時はファーストクラスが基本だったわ。 一度お父様と欧羅巴に行った時は組織の幹部専用ジェットだったから諸星には関係ないわね。 お父様が予約したのは最高級のホテルのファーストクラスだったわ。」
「俺―… 自分はDr有間のように財産家ではありません。 エコノミーが分相応です それにファーストクラスの部屋への連泊は落ち着かないし贅沢すぎる。その分の費用で軽く1〜2ケ月の食費になります」
「面白味のない男ね。 遊ぶという事を知らないなんて。」
「面白味が無くて申し訳ないが、それが一般庶民というものだとご記憶下さい」
「諸星」
「はい?」
「なら、明日から私の遊びに付き合いなさい。」
「は?」
巳恩は諸星を一瞥する。
「有間様。お話し中失礼を致します。 お申しつけのエステのご用意が整ったとの連絡が入りましたが如何致しましょう?」
「あら、もうそんな時間? レディに餌をあげたいから一度部屋に行ってからサロンに行くと伝えて頂戴。 籠に水は入れておいたけどお腹が空く頃だもの。 餌を上げないと。 あ、それからメニューの変更もお願い。 スペシャルにつけられるだけオプション付けて頂戴。 今夜はこのホテルに泊まるのだから時間は十分あるわ。アルテミスのパスタサラダとココアもお願い」
「畏まりました。」
「全く。諸星の所為で無駄な時間を使ってしまったわ。いいわね? 罰として明日の朝、5時10分にフロントに声をかけなさい。 有間流の遊び方を教えてあげるわ」
「明日は予定があるんですが」
「キャンセルなさい。 本部へは連絡しておくわ。 明日から10日間前後、私の護衛兼荷物持ちで使うとね。 いいわね? 5時10分よ。 ホテル代の心配はいらないわ。日当もちゃんと付けて上げる」
「おい! 待て!」
「Noという選択肢はないわ。 お前の返事はYesのみよ」
巳恩は足早にエレベーターに乗り込む
(つったく、あの年で否という言葉を言う時間を与えずに命令する事に慣れてしまっているとは? しかもエステのスペシャルコースに追加メニューだと? 確かにスイス系のエステスパが入っていたが……)
諸星は明美とのショッピングに付き合う予定だったのを思い出して溜息を付く。
(確か巳恩の後見人は黒澤―…といったか。 調べておく必要があるな。 有間邸は360度多方面監視カメラが作動だから下手に近寄れない。 と、なると、役立たずの日本警察に探りを入れさせるか……)
と思って苦笑する。
(役立たずなのは俺も同じ、か……)
厳の事件の時、諸星はまだFBIに入ったばかりで何の力もなく、日本に行く事は叶わなかった。
だからこそ、今回の潜入捜査の打診があった時迷う事なく引き受けたのだ。
心の中に残る不安を解決するため。
ルナ姉が残した子が幸せかどうか確かめる為。
(まさか、保育器に入って必死に生きようとしていた、あの小さな子が)
厳兄さん、と呼ぶのが正しいかどうか分からないが、Dr有間の娘だったら、IQが高くても可笑しくはない。
あの年で大学を卒業する?
超天才児、いわゆるギフティ、というのであればもっと大々的に特集を組まれても可笑しくないが特集されないのは組織ぐるみで隠しているという事。
もしくは海外でなら飛び級してもそう珍しい事ではないし、あれだけの容姿をしていればエステとかで磨き上げていてもおかしくはないが
(ルナ姉。―… 貴女の娘は、頭が良くて気が強くて毒舌家で、憎まれ口まで云うどうしようもない我儘娘で、その上、贅沢に慣れてしまっている。 ―… なのに、時折見せる年相応の顔がとても可愛い子に育ってます…)
諸星は、巳恩を見送った後、スーツの時に合わせて使っている形見のアンクオンダイヤのタイピンとカフスを仕舞いながらささやきかけた。
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