Act-11 幹部候補生 前編
携帯からトロイメライのオルゴールが鳴って巳恩は目を醒ました。
時間は朝の4時。
真冬でもキャミソールのような薄着でふかふかの毛布にくるまって寝ているがスイスとは違ってそれほど寒いとは感じない。
可愛がっている鷹のレディは籠に入れずに足環に伸縮性の特殊合金で出来ているロープを付けて、持ち込んだ止まり木で大人しくしている。
躾がいいので部屋を荒らすような事はしないが飼い主に向かって起きてくれと言わんばかりにピーピーと啼いて羽音を立ててご飯を即す。
「ん…っ」
子供らしい伸びをしてベッドサイドのソファに置いておいたガウンを取り上げて羽織ると止まり木に付けてある水飲みのカップを取って、洗面所で綺麗に洗うとテーブルの上で常温にしておいたミネラルウオーターのペットボトルの水を入れて付け替える。
「おはよ、レディ。 今日は鈴乃屋に行くのよ。 パパにも志保にもフラれちゃったからその分、うーんと贅沢して遊びましょう。鈴乃屋までは車だから移動中は鳥かごで我慢してね。」
頭の上を掻く様に撫でてバックからペットショップで購入した餌の肉の缶を開けるともう一つのカップに入れる。
「イイコね。 お腹一杯食べなさい。」
健啖な食欲をみせて肉を啄むレディをみて、巳恩はバスルームに行くと湯をはって薔薇の香油をたっぷりといれる。
薔薇の香油は死んだ父親が好きだった香り。
お風呂にはいつも薔薇かカモミールのオイルが用意してあった。
毎日薔薇香油のお風呂に入っている所為か、巳恩の髪にも躰にも薔薇のエッセンスが染み込んでいるらしく芳香体質のように羨ましがられる
(優しかったお父様はもう居ない。 私は、何時になったらお父様の仇を討てるの?)
その儘、薔薇の香りに包まれるようにうとうとと暖まり、そして、髪を乾かす。
頭の先から足の先までバラの香りに包まれて着替えていると、ルームホンがなった。
「はい?」
「お早う御座います、有間様。 フロントでございます。 諸星様が5時10分に呼ばれているとお見えになりましたが如何致しましょう?」
「そう。朝食の手配は?」
「そろそろお部屋にお届けに上がる頃かと存じます」
「ならいいわ。 部屋に通して頂戴。 料理は暖かいものは暖かい間に食べるものよ。」
「畏まりました。」
「それから、6時にファーストクラスの運転手で来ました、と誰かがくるから、珈琲を出してあげてくれる?ブラックでもカフェ・オ・レでもいいわ。 私の名前は教えないように言ってあるから答えられないと思うけど」
「承りました。車で食べれるような朝食をお付けしましょうか?」
「食事はいいわ。 長距離運転させるから、確りと食べてからくるように伝えておいたの。」
「では珈琲だけご用意致します。」
「あと、私と諸星の分として、車で飲めるように珈琲と紅茶のテイクアウトをお願い。それから鈴乃屋にあげる土産の菓子は」
「お土産用の菓子は何時も通り水引きでご用意して御座います。確か4箱、でございましたね」
「ならば、精算の時に受け取るわ。」
「受け賜りました。」
フロントからの電話が切れるのを見計らったようにドアがノックされる
「お早うございます。カフェアルテミスでございます。お申しつけの朝食をお届けに参りました」
「ありがと。 良いお天気だから、バルコニーテーブルの方に運んで頂戴。 紅茶と珈琲で用意をしてくれた? 」
カラカラとキャスターを押して入って来るのはスイス風の刺繍を施したジャケットのウェイトレス
「はい。紅茶はタルボ農園の今年のファーストフラッシュで珈琲はアルテミスブレンドの水出しでご用意致しました。有間様にはご指定通り、フルーツがメインのパンケーキをお作りいたしました。 おひとりはメニューをお任せとの事でしたが、男性の朝食をとの事でしたのでスモークサーモンとローストビーフのサンドイッチにシーザーサラダ添えプレートをご用意致しましたがよろしかったでしょうか?」
「ありがとう。 十分だと思うわ。」
「男性の方のサラダのドレッシングのお好みが分かりませんでしたので、和風とイタリアンとフレンチをご用意致しました。」
メイドが食器を並べているとノックの音がした。
「諸星です」
「今、開けるわ」
巳恩はドアのロックを解除する。
「時間通りね。」
「5時10分、というご命令でしたから」
諸星はファーストクラスだけあって広い部屋を見回す。
リビングの片隅に置かれた止まり木では鷹のレディが餌の肉を食べて満腹になったのか、諸星には目もくれずに羽繕いをしている。
そしてベランダに用意されている料理をみて怪訝そうな顔をする。
「ベランダで朝食を?」
「天気がいいからアルテミスの朝食をバルコニーに運ばせたのよ。 レディ。 お腹は一杯になった? 食後の運動で一回りしてらっしゃい。」
カチャ、と足環の鍵を外すと鷹のレディはパタパタと羽音も軽くベランダから外に飛び出していく。
「なら、俺―… 私は、フロントで待っていた方が良かったのでは?」
「朝は出来るだけ食べるようにしているのよ。 諸星も付き合いなさい。」
「御命令なら」
「フルーツたっぷりが私の席よ。 ―… ありがとう。紅茶と珈琲のサーブは必要ないわ。」
「はい。では、失礼致します。」
メイドは丁寧に頭を下げて部屋を下がる。
「何をぼーっとしているの。折角の朝食が冷めてしまうから、かけなさい。」
「ああ…」
巳恩の言葉に諸星は頷くとどうみても自分の為にと用意された食事を見る。
「これを俺の為に?」
「そうよ。 私は朝はフルーツと紅茶がメインなの。 でも、諸星はフルーツという訳にはいかないでしょう? それとも朝は和食派だった? それとも食べない派?」
「洋食でも和食でも構わないが朝は確り食べる方だ。有りがたく頂こう」
(ルナ姉もパンケーキが好きだったな。 味を変えて沢山の種類のパンケーキを作ってくれた。 こんな所でも似た所がでてくるのか…)
コポコポと鼻孔をくすぐる珈琲の香りに我に帰れば、ポットで届いている珈琲をカップに注いでいる巳恩
「驚いたな」
「何が」
「Aプラス評価を持つ幹部候補生がランク下の構成員に珈琲を注いだり、食事をだすとはな」
「たかが食事よ? 気にするような事でもないわ。」
自分の分のカップに紅茶を注ぐ。
ハーフという事も有るのか、スラリとした細身に膝丈のミニスカートのワンピース。
艶やかな黒髪はサラサラなロングストレートで、サイドはロングの姫カット風だ
「アルテミスはミシェランの4ツ星ランクがついているわ。 暖かいうちにどうぞ。」
「ならば遠慮なく頂くとしよう。 正直な所、軽く摘んできただけだからボリュームのある朝食はありがたい。」
「そう。良かったわ」
にこりと笑みを見せる巳恩
「フロントで待機させてても良かったのだけど、どうせなら相手がいた方がいいと思ったまでの事よ。 どうせ、今回の旅費のスポンサーはVaterなんだもの。仮に1週間で300万使っても、1週間ならこんなものだろうの一言で終了よ」
「300…? そんな大金を1週間で使うのか? …まぁ、ブランドもののバックでも買えば1瞬で飛ぶかもしれないが」
「あぁ。バッグを買うという手もあったわね。 それか、着物をフルセットであつらえたら500万位は使えそうだわ。 夏用の総絞りの浴衣とか絽か紗の作家の1点物を揃いで買えば千万位は使えるかしら…。 最もVaterの貯金はそれくらい使わないと減らないかもしれないわね」
「… おい、本気にするな。 それにミス巳恩の年齢に似合う着物柄は数年もすれば似合わないのもでてくるだろう」
「あら、そんなのブラウスとかワンピースに仕立直しをさせればいいだけの事よ。 諸星は着付け出来ないの? 日本人でしょ?」
「着物なんて男の一人暮らしに必要ないからな」
「―… と、いう事は持ってないのね。 色の濃い絣か紬とか、着せてみたいわね。 袴の着付けなんて出来ないでしょう?」
あきれたようにいう巳恩
「そういうお前―‥じゃない。ミス巳恩は、着れるのですか」
「一般教養として振袖も単衣も浴衣も一人で着付けられるわ。今のコンパクトでぱっちんで止めるようなインスタント帯じゃなくて、ちゃんとした結び方を習ったの。 正確にいうと覚えさせられたのだけど。12単衣は独りじゃ切れないから駄目だけど。 あとお茶に華道に香道。 日舞と社交ダンスにピアノとハープにお琴とお三味線。乗馬に合気道に絵画の知識もね。」
「ほぉー…それは基礎だけでも見事なものだ。」
「最も基礎的な事だけよ。 外国にいたから、着物で抹茶とか点てたり、華を生けたりすると皆喜ぶのよ。 日本で洋服に羽織りなんて違和感があるけど海外ではおかしく無いからジーパンにスーツに羽織りとか、プレゼントに作務衣なんかも喜ばれるわね。 寒い時に浴衣2枚会わせて着ても全然平気。 華道はフラワーコーディネートに、香道はアロマテラピーと重なるから。 お父様は着物は着ても茶道や香道はご招待で行くだけだったし、日舞も歌舞伎もご招待だったから私は点てる方、舞う方を習ったの。 琴に三味線は基礎の基礎で人さまに聴かせる程上達はしなかったけど知識として説明できる程度にね」
平然という巳恩
(つまり、それなりの努力の積み重ねが明美への態度にもでるという事か)
平凡な女と非凡な女。
勿論、組織の全面的バックアップはあった筈だが、勉強の合間に習うのは本人の努力があったから自信につながっている。
明美とて同年代のクラスメートと比べれば頭が悪いわけではない。
だが、組織の中で常に両親の血と妹の才能に比べられている為に不出来といわれ続けて見劣りするように思われている。
「―… 幹部候補生としてのたゆまぬ努力をしている結果、という事か」
「さあ? どうかしらね? 有間厳は世界的に有名な外科医だった。 私がお父様と同じ医学を選んだ以上、一生、その名前は付いて回る。 だから、私はお父様の知らなかった事を納めるの。 そして、いつか、医師としてお父様を追い越すの。 志保もそうよ。宮野夫妻の名前は付いてまわる。 でも、志保はご両親のプレッシャーを跳ねのけてご両親よりも若くして幹部になった。」
「―… そうか」
(確かに明美は親の名前のプレッシャーに負けている。 志保やこの子ようにプレッシャーを跳ね避ける努力、という事はしていないな…。)
ただ、優しくて、悲しくても一人で泣いて我慢する馬鹿な女だ。
「お前―…と、ミス巳恩も志保も強いな。プレッシャーに潰される、という事はなさそうだ。」
諸星は思わず頭を撫ぜる
「なっ! 何するのよ!」
パシン! とその手を弾く巳恩
「っ…と。 撫でられるのは嫌いだったか? つい、可愛く見えて。 すなまー… 申し訳ありません。」
「可愛い?」
「申し訳ありません。 きっと、Dr有間も、亡くなったお母上も、努力家な娘の姿に喜んでいる筈だと思ったら、つい。」
「お父様ー…」
「一日も早く抜いてくれと、思っているのではないかと思います。」
本心、だった。
毒舌すらも愛おしくなる程可愛く思った。
「もう…! 戯言なんて言わずにさっさと食べなさい。 6時に運転手が来る筈よ。 平日とはいえ6時半には高速に乗らないと道が混むから。 車の中は禁煙だから今なら2〜3本なら喫煙しても良いわよ。」
「高速? 運転なら俺がしても」
「諸星は私の護衛と荷物持ちよ。 Vaterが海外に行ってしまったんだもの。 運転手は今月本部からの仕事が回ってこなくて躰が空いてる下っ端を選んでいる筈よ。 日当として後日10万。 長距離だから1泊だけホテル費用として1万円が追加されて明日の夕方までに車を返せばいい事にしてあるの。ガソリン代、往復の高速費用別枠で3万の支払いが追加されるからホテル代込で諸々精算したら4万から15万位ね。 最もホテルに泊まらず車の中で寝ても1万の支給にしてあるから2万のホテルに泊まったら差額は自腹よ」
「そうか。 ちなみに方向は」
「関西方面」
「―… 関西?」
「いったでしょ? 有間流の遊び方を教えてあげる、ってね。 ―… お帰り、レディ。 お散歩は楽しかった? この子を調教してくれた鷹匠が京都にいるの。レディは外を飛ばせてるから、京都に寄る時は預けて体調とか病気になってないかとか診て貰うのよ。 私は人の病気は診たてる事はできるけど、鷹の病気は不勉強で良く分からないから。」
「大切なんだな。レディが」
「そうね。 雛から育てて1年近く一緒にいるもの。 帰国に合わせて鷹匠にレディのお婿さんを探して貰っているの。 お婿さん候補が4−5羽いるから今日の夜からお見合いよ。」
「婿って…」
「当たり前でしょう! レディはもう年頃よ。 ペアを作ってあげないと可哀想だわ。」
バタバタとバルコニーの手すりに戻ってきたレディに声をかける。
「どうやら今日は機嫌がいいらしい。そのまま、イイコで居てくれよ?」
先日のように攻撃されない事にほっとして話しかける。
「基本、人を襲ったりしないように躾けてるけど、この子は馬鹿な人間が嫌いなの。 宮野明美は自分以下だと思っているから揶揄うのよ。」
「ほぉー?なら俺―… 私は」
「今は揶揄わないわ。 私が一緒にいるから。でも、私を怒らせたら攻撃するわよ。」
巳恩はにっこりと笑うと優雅にナイフとフォークを走らせてパンケーキを口に運ぶ。
さっさと食事を胃に修めた諸星は煙草に火をつけ、煙は料理に移らないように横に流した。
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