Act-13 ごはんたべ 前編
「有間のお孃はん。よう御越しやす。 お連れ様もよういらして下さいました。 女将の春日と申します」
「「ようこそおこしやす。」」
店の名前が染め抜かれた暖簾をくぐってカラカラとドアを開ければいかにも京都といわんばかりの和服で巳恩を出迎えた女将が丁寧に頭を下げて笑を見る。
その後ろで正座をして控えていた前掛け姿の男性と板前の姿で前掛けをしている男が頭を下げる。
「お久しぶり、春日さん姐さん姐さん。 相変わらずお綺麗ね。 番頭さんも板さんも息災で何よりだわ」
「ま。嬉しい言葉をおおきに。 巳恩孃はんこそ年毎に綺麗にならはりますなぁ。うちは15年近く前に芸妓を辞めてますさかい、”さん姐さん姐さん”なんて祇園の舞妓はんみたいな呼び方は止めておくれやす。 さ、はようおあがりやす。 皆さんお座敷でお待ちかねどすえ。」
「まだ10分近くあったと思うのだけど、やはりいらしてるのね。何時も早くお見えになられる方だけど」
「20分以上も前から来はりまってなぁ。 首を長くしてお待ちかねどす。 あらまぁ。 背も高うなりましたな。」
「前より、10センチ程度高くなっただけです。」
「10センチ! 1年あまりで高うなりましたなぁ」
「でも後、20センチ位は高くなりたいわ。」
「ま。 一流のお医者様でのうてプロのモデルはんにでもなるおつもりですか」
「まさか! 黒澤のパパがチビチビっていっつもからかうの。 せめて170位にならないと延々といわれ続けるわ」
「女の子は余り高く無い方が可愛くてよろしおす。 精々後、10センチで止めておきなはれ。それに黒澤はんの方が高いだけどすえ。あ、こっちのお兄はんも背ぇはお高い方どすなぁ」
女将とよばれた女性がコロコロと笑う。
「さぁ。 お連れの方もどうぞおあがりやす。」
「どうも ……」
「板はん。お食事の御仕度をな」
「へぇ。 なら、巳恩嬢はん。 後ほど、嬢はんのお好きな湯豆腐を始め京野菜のサラダや和え物等を沢山お持ちしますからゆっくり楽しんでおくれやす。 鈴乃屋はんからの依頼で、レディの餌に鴨肉も用意してあります。」
「わ! 嬉しい。レディも喜ぶわ。毎日飛ばしているから適度に外食してるでしょうけど、ペットショップの餌だけじゃ可哀想だものね。 サラダのドレッシングは柚子でお願いね」
「へぇ。ぬかりはありまへんぇ。巳恩嬢はんは柚子が大好きでおましたから、食後に柚子餅に柚子の氷菓子をご用意してあります。 お土産に柚子の羽二重餅に柚子羊羹をたんと御包しますよって御持ちになっておくれやす」
「素敵! 柚子のオンパレードね? 楽しみにしてるわ。」
「おおきに。 ほな、後ほど」
板前が丁寧に頭を下げて奥に下がる。
「諸星、ホテルで用意したお土産を取って、上においてある方よ」
「あ、はい。」
言葉遣いを改めた巳恩に驚いていた諸星は慌ててホテルの包み紙の大きな箱を一つ取り出す。
「これ、春日さん姉さ ー…じゃない。 春日さんへお土産。 休憩時間に召しあがってみて下さい。 ありふれたものだけど、アルテミスが来月から売り出す新作なの。感想葉書を同封してあると云っていたから、祇園で口の肥えた人の正直な感想を伺えれば嬉しいと、オーナーシェフが言ってたわ」
「まぁま。 いつもいつもおおきに。 店が終わったら皆でいただきます。 番頭はん。これを奥の休憩室 ー… いえ、私の部屋に届けておいてな。 奥に置いたら店が終わるまでに食べつくされてしまうから感想が書けへんわ。」
「へぇ。おおきに、頂戴いたします。 確かに嬢はんが下さる菓子はあっという間になくなってしまいますから女将さんのお部屋に置いておくのが安全どすな。 通販をしない事が人気のコツやとか」
女将から箱を受け取った番頭が捧げ持つように受け取って奥へ引き下がる。
「元々スイスのオリジナルブランドですもの。 お父様のテコ入れで日本に出店させて貰ったけど、粉もバターもチョコレートも材料の8割はスイスのものよ。あ、卵と生クリームはスイス製じゃないわね…」
「けど、材料の殆どがこだわりのスイスブランド、どすな。 パティシエはんがひきぬかれたからどうするんどす?」
「へッドハンティングなんてさせないわよ。 それなりの高級払って、契約書も交わしているもの。 アルテミスはスィーツショップとして世界中に名を広める、なんて考えはなしないしさせない。 そんな考えの人は雇わないし」
「ー… 贔屓の店だという事は分かったが、妙に詳しいな。」
「当たり前でしょ。 初代オーナーシェフの息子さんが亡くなったお父様の友人なのよ。 その縁で初代オーナーが心臓で倒れた時、パティシエとして修業を始めたばかりの息子さんがインターンだったお父様に相談して、当時、務めていた病院を紹介したの。手術にもたちあったのよ。もともとこの店の味に惚れ込んていたお父様は、手術で命は助かったけど体力が持たずに沢山の菓子を作れなくなったからと、店を閉店しようとしたオーナーシェフを説得して儲け度外視で出資を始めたの。 お父様が死んでからは私が出資者よ」
「ー… 子供がスポンサーになれるのか?」
「お前ね…」
巳恩が呆れたような声を出す。
「お父様の遺産を資金として黒澤さんが運用してるのよ。 黒澤のパパの手腕でお父様の遺産は1円も減ってないわ。 反対に順調に増え続けてるの」
「ー… 一度黒澤氏にお目にかかりたいものですね。 俺の少ない財産も増やして貰えそうだ」
「そうね。貯金が1千万越したら紹介してあげてもよくてよ?」
「1千…? 俺の報酬じゃ先が長そうだ。」
「黒澤のパパはね、ちまちました資金より大口の資産運用が得意なの。そして損を出した事は一度もないわ。」
巳恩はさらりと言い返す。
「ほんまに、黒澤はんは一流の財テクアドバイザーですわ。 世界中から資産運用の相談が飛び込んでくるとか。 この店も黒澤はんに相談したら損益を出さずに儲けられるようになって、厨房設備も一流料亭並になって、この店で修行したいと門を叩く板前見習いはんが以前よりふえてきましたんや。 」
「女の子も、最初の1ケ月程は挨拶から行儀作法から所作事から仕込みますさかいな。ご両親が店まで来て、食事のマナーが綺麗になった、立ち振る舞いが綺麗なったと御礼を言いにきれくれますんや。長く続ける女の子は彼氏や学校でミスコンに出るほど褒められるようになったと、言ってくれるんどす。」
「パパに伝えたら喜ぶわ。 洋服の綺麗さよりもちょっとした所作事が綺麗な方が美人に見えるコツだもの。 でもそれが本業じゃないのにね。」
「ほな、私は、他のお部屋のお客様のご様子の見にいきますよって。後ほど」
「そうね。引き留めてしまってごめんなさい」
「そんな事あらしまへん。 では」
番頭がゆっくりと立ち上がって奥へ向かう
「何してるの? 諸星は料亭に上がるのは初めてだった? 明美を料亭に連れて行ってあげてないの?」
「いえ…。」
「ならさっさと来なさい。」
「はい」
「まるで拾ってきた犬を躾てるようどすなぁ。巳恩嬢はん自慢の黒澤のお父はんは今日は来られないのどすか?」
戸惑っている諸星をみて、女将は磨き抜かれた廊下を案内しながらクスクスと笑う。
元々が祇園仕込みで立ち振る舞いも洗練されててとても上品だ。
「その通り。 黒澤のパパは娘の私とのデートより、海外出張を優先させてしまったの。 好勝手遊んでこいって言い残してね。 そのせいで荷物持ちが居なくなってしまったから、暇をしてる諸星を拾って荷物持ちのお供の犬に選んだのよ。 ね、諸星」
「仰せの通りです。姫」
「ほほっ。嬢はんがお姫様なら、諸星はんは家来どすな」
「家来というより躾中の手代かしら。 時折噛みついてくるから仔犬かもしれないわね。 春日さんも噛みつかれないように気を付けてね。 諸星の特技は軟派だから間違っても電話やメールを教えたら駄目よ。ホテルに連れ込まれて朝まで寝かせて貰えないから」
「朝まで…、どすか。」
女将が目を丸くする。
「そ、朝までよ。 下手したら2〜3日位平気でベッドの中かもしれないわね。」
「ミス巳恩。 何度も言いますが、その紹介のされ方は不本意です。」
「あら、明美を寝かせなかった事があるでしょう? 志保からチラッと聞いたけど、翌日腰が痛くて動けない。だれかに夕食を届けさせてほしいってメールを貰った事があるって嘆いてたわよ。 大君は精力の塊だったって書いてあったとか」
「ー… ミス巳恩。俺はそんな事は」
「志保に確認取りましょうか? それとも明美に言わせる?」
さらりと言われれば諸星には言い返す事ができない。
下手に答えれば藪蛇だ
「つまり、夜にとてもお強い体力の持ち主でいらっしゃる、という事ですなぁ ……。 面白い冗談どす。」
「鈴乃屋のおじ様は軟派男での紹介を喜んでくれるかしら?」
「ちょーっとインパクトが足りないかもしれまへんなぁ。 何しろ有間先生を祇園に紹介した大元ですよって」
「ん〜ん… 軟派男での紹介は無理っぽいわね。あ、諸星、春日さんや今日あう方に手を出したら承知しないわよ。」
「ミス巳恩。 俺を玩具にしないで下さい。人としての道理位は弁えているつもりです」
「玩具が嫌ならそれなりの地位に着いてから云いなさい」
「ー… 承知致しました、姫。」
諸星は溜め息をつく。
回廊を進みながら巳恩は足を止めて庭を見渡し、諸星も目を細めて見入る
「ー… 相変わらず綺麗なお庭ね。諸星もそう思うでしょう?」
「あぁ。 計算されつくした造形だがそれを感じさせない見事なものだ。 この庭を見るだけでも来た価値はある」
「お気に召されましたか?」
「えぇ。 お正月は松竹梅。春は桜、夏は苔や向日葵… いつ来ても本当に綺麗なお庭。 でも、以前は東屋なんて無かったと思うけど」
「へぇ。今年、夏のお休みを1週間とりましてな。その時に突貫工事で作りましたんや。お食事後に散策を希望されるお客はんが増えてきましてな、中庭を一望できて一息入れられるような場を設けるのは黒澤さんのアドバイスで、出入りの植木職人はんと建築士はんに相談しまして」
「こういう風景はスイスにはないもの。時間があったら素描をしていってもいいかしら?」
「へぇ。お時間はゆっくりとってあります。デジカメで撮影しても構いませんよって。」
「ミス巳恩は絵画の才も?」
「諸星はんは、お嬢はんの事を何にも知らないんどすな。水彩画―…といより墨絵のようなものですけどな。とても綺麗に描かれますぇ。 柔らかい優しい色使いで、本気で修行したら着物デザイナーとかも夢じゃありまへん」
「諸星にわびさびとか話しても馬の耳に念仏よ。 着付けもできない朴念仁で歌舞伎も知らないんだから」
「歌舞伎位は知ってる。 ただ内容とか役者さんを知らないだけだと」
「それに、お父様が殺された事は知ってても家系の事は知らないの」
「あらまぁ。 ー… なら、厳先生の家系の事も?」
「知らないわ。 と、いっても私も話してないから、それに関しては知らなくても責める積もりも無いけれど」
「ほな、お家の事はこれまでにしておきましょう。」
女将はニコリと笑って回廊を進んだ。
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