Act-13 ごはんたべ 後編
女将と呼ばれた春日は回廊を曲がった角の座敷の片隅で、すっと正座をする。
「鈴乃屋はん。 お待ちかねの巳恩お嬢はんと御連れの方が見えられましたえ」
広々と開け放たれた障子から見える広間に大きなテーブル。
「巳恩!」
奥の席に座っている着流し姿の壮年の男性が顔を綻ばせる。
「「巳恩ちゃん!」」
私服の女性たちが笑顔を見せて笑いかける。
「鈴乃屋のおじさま! お姐さんたち!」
巳恩が年相応な笑顔で声をかけて広間に入ると流れるような動作で正座をする。
「ご無沙汰してます、鈴乃屋のおじさま。 豆乃さん姐さん、春乃姐さん、お久しぶりです。春佳ちゃん。真奈ちゃんもひさしぶり」
思わず鈴乃屋のおじ様、と呼んだ男にかけよるんじゃないかと思った諸星は、部屋に入るとピタリと正座をして丁寧に頭を下げるのをみて、慌ててその後ろに控えて頭を下げる。
「堅苦しい挨拶はええ。 ようきたな。今日は黒澤のお父はんはどないしたんや? ミニワンピに羽織とはまた粋な組み合わせやなぁ」
「ほんまに。 外国育ちだとファッションセンスも変わるんどすな。巳恩ちゃんらしい」
「黒澤のパパは娘とのデートより仕事が大切で海外出張に行きました。 飛行場からドタキャンの電話をされてしまったのよ。 なので荷物持ちにパパと同じ会社の部下である諸星を連れて来たの。 不調法者だから失礼な物言いをしたらごめんなさい。 諸星、こちらのおじさまが車の中で話した鈴乃屋の御主人で藤代仁人おじ様。 それから仁人おじ様の次女の豆乃さん姉さん。 豆乃さん姉さんは現役の芸妓さんでもあるけれど、祇園屈指の置屋に嫁がれていて若女将でもいらっしゃるの。ちなみにこの店の女将の春日さんは春乃姉さんの姉様舞妓だったのよ。 その置屋の芸妓の春乃姉さんと妹舞妓の春佳ちゃん。それから真奈ちゃん。 あら?―… 真奈ちゃんの姉様芸妓の遊真姉さんはどう為さったの? 黒澤のパパがご招待した筈なのに」
「えろうすんまへん。遊真姉さんは 先月入った仕込みさんたちの舞の上達を見に行く様が入ってしもうて、ご飯食べは御無礼する旨を謝ってほしいと。」
「仕込みさんが入ったの?」
「へぇ。2人も入りました。春佳と真奈の妹舞妓として店出しが出来るように躾ようと思うております」
「まぁ! 楽しみね。 華豆屋は置屋の筆頭ですもの。そこの舞妓というだけで筋の良いお客様が着く筈よ」
「プレッシャーな事をまたあっさりといってくらはりますな。 そうそう。 諸星はんには御挨拶が遅うなりましたが、華豆屋の若女将をしております、豆乃と申します。今後ともどうぞご贔屓に」
「「「よろしゅうお頼み申します」」」
豆乃が丁寧に頭をさげれば他の3名も姿勢を改め、うち揃って丁寧に頭を下げる。
「あ、いえ。 ―… 諸星大、といいます。 ミス巳恩のいう通り、祇園や芸事に疎い不調法者ですがよろしくお見知りおき下さい。」
諸星も慌てて頭を下げる
「お姉さんたち、諸星は女性に手が早いから気を付けてね。 でないとあっという間にホテルに連れ込まれてしまうわよ」
「ま! こんなイケメンの兄はんなら喜んで付き合いますえ」
「ほんまや。 けど、このお兄はん、寝不足なんどすか? クマができてますえ」
「あぁ。 これが素なのよ。 目つきが悪いのは生まれつきらしいわね。 車にぶつかっても打ち身で済む程度の頑丈な躰が自慢なの」
「―… 相変わらず口が悪い末っ子やな。 年々、寿々乃姉さんそっくりになっていくやないか。 もう一寸女の子らしい優しい言い方を覚えんとあかんで。いくら黒澤はんの部下とはいえ諸星はんは年上やろう?」
「お生憎様。 諸星は叔父様たちと違うもの。 諸星、取って」
「はい。 ここに」
諸星はすでに袋から出しておいた箱を手渡す。
「鈴乃屋のおじさま。つまらないものですけど、お土産です。豆乃姉さんも置屋にどうぞ。 カフェ・アルテミスの新作なの。」
「毎度、おおきに。 ―… 何時の間にか黒澤はんがおらんでもこないに気を遣うようになったんやな」
「ほんまに。 置屋にまで気を使ってくれておおきにな。」
感慨深く云う仁人と豆乃
「ん…もう! 私、時期に14になるんですよ?」
巳恩は少し頬を膨らませる。
「そうやったなぁ。 厳さんが亡くなってもう6年か… 7回忌の法要はどないするんや?」
「お父様の命日にはまだスイスにいるので…。」
「そうか。まだ暫く海外におるんか?」
「いえ。 来年の8月か遅くても9月には帰国する予定です。 7回忌の法要に関しては、お父様が勤めてた病院の理事にも聞かれましたが、犯人はまだ捕まってませんし、犯人逮捕迄延期しようかと思います。せめて13回忌の時までには捕まって欲しいと思ってますけど」
「延期ー………」
「6つ7つの子の顔のモンタージュでは役に立たないみたいです。 外国人という事もあって、国際法だ何だと言い訳ばかり。 日本警察が世界有数の検挙率なんて信じられないけれど、それが現実なんです」
「せやな。 大阪府警の幹部に知り合いがおるさかい、華豆の出禁を賭けて尻叩いてはみたんやが、警視庁から待ったが掛かったと泣き事を言いうてたしなぁ」
「何時に成ったら捕まえられるのかしら、ね、ー……… 諸星もそう思わない?」
「俺はー…… 自分は、警察関係では有りませんので何とも言えませんが」
「そうだったわね」
巳恩は溜息を吐いた。
「さぁさ。 巳恩ちゃん、湿っぽい話は後にして席におつきやす。 諸星はんも京がはじめてならご飯食べも初めてでしょうから、まずはゆっくりと食事を楽しんでおくれやす」
豆乃、と呼ばれた女性が上座を示してとりなすように云う。
「私が上座? 仁人おじさまと豆乃姉さんが上座の間違いでしょう。招待したのはこちらなのに?」
「俺はただの荷物持ち兼、護衛なので末席で十分―…」
上座を進められて辞退する巳恩と諸星。
「巳恩も上座での景色を味わってもいい歳やと思ってな。今日の主賓はお前や。諸星はんは巳恩の右横へな。私が左や」
「豆乃姉さん? 春乃姉さん?」
「ええのよ。 私が諸星はんの横の席へ着く事になってますしな。」
「おじさまが構わないのなら異論はないわ。黒澤のパパが海外から戻ってきたら後ほど改めて御挨拶を致します」
「その畏まった考えも今日は捨てるんや。 巳恩は鈴乃屋の末娘でもあるんやで。 厳はんに助けてもろうた命や。 その恩は生涯忘れへん」
「おじさま…。」
ピーピーとおとなしく肩に乗っていたレディがバタバタと羽音を立てる。
「レディも元気そうやなぁ。 羽も艶々してて相変わらずの美人はんやで」
「でしょう? パパみたいに素敵はお婿さんが見つかるとうれしいわ」
「そりゃ無理やわ。 黒澤はんはイイ男すぎて難しいわ」
「―… ですって。 諸星レベルでも我慢できるかしらねぇ…」
「ですから、ミス巳恩 俺ー… 自分と鷹を一緒にしないで欲しいと云った筈ですが」
「そうだったわね。 諸星と鷹を一緒にしたら、鷹の方が可哀想だわ。」
「ー…」
「あ、荷物の中に止まり木のキットを入っているの。取って頂戴」
「仰せのままに。姫」
「組立なんどしなくてええ。 レディの止まり木は新しいのをウチで用意して隅に置かして貰ってある。―… ほら、そこや。 京から帰る時にもって行くとええで」
「わ!嬉しい! 鷹匠にお願いして新しいのを買ってあげようと思ってたのよ。 ほら、レディ。新しい止まり木よ。 餌はもう少し我慢して。」
巳恩は手首の紐を止まり木に括りつける。
「紐を付けた儘でいいのか? 放し飼いだとばかり…」
「お前は頭の回転も悪いの? 確かに人を襲わないように躾てあるし、放し飼いにもしてるけど鷹は猛禽類なのよ。 しかもここは食材を扱う料亭なの。 生肉とかをおいてあるのよ。飛び出していかないようにするのは飼い主として当然でしょう」
「―… 」
「それとも、この間みたいに遊ばれたいの」
「謹んで辞退させて頂きます。」
「全く。 これでパパの部下っていうんだから嘆かわしい事」
「巳恩。確かにお前はとびっきり頭の良い子だけどな、年上を揶揄うのは悪い癖や。ここではやめなはれ」
「はい。」
巳恩は素直に折れる
「さ、今日は無礼講や! 今日の昼はごはんたべ、それから、鷹匠の家に行ってレディを預けたらウチに泊まるんやで! 恭介が自慢の京料理を振る舞うと朝から張り切って昨日の夜から黒豆を戻しておったしな。 最も今日は夕食がどうなるか分からへんから明日食べて美味しいものを作ってるで。 綾乃が、巳恩に着せるんやと着物を物色しておるしな」
「綾乃姉さんに恭介兄さん! なら、夜は綾乃姉さんのお琴かお三味線。恭介兄さんの笛でおじさまの舞が見たいわ!」
「言うと思った。 ほかならぬ巳恩のオネダリや。 家に帰ったら座興に舞うてあげよう。」
「わぁ! 楽しみ!」
「鈴乃屋さんは日本舞踊でも?」
「云って無かったかしら? おじさまは日本舞踊の宗家―… お家元なの。男舞でも女舞でもなんでもござれの天才舞踊家よ香道の師範で仏蘭西でも有名な鼻の称号をお持ちなの。 舞妓さんたちに井上流を教えているの。 綾乃姉さんは長女なのだけど、舞妓さんたちの通う女紅場学園でお琴とお三味線を教えてるの。 恭介兄さんは長男で普段は呉服のお店を任されているけれど、料理が得意で下手な料理人よりお上手なのよ。それに裏千家の茶道の師範でもあり笛の名手でもあるの。これだけ芸事に優れた名家も少ないわね。 豆乃姉さんはおじ様の内弟子で置屋の若女将で井上流の師範代で書道の師範なのよ」
「工場でのお師匠さんになると、それはもう家元方はとても厳しいお方たちなんどす。」
「そうそう。 気を抜くと大変。 うちらも何回”仕舞い“にされたいか、って怒られた事か」
「しまい?」
「仕舞い、というのは。 普通の学校でいう停学退学処分みたいなもんどす。 仕舞いになったら、姉様舞妓に置屋の女将と揃ってお師匠さんの家までお詫びにいかなくては、工場への出入りができなくなる程厳しい罰なんどす」
「気ぃの入っておらん舞なんぞ見苦しいだけや。そんな舞しかできんなら舞妓なんぞ止めればよろしい。」
「…な? もっともこういう風にごはんたべ、の時はものすごうお優しいのどすけど」
「あ! それで思い出した!」
巳恩はハンドバックからブランドものの小さな袋を二つ取り出した。
「春佳ちゃんと真奈ちゃんは、来年の3月に襟替えだと聞いたから。これをお祝いに」
「これ…?」
「ってどこからそんな情報を」
「おじ様から伺ったのよ。 私、襟替えの時はスイスにいて、一緒にお祝いできないから。」
「ええんやろうか? 頂いても」
「有りがたく頂きなさい。 春佳と真奈に贈り物をおおきに巳恩ちゃん。」
姉舞妓の春乃が許可を出す。
「へぇ。 巳恩ちゃん。おおきに」
「おおきに巳恩ちゃん。」
「どういたしまして。」
(年相応の顔、鈴乃屋、と呼んだ人への態度は年上に対する人への礼儀を心得えている。なぜ―… 組織の外での顔、なのだろうか)
「諸星? どうしたの?」
「俺にはけんもほろろな言い方なのに随分と違うと思ってな」
「当たり前でしょう! 鈴乃屋のおじ様は諸星なんかとは格が違うわ。」
「―… 格、ねぇ‥?」
「パパの部下とおじさまと比べるなんて出来ない事よ。」
「やれやれ… 全く姫君の御供は楽じゃない。」
「でも、巳恩ちゃんは本当はとーっても優しい子なんどすえ? な、真奈ちゃん」
「へぇ。 巳恩ちゃんが本気で舞妓になったらウチラが束になってもよう勝てません。なぁ、お姐はん」
「せやな。 でも、初めて巳恩ちゃんに会うた時はただの我儘な口の悪い子やと思うたさかいな。 諸星はんがそれに気づくまでにもうすこぉし時間がかかりますやろな」
「もう! 姉さんたちってば! 私、そんなに我儘で口が悪い?」
「これや。 少しは自覚しぃや。」
め、と睨み付ける豆乃にきょとんとなる巳恩
「まーったく! …でも、まぁ。そこが巳恩ちゃんの魅力なんやけどな」
「確かに優しい言葉使いになった巳恩ちゃんは想像つきまへんな」
「うん。 天地がひっくり返るかも」
「春佳ちゃんに真奈ちゃんまでいう?」
「堪忍どす。 巳恩ちゃんが好きな歌舞伎役者さんのサイン入りの簪、あげますよって」
「ぇ………!!」
「どうせ、毎年変わる簪どす。うちらのお古になってしまいますけどな。置屋のお母はんも巳恩ちゃんにならとゆうてくれましたさかい。 鈴乃屋のお師匠さんにもう預けてありますさかい」
「きゃー! 春佳ちゃんと真乃ちゃん大好き!」
「うちらも巳恩ちゃんが大好きどすぇ」
きゃあきゃあと盛り上がる子供が3名。
「―… やれやれ、ご飯食べどころじゃありまへんなあ」
「ほんまや。 でも春佳と真奈の良い息抜きになったなぁ」
「襟替えの話ですこぉし緊張してましたもんな」
鈴乃屋の主である藤代が苦笑する。
「藤代さん?」
「巳恩はなぁ。 ものごごろついた時から勉強ばかりやった。 厳はんが巳恩に何を求めていたのかは、私には分からへん事やし、知りたいとも思わん。 ただ、厳はんは私の命の恩人や。 そして、厳はんの無くなった母親は―… 源氏名を寿々乃というてな、藤代の血縁者で祇園でも天才の名を欲しいままにしていた舞妓芸妓やった。 巳恩は寿々乃の孫や。 最もウチラが厳はんと正式に顔を合わせたんは、厳はんが仏蘭西に行く前で、仏蘭西人の奥さんを連れてきた時や。 当然巳恩の生まれる前の話や」
「……」
「確か、ルナ、と云う名前やったな。 本当に綺麗なお人で、寿々乃はんによう似てて、びっくりしたもんや。 外人さんなのにちょっとしたしぐさが似ておってな。 最も性格は寿々乃のほうがきつかったが。」
「ミス巳恩には舞妓の血が流れていると」
「舞の基礎を教えたのはウチや。 けど、教える事なんて殆どありまへん。 耳から入る音で躰が動く。 これはDNAに組み込まれた血や。」
(Dr有間の母親が祇園の舞妓? しかも―… 鈴乃屋の血縁者、とは―…)
諸星は年頃の子供に戻っている巳恩を優しい瞳で見る。
(いつも、あの笑顔で居て欲しい。 あの楽しそうな顔こそが、ルナ姉の願った事)
「巳恩は可愛いやろ?」
「え?」
「京都に―… うちらと一緒の時だけ、子供に戻れるんや。 うちらも留学している天才少女ではなく、普通の子として接して、多少は年上になるが春佳と真奈と馬が合うみたいやから、必ず一緒につれだして、思いっきり遊ばせてる」
「それで…」
「黒澤はんがな。留学先では勉強ばかり。東都でも勉強ばかり、週に1日だけ、勉強をさせないで趣味に使える日を作ってはいるが、年頃の子と遊ぶ事ができないから、と」
「遊ぶ事ができない?」
「研究とかで同等の話ができる友人がいるのは聞いてますんや。 でも、鈴乃屋は、巳恩ちゃんをうちらの家族の一人として迎え入れたんどす。 巳恩ちゃんの無くなった祖母は―…寿々乃おばあさまは、藤代の縁戚にあたる人ですから、可笑しい事はありません」
「―… ミス・巳恩は、ここでは子供に戻れるようだ。 頭が良くて役に立たないのは切りすてる言い方しかしない姫君が」
「随分と苦労はしたんどすえ。 最初は、同等の話が出来ないというて、 さっさと帰ろうとするから、舞妓たちとも仲ようできなかったしなぁ」
「黒澤氏も巳恩ちゃんの後見人として、世界中どこにだしても見劣りをしないだけの教養も立ち振る舞いもおぼえさせたが、甘える事のできる人が少なすぎると」
「―…」
「ごはんたべ、というのは半分口実や。舞妓たちの息抜きでもあるが、巳恩の躰に溜まったガス抜きをさせてな、厳はんや黒澤はんの傍以外で子供に帰れる場所を作るため。」
(つまり、俺にはできない事を鈴乃屋がしてくれていると、いう事か)
「ほらほら! お喋りはいい加減にしいや。 お鍋の支度ができとるのに食べないで帰るんか?」
春乃が窘める
「あ…! せやせや!」
「ここの湯豆腐は美味しいもんな!」
「ごめんなさい、簪で理性が飛んでしまったわ」
「ほらほら、ご飯やご飯! たっぷりと用意はしてもろうたから思いっきり食べてええで。 湯豆腐の次は肉豆腐も頼んであるさかいな」
その声に慌てて席に着く3名。
「さ、遅くなったけど、頂きましょう。 巳恩ちゃんは猫舌やったな? 火傷をせえへんようにな」
「はい」
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