氷壁の姫 Act-13 慟哭
「ジンになれ、か ………」
(我ながら無茶苦茶な事を言ったわね)
小さな溜息を吐くと居間を片付けながらキッチンの棚に飾ってる南部鉄器の珈琲ミルを見て小さな溜息を吐く。
銀の飾りを施してあるミルで珈琲豆をひいて、ゆっくりとじっくりと淹れたブラックは口の肥えたジンが褒めてくれた。
ミルの中に残った珈琲豆の滓は酸化するので週に1度は丁寧に掃除をしていたのを思い出して分解をして布で汚れを取っていけばほんのりの珈琲の香りがする
ジンのいない今は無用の長物だが、巳恩には捨てる事が出来ない。
飾り棚にある珈琲カップの殆どはジン専用で自分用には同じデザインのティカップ。
カップを買う時はティカップと珈琲カップ。
「ジン… 貴方は、もう、居ない、のにっ…!!」
飼い主の慟哭を感じとったのか高く鳴く、リトルレディとカノンを宥めて、棚から毛布を取り出してくるまると、ぽすん、と大きなソファーに埋もれる様に座ってアルテミスから届けさせたボンボンを口に放り込む
強いアルコール度数のブランデーやウィスキー、挙句は日本オリジナルで日本酒とかを使ったボンボンチョコはジンの好物でウィスキーの肴替わりに用意してあるものだ。
「ジンー………」
(ちゃんと逃げられたかしら?)
(死体が発見されたというニュースはまだないし、白の組織の情報システムにも引っかからない。)
(ー…… 見つかったのはコルンとキャンティの遺体。 ベルモットはまだ見つかって無いけれど、おそらく生きてないだろう。)
赤井の事だ。
もし、ジンを見つけたら拷問同然の事をしかねない。
ならば、其なりにジンを護る手段が居る
FBIの中では屈指の切れ者である赤井が白の組織を知った今は、ジョディ・スターリングと違って下手な事はしない筈。
白の力を借りれば公安や警視庁のビルに停電をおこさせて機能停止させる事もできる。
けれど、それは最終手段。
彼等がジンに手出しを出来ない事を知っていればそれでいい。
「赤井秀一は志保の為に沖矢昴になった。役立たずの明美の所為で志保はっ!」
「巳恩… 赤井秀一が諸星大で、組織に潜入するためにお姉ちゃんに近づいたのは事実で、お姉ちゃんは馬鹿だったから諸星大と付き合ったのも事実。諸星大がお姉ちゃんの死の原因であった事は確かな事実。 でもー… お姉ちゃんを撃ったのはジンだったわ」
「志保!? ジンはFBIの狗を引き入れた構成員を罰しただけよ? ジンを恨むのはお門違いだわ」
「そうね。ジンは巳恩の後見人で義父でもあったわ」
「だから庇っているとでも?」
「いいえ。 お姉ちゃんが死んだのは、自分の行動の問題よ。 でもね、どんなに愚かで馬鹿な姉でも、たった一人の肉親だったのよ」
「肉親の情に流されるの?」
「巳恩だって、万一ジンが殺されたら泣くでしょう? それと同じよ」
「ジンは肉親の情に流されたりはしないわよ。」
「そうね。」
「情に流されるというならお父様の方ね。 お父様は、私の目の前でFBIに殺されたのよ! 志保なんか足元にも及ばない幹部で、外の世界では天才外科医。お父様が死んで困る患者は沢山いたけど、下端構成員の独り二人で誰が困るというの? 志保は明美の死亡する所を見てないでしょう」
「工藤君が最後を見届けてくれたわ。」
「工藤新一は虎の威を借りた狐に過ぎないわ。 阿笠さんの機材がなければ独りで解決できないでしょう」
「それでも、私の姉なのよ。」
「ならば、志保。 貴女と話す事はもう無いわ。 小さな研究室で一生を逐えなさい。」
「巳恩! お願い。 組織から出て、証人保護を受けて頂戴。 貴女が受けるなら私も受ける。 誰も知らない場所でも二人で暮らせばなんでもできるわ」
「出来ない相談ね。 志保は兎も角、私は有間厳の娘なのよ。 組織を潰すなら勝手にしなさい。でも、ジンに手出しをしたら、阿笠さんも工藤新一も探偵団の子供たちの命も保証しない。」
「巳恩!! 子供達に手を出さないで!」
「貴女はもう、私のパートナーじゃ無いわ。 2度と有間邸へ来ないで頂戴。」
「待って、巳恩!」
「ー……… 見知らぬ人に名前で呼ばれる義理は無いわ。帰らないと警察を呼ぶわ。 役立たずの日本警察だけど、子供1人なら補導出来る筈。ご両親に詫びに来させても良いのよ。灰原哀に親がいるなら」
「!!」
「宮野志保を選ぶのなら、彼らと縁を切る覚悟をなさい。 灰原哀を選ぶなら身体はそのままだけどFBIが嬉々としても新しい戸籍を作ってくれるわ。 」
「……」
「私のパートナーだった宮野志保は組織を裏切った時に死んだ。それだけの事よ。」
「もう、パートナーに戻れないというの?」
「解毒剤なんかの為にパートナーに戻る気はないわ。 ―… 宮野志保が全てを棄てるというのなら考慮するけど」
「ー…… 分かった、わ。」
あの日、私達の縁は切れた。
(解毒剤の精製でタッグを組めたのはたまたまよ)
其れだけの事なのだから…
「あ、セキュリティセットしないと…」
巳恩は思い出したように24時間セキュリティのアラームをセットした。
玄関の前、裏門の前、駐車場の中、そして電気系統などのスイッチがある前。
屋上に2ケ所、赤外線体熱感知録画カメラが置いてある。
場合に寄っては死なない程度の電流も流れて警備会社に自動で通報が行く。
「これでよし、と」
つい、と腕をさしだせば小さな羽音を立てて腕に止まる
鷹を止まらせたまま2階の部屋に入ると彼等はパタパタとベランダ近くにあつらえてある籠の上に止まる。
籠と言っても羽を広げて羽繕いができる程の高さと幅がある特注品。
水と餌も外付けの餌入れと水入れにたっぷりあるのを確認してパソコンに向かうとジョディが傷付けたテーブルのシーンを切り取って保存する。
赤井がどのように修復するかはわからないが、黙ってる程穏やかに終わらせる積もりは無い。
ジョディがテーブルに傷をつけている動画を白の組織の弁護士に送って器物損害の証明とする。
(ジンは昼頃に戻るだろう。 それまで休んでくれ)
そう言った赤井の瞳は悲しそうに見えた。
灰原哀の事を守っていた沖矢昴の時もそうだ。
ちょっとした買い物の時にもこの家の前を必ず一回り確認して、病院勤務の後でハーレーで帰る時もジャガーで帰る時も付かず離れず… 必ず私が家に入るまで守ってくれた。
(私が愛してるのはジンよ)
(あぁ… 知ってる)
深く引き込まれそうな緑の瞳。
(赤井秀一はFBI。 彼がFBIである限り―… 私は赦さない。 お父様は私の道標だった。そのお父様を殺したのはFBIなのだから)
(赤井は、志保の姉を殺す原因を作った。 志保に残された姉を奪ったのはジンじゃない。 ハニートラップを仕掛けたのは赤井の方)
(でも、まさか、志保と私が遠い縁戚関係だったとはね…)
志保は赤井秀一の従妹で、自分は従姪。
あまりにドラマチックな関係に笑う事もできない。
巳恩は机の中から睡眠薬と瓶を取り出すと一錠取り出して部屋に置いてある冷蔵庫から取り出したペットボトルの水で飲み下すとベッドの上に放り出しておいたキャミソールに着かえて出窓の雨戸を閉めてカーテンを引くとベッドに潜り込んだ
「おやすみなさい、ジン」
巳恩のその甘い囁き声を聞いたのはリトル・レディとカノンだけ、だった。
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