氷壁の姫 Act-14 記憶
安室透 こと、降谷零は深い溜息を付いた。

組織に潜入し、壊滅に尽力した実績は評価されたものの、目的の為に人を嚇した事は数知れず。
上の許可を取らない一般人の家の盗聴は訴えられたら公安の信用問題になるし、自分の不注意な行動で仲間が死んだことに対する逆恨みでの行き過ぎた行動は問題視された。

それしか方法が無かったといえばそれまでだが、赤井秀一がFBIと知りつつも組織での評価を上げる為に上に報告をせずに部下を動かした行為をした事は、少なからず人事査定に響いた。

「降格解雇処分にならないのは壊滅に尽力した評価があったからだ。」
「2ケ月の休養後、地方支部に新設する支部長として栄転するか、逮捕捜査権のない1年の減俸休暇か、警視庁の交通課1巡査としてへの移動か」

最終目的は達成したものの、過激すぎる行動をとった事で、名ばかりの栄転は降格か左遷のようなもの。
降谷の命に従って行動をした部下たちは懲罰処分で半年の減俸及び地方の警察署への移転が決まっている。
降谷は散々と部下たちを庇ったのだが、降谷の行き過ぎた行動を快く思わない上は、ならば全責任をとって、公開懲戒処分を受け入れるかと言ってきた。

降谷を信じた部下たちは懲罰処分を受け入れ、公安を去る事で、降谷を解雇しない事を願い出た。

数年で戻って来れれば良いが、戻る迄は自分の管轄となる地方外での事件には、何かあってもおいそれと首を出せなくなる
交通課にしても同じ。
単調な取り締まりは肌に合わない上に間違いなく、左遷されたと噂がたつ。
公安としての身分証を没収される休職は、復帰の時に適正試験と体力テストが科せられるだけだが、自分を快く思わない上が合格させるかどうかを考えれば論外である。
となると、懲罰処分を受け入れた部下たちの想いに報いる為にも地方への栄転を選ぶしかなかった

(この作戦で沢山の人の命が流れた。 エレーナ先生とそのご主人を殺した組織。エレーナ先生が大切にしていた二人のお嬢さんも一人は無くなり、一人は証人保護の名の元に宮野の名を棄てて日本から旅立って行った)

サクリ、と百合の花束を持って寂れた墓地の門をくぐる。

「―… コナンく―… いや、新一君か」

松葉杖を付いて、宮野家、と彫られた墓石に背を向けて帰ろうとしていた新一が苦笑する。

「安室さん… あ、今は降谷さん、でしたっけ。 お久しぶりです」
「ああ、久しぶり、だね。 君もお墓詣りかい?」
「はい。 明美さんの祥月命日なので」
「今日は祥月命日だったのか…。」

降谷は納得したように呟くと、持ってきた閼伽桶の水が線香に掛からないように丁寧に掛けて、線香に火をつけてそっと置くと、花束を添える。

「降谷さんが明美さんのお墓詣りって… 何か理由でも?」
「ん… まぁ、供えたいものがあって、ね」
「そうですか。じゃあ、僕はここで」
「あ、新一君」
「はい?」
「今日は暇かい?」
「えぇ。知り合いの祥月命日だからと、リハビリは無しにしてもらったので」
「だったら、頼みたい事があるんだが構わないかな?」
「いいですけど?」
「なら、お参りをする間、少し、待っててくれるかな」
「分かりました。 庫裏の方で待ってますから、ゆっくりとお話をしてきて下さい」
「ありがとう」

降谷は墓石の前にしゃがんで手を合わせる

(宮野明美。 組織では下っ端で、宮野博士夫婦の長女でありながら、役たたずの使い捨てと言われていた。 躰に流れるDNAを研究対象として使われるために組織の外で生きる事を許された娘)

"バーボン"であった頃、2〜3回仕事絡みで顔を合わせた。
明美はただ、必要な備品を届けにくるというだけの単調な仕事だった。

安室透として出会った以上は、宮野エレーナの事を話す事はできない。

(僕はエレーナ先生の事を話せなかった)

胸ポケットから1枚の写真立てを取り出す。

結婚式の記念写真でそこには幸せそのものの夫婦の写真。

"零君。 これはね、先生の宝物なの…"

そう言って、大切そうに見せてくれた写真。

"男の子なんだから泣いちゃダメよ"
"で、でもっ!"
"零君。 泣くのを止めたら先生の宝物を見せて上げる"
"たからもの?"

そしてこっそりと見せてくれた写真。

"先生、この人はだあれ?"
"先生のダーリン。 でも、 今ね、一寸の間別れて暮らしてるの。"
"別れて? 先生、さびしくない?"
"さびしいわ。 でもね、もう直き、一緒に暮らせるようになるはずなの。何時か、零君と出会ったらちゃんとご挨拶出来るかな?"
"うん!! もちろんだよ、先生"。
"零君は、いい子ね…"
"先生?"
"ごめんね、零君。 先生はもう、零君が喧嘩しても絆創膏をはってあげられないの"
"先生?"
"強く、賢く、優しい人になりなさい。―… いじめなんかに負けちゃダメよ?"
"先生、行っちゃいやだよ! 行かないで"
"バイバイ、零君……"

そして、小学校からいなくなったエレーナ先生。

先生が居なくなって暫くしてから保健室で見つけたこの写真を、僕は黙って持ち出した。

何時か、先生に会えたら渡すために。

(その先生はもう、いない。 だから―… せめて、君にこれを還そう)

セピアカラーに変色してしまった写真を、コンピューターの技術を駆使して色調再生し2枚プリントして、特殊加工の白い縁取りの写真立てで作った。
技術を駆使した加工で、雨にぬれても水滴が中に入って写真が濡れる事はない。

1枚を明美の為、1枚を志保の為、残ったセピアカラーの写真はエレーナが眠る墓地に返すため。

(君は俺を嫌ってた。 安室透は、君には嫌われるように、動いた。 先生のお嬢さんに組織は似合わないから。 けれど、その時には君は諸星大と出会ってしまっていた。 シェリーの足でまといになる男なんかと付き合うなと、俺は何度も忠告した)

"バーボンは、人を、愛した事がないでしょう?"

君はそういって悲しそうに笑った。
あの時、君はもう、アイツの正体を知っていたのだと、今ならわかる。

(あいつは此処へ来たのか? 君はもう、赦しているのか? アイツが―…ジン・デイジーを選んでも)

降谷は写真を墓石に飾って語り掛ける

(君の事だ。 大君が好きだから、大君には幸せになってほしいの、というだろうがな)

降谷は立ち上がる。

(いつか、志保さんが墓参りに来れる日が来る事を願うよ。 そうそう簡単には来れないだろうが、妹の事を知っている新一君が来てくれるなら寂しくはないだろう。)


庫裏に方へ行くと縁側を借りて座ってた新一が顔を上げる

「随分遅かったですね。 手を合わせるだけかと思ったんですけど」
「あぁ―… 色々と話があってね。 家まで送るよ。 その足だとまだ駅まで行くのに時間かかるだろう?」
「ありがとうございます。 実は結構疲れるんですよ。 坂道って」
「だろうね」

駐車場にあるのは愛車であるRX−7

「降谷さん。 ―… 明美さんと知り合いでしたか?」
「組織にいた時に少し、ね。」
「明美さんって… どんな人でした?」
「常に前を向いて、明るく振る舞ってたかな。 妹の身を案じて、妹の前では何時も明るい姉でいようとしていた。でも、陰に隠れて泣いていたな」
「そう、ですが」
「まぁ、僕からの供えたいものなんて喜ばないかもしれないだろうけどね」
「明美さんに供えたいものって…? 聞いても?」
「エレーナ先生から預かっていた写真さ。―… 正確にいえば、保健室に忘れて行った写真なんだけどね。 無断で持ちだしたともいうけどね。 それをコンピュータで色調修正してプリントしたものさ」

降谷はもう一つの写真を見せる

「これが、宮野の お母さんとお父さん、なんですね」
「赤井の母親なら写真位は持っているかもしれないな。」
「かもしれませんけど… でも、明美さんはきっと喜んでいると思います。 お母さんの事を知っている人が、大切にしていた写真を持ってきてくれたって。」
「だと、いいけどね。」

降谷は写真を返そうとした新一の手にそのまま渡すとゆっくりと歩き出す

「君から赤井に渡してくれ。 俺は赤井に会うとまた噛みついてしまうかもしれない。赤井なら志保さんに渡せるだろうからな。 証人保護を受けた以上、渡すのは難しいかもしれないが」
「降谷さん?」
「俺は、志保さんに嫌わている。恐らく、赤井よりもね」
「―… でも」
「僕は、2ケ月の長期休暇中です。 その間はポアロで安室透としてアルバイト生活をしますが、その後暫く―… 東都を離れる事になりましたから。 公安に戻ってくるのは2〜3年後になるでしょう。 戻れれば、ですけどね」
「それは」
「栄転、ではあるんですよ? 地方支部ですが、支部長としてですから、地方のパイオニアとして捜査方法とか作りなおす事もできる筈です」
「―… 警視庁への移動とかの選択肢はなかったんですか?」
「捜査一課なら考慮したんですが交通課、と言われまして」
「降谷さん程の人が地方なんておかしいですよ!」
「まぁ… 僕の評価なんてそんなもんですよ。 先輩が死んだのは僕の落ち着きのない行動の所為だったのに、赤井の所為にして自分に非はないと思い込んで。組織壊滅のために志保さんを 僕の領域に引き込もうとした。 ベルモットの事も脅して赤井を殺す手伝いをさせていた。 完全に私怨が混じってました。 組織中枢に食い込むために赤井を捕まえようと、上の許可なく部下たちを動かした」
「でも」
「僕が地方支部に移転すれば、部下たちは減俸処分と地方への移動だけで済むんです」
「―… そう、ですか」
「僕の右腕だったと云える風見は、上の許可なく機密情報を僕に流してくれてました。 減俸処分に加えて降格処分となり、一巡査となって所轄預かりとなってしまった。 僕には彼等に対して責任があるんです。」

新一の言葉に降谷は苦笑する。

「僕は、赤井より酷い人間なんですよ。地方で頭を冷やすのもいいかもしれません。組織壊滅掃討作戦に参加出来ただけ報われー…… すいません、新一君は参加出来なかったんでしたね」

降谷は眉を下げる。

「関係者とはいえ、未成年で、逮捕権も捜査権も持たない俺が参加出来るとは思ってませんよ。黒羽だって、作戦前に拘束され、動きを抑制させる為、GPSを埋め込まれました。」
「そうだったね。」
「降谷さん」
「本心は白の組織の全貌も解明したかった。 けど、彼等は黒の組織とは違う。ただ、専門知識の集団です。 僕レベルの人間は沢山居ると―… 有間巳恩は言ってました」
「有間先生、が」
「先生、と?」
「あー… 呼び捨てると、母さんと父さんのダブルで説教食らうんで。 それに、彼女が居なければ、俺はコナンから新一に戻れなかったのも事実ですし…」
「だが、新一君も―… 蘭さんも、有間巳恩に好意がある訳じゃないだろう? 特に蘭さんは…」
「そう、ですね。」

新一は溜息を吐く。

「けど、彼女が言った事は嘘じゃない。 蘭は強い。 俺もそれは認めます。 でも、力に溺れてはいけない。 武力に頼っていたら成長しない。 蘭は、元太たちを護るため、友人が傷付いたらその報復のように怒りに任せて人を傷付けて来た。 その事実を受け止めないと蘭の人生はここで止まってしまう。」
「―… 君も、留年する羽目になっただろう?」
「それは、自業自得かもしれません。 元々高校に入ってから出席日数ギリギリで、事件と聞いたら授業さぼって首突っ込んで、テストだけはクラス5番以内と保ってきていた。探偵として事件解決する方が、勉強なんかより大切だと思ってた」
「―…」
「ここは日本で、有間さんや宮野のように海外で飛び級して正式に高校大学を卒業している訳じゃない。 一足飛びに探偵になりたかったなら、アメリカでもイギリスにでも留学してさっさと飛び級でハイスクールやカレッジを卒業すればよかったんです」
「小さくなったことを後悔してるのかい?」
「自分の注意力を過信していた事を思い知りました。 沢山の人が助けてくれて、阿笠博士は俺の所為で発明家としての研究に監査が入る様になった。俺は幸い蘭のように裁判沙汰にはなりませんでしたが、事件を解決するためという大義名分のもと、沢山の人をキック力増強シューズで倒して―… 中には障害が残る犯人も居ると… 」
「それは仕方ない事だ。 君の躰は小さかった。武器は必要だった筈だ」
「かも、しれません。 でも新一に戻って、 事件と聞いて躰が動いた時、スケボーとキック力増強シューズを探したんです。 犯人追跡眼鏡にGPSに麻酔銃。」
「―…」
「バイクなら兎も角、あの靴さえあればって思ったんです。麻酔銃で力奪ってボール当てたら簡単にって」
「それは」
「だから、足が思う様に動かないのは戒めでいいんです。… 蘭は、 その事に自分で気がつかなきゃいけない。」
「でも、蘭さんは悪い子じゃないだろう」
「安室さー… 降谷さん。 蘭は、自分が強いのは当然で、犯人逮捕に貢献したのに何が悪いと、そればっかりなんです。有間さんの鷹を傷付け―…結果死んでしまっても、子供達が襲われてると思ったから守ろうとしたのに何が悪いの、ときょとんとしてました。 俺は、鷹に飼われてる鷹であるという鈴に気が付いてたのに蘭を止めなかった。 誤りもしなかった。 それを訴えられて逆恨みするのは蘭が間違ってる。」
「でも、鷹の場合は人とは違うから」
「降谷さん。 鷹も生きているでしょう? 有間さんは、ちゃんと躾けて可愛がっていたんです。 動物だから傷付けていい、なんて法はありませんし、ポアロにだって時折遊びに来る猫の大尉がいるでしょう? 大尉が、野良猫で人を襲うかもって思われて傷付けられたら、梓さんも怒るでしょう? 動物だからと―… そういう考えている限り、有間先生は、降谷さんと歩み寄らないと思いますよ」
「―…そう、だね。」
「最も僕がいう迄もなく、降谷さんは気づいているんでしょうけどね。」
「ぇ?」
「組織を知っている僕も蘭も―… 降谷さんも、有間先生を犯罪者として見ている。」
「!」
「昨日、赤井さんが家にきて、母さんにジンになる変装を習ってました」
「ジン!?」
「ジンの姿なら巳恩の傍にいれるから。 ジンの姿なら受け入れてもらえるから。 巳恩の傍に居れるのがジンしかいないなら赤井秀一を棄ててジンになる、と」
「そう、か」
「俺にはそこまでの覚悟はできない。もし、宮野に工藤新一をすてて、赤井秀一の姿でいるなら、沖矢昴の姿でいるなら傍にいてもいい、と言われてたとして、俺は宮野をパートナーとして傍にいて欲しいけれど、工藤新一を棄てる事はできませんから。」
「新一君は志保さんの事が好き、なのかい?」
「相棒として、ホームズのワトソンとして傍にいて欲しいと思います。でも宮野はワトソンじゃない。赤井さんにこっぴどく怒られました もの凄い殺気で」
「赤井が」
「親の名前で探偵としてちやほやされても探偵じゃありませんから。」
「そうか」
「とか、恰好つけてますけど、宮野のような科学的知識のある相棒なんてそうそういませんからね」

新一は大袈裟な溜息を吐く。

「ともあれ、俺は赤井さんのように根性もないし、まだまだ子供って事です。 俺にはあの状態の蘭を見捨てて、工藤新一の名前を棄てる事はできないし、赤井さんのように体術に優れてる訳もありませんから」
「ハハッ。 違いないね」

RX−7が工藤邸の前でゆっくりと止まる。

「送って下さってありがとうございました。 珈琲でも飲んでいきませんか? 今日は母さんも父さんもいますからきっと喜びますよ」
「気持ちだけ、貰っておくよ。まだ一つー… 用があってね」
「そうですか」
「僕は当分ポアロでアルバイトをしてるから―…」
「分かりました。 その時は安室さんと呼ばせていただきます」
「そうしてくれると助かるよ」

新一は、軽く頭を下げて家に入っていった。
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