氷壁の姫 Act-17 アル・アマーニ 後編
(ー………)

録画中の画面を見ながら降谷は少し眉を寄せた。

ミーハー群のざわめきで集音装置から聞こえる声は切れ切れ。
ただ、ホテルとスパに沖野ヨーコの撮影が入って居る事。
アルテミスも撮影対象で巳恩がかなり気を悪くしているらしいのは解った。

(何をやっているんだろうな、俺は)

ハンドルの上に腕をおいて顎を乗せてため息を吐く

(停職処分の今の俺がストーカーの様に後追って、違法行為の撮影をする事はバレたら今度こそ懲戒免職だというのに、真冬の最中でも凛として咲き誇る真紅の薔薇を追っている)
(ホテルの別館にはスパ・エステが入って居る。 普段の彼女なら可愛がっている鷹を部屋に置いたら直ぐにスパに行くんだろうがー……)

有間博士の講義は高校の課外学習として救急治療として聞いた。
進学校で東都内外問わず一流の大学へ合格率を誇る為に、AED位は使えるようになれと全学年対象。
年1回だが3回も受講すれば使い方のイロハは覚える。
けれど法律家、警察官、医療関係を進路で提出した生徒は3回講義必至で2回目3回目は金曜土曜で2連続。
だったが他の生徒は1日目だけが必至で残り2日は任意だった。
最も人気のある口座ではなかったため、2回目3回目の口座は進路で受講しなくてはならない生徒しかいなかった。
僕は1年2年はボクシングの合宿に重なっていけなかった。
中学の時に消防庁の<救命治療の基礎知識>講座を受けていたため1回目も必要ない位だったが成績に反映されるので諦めて受講した。
3年の時は進路的に必須だったために合宿を途中参加にして貰った。
講師は1日目は東都消防庁の上級救命士だったが2日目と3日目は天才外科医と異名を持つ有間博士の多忙なスケジュールを3年越しで確保(緊急手術が入ったら代理の医師になるという条件の元で)したという事もあって、僕はそんな外科医の鼻を明かしてやろうと嬉々として最前列の席を陣取った。
地震の時の対応、溺れた人への呼吸、熱射病に過呼吸、経口補水液の作り方にキャンプ等で骨折時の応急手当て。
資格が無くても出来る最善の事。

1回目
1年から3年の合同講座だったため、保健体育の授業で受けた知識の延長のようなものだったために退屈この上もない時間だった。
けれど、午後から受講の講義は3年生は受講場所が変わった。
触らせては貰えなかったが危険物管理1級所持の上級救命士が実際に使われた事があるという、身近にある材料で爆発物(中身はカラなので暴発とかはしない)で事故が起こったと想定して緊急治療。
人形や身の回りの物を使っての実技はかなり参考になった。

2日目
天才外科医と言われる博士が講義室に入ってきて、学校から博士の紹介があり、受講開始の挨拶の後、落ち着かずにわいわいと騒めく学生に向かって、雷が落ちた。

「そこ! 私語は休憩時間にしろ! 救急治療は遊びじゃないぞ!  3−Aの生徒と3−Cのお前! 机の下でスマホを使うなら今すぐ出て行け! タブレットやスマホの電源は落とすように学校から指示があった筈だ!」

教室の隅まで響くアルトの声にピキーンと固まる生徒。

「だが、お前達はまだ子供。 今からカッキリ3分やる。 消音モードでつけてる生徒は今すぐ落とせ! 落としてる生徒は念のため確認してもいい。 次に目についたら、連帯責任で全員でグランド10週走らせる! それとも全員のを没収して学校に預けるか!?」

ワタワタと確認する生徒。
俺は最初から落としていたし、私語をする気もなかったのでどうでもいい事だったが連帯責任は困るので確認をした。
警察を目指していた僕にはどれも知ってる事だったけど、博士の質問に張り切って答えた僕の知識は細かい所が間違っていて、そのミスは医師としては致命傷にもなりかねない事でショックを受けた。
それでも博士は、僕の年でそこまで知っているのは頼もしい、と誉めてくれた。
スマホに気を取られていたら聞き逃す―…
それ程迄に密度の濃い講座で、俺も他の連中も博士の講義に熱中してテキストを見て必死に書き込む生徒が続出した。
そして、博士は必死にメモを取る生徒のスピードに合わせて同じ説明をしたり話のスピードを速くしたり遅くしたり―… 見事としか言えない講義だった。
講義終了後、30分の質問コーナーが設けられていたが、1時間に延長する程、生徒の態度が変わっていた

3日目
博士が勤務している日本絆総合病院を見せて貰った。
8時半に学校に集合で9時に学校手配のバスで出発だったが、8時には生徒が集まり、引率の教員やバス会社が目を丸くした程だった。
バスでの移動中、私語はなく、テキストを見て予習復習で聞きあう仲間。
俺も予習はバッチリだったが、クラスの連中と一緒になって話をした。
病院専用の駐車場に付く時は見事にスマホの電源を落として確認し合ってリュックやショルダーにしまう。

駐車場には病院の事務長が出迎えにきていた。

「博士は?」
「あぁ、すまないね。 産科で入院している患者さんが2日程早く明け方から陣痛が始まって、子供好きな博士はその夫婦を見舞っているんだ。ご主人も赤ちゃんの出産にギリギリで立ち合いが間に合ってね。」
「赤ちゃん? 博士は産科も診るんですか?」
「有間博士は専門は脳神経外科と心臓外科。けれど、眼科も内科も小児外科もオールマイティで診る事が出来るよ。 昨日、講義の後で病院に寄られて帰られる間際に急患が運び込まれてそのまま泊まり込みだ」
「って 夜勤?」
「あぁ。だが、君達が気にする事はないよ。3時には休まれたからね」

事務長がロビーに入るとカツカツと足早に姿を見せる博士。

「すまない。遅くなったな」
「博士赤ちゃんは?」
「あぁ、母子供に元気だよ。 ママのおっぱいをたっぷり貰ってオムツを替えて元気よく泣いて、ご機嫌で寝ているよ」
「赤ちゃんは泣くのが仕事?」
「あぁ。 パパとママからたっぷりの愛情とお腹一杯のミルクを貰って、泣いて眠るのが仕事だよ」

にこにこと笑って答える博士。

「さて! 少し時間が押してしまったが講義にはいろうか」
「はい! 宜しくお願いします!」

全員でいうと病院の患者の迷惑になるからと、代表で俺がいえと言う事にバスの中で決まってしまったためにぺこりと頭を下げる
他の奴等はただ、黙って頭を下げる。

「―… ほぉー…? 昨日の始まりとはずいぶん違うな。では遠慮はせずに済みそうだ。まずはこの病院の概要を説明しよう。」

大手総合病院、離島の病院、東都消防庁、医学学会、赤十字、ユニセフ、血液銀行、医大、警視庁に警察庁、監察医、ボランティアや介護施設団体にまでホットラインの直通の連絡網を持つ、沢山のネットワークー…それこそ病院が誇る”絆”で夜間対応のスタッフも常駐している。

「病院にはこれだけの設備がある。だが、実際事故現場には設備は無い。代用出来るものを探せ。包帯が無ければスカーフやハンカチを。副え木が無ければなりそうな物を。」

学校へ通う事の出来ない子供達の院内学級で先生の代わりに読み聞かせやら算数やら教える実習もあったが、知能遅れの子供や喘息の子供の体調を見つつ教える、というのは想像以上に難しい事だった
キラキラした目で元気になって学校に行くのが夢だと言った子供達。
病院の食事も栄養士が考えるが、中学生までの子供達と独りで入院を余儀なくなされたシニアの病人には3時に小さなおやつを出すし、病院を退院した元患者やその家族が恩返しとばかりに汚れ物の洗濯とかに顔を見せる。
残念ながら高校生以上と家族の見舞いがあるシニアには出ないがそれはまぁ何となく納得できる
カーテンで仕切られているがICUの前も通った
中央手術室には入れなかったが関係者用の監視室から準備中の部屋を僅か数分見せて貰った。
そして、新生児室。
見学した日の明け方に産まれたばかりの赤ん坊がいて、まだしわくちゃの顔の赤ん坊が元気良く泣く姿と、赤ん坊をあやす幸せそうな若い両親の姿を特別な好意で見せて貰った時は、貰い泣きした生徒が出た程だった。

それほどの講義だった。

3回講座の一番最後は講堂でフリーな会話が20分。
看護師となった人達がナイチンゲール誓書を読み、戴帽式をする神聖な場所。
カトリックの家族が祈りをささげる場所でもあるが神にすがるしかない家族の為に24時間開放されている。
患者や手術内容を含めてプライバシー侵害にならなければなんでも答えるという自由な時間。
感想としてもっと見たかった事、知りたかった事すべて
薬剤師になるのにお勧めの大学、弁護士になる為にお勧めの大学
有間博士は笑って答えてくれた。

「誰にでも、博士の右腕か左腕になって役にたてるようになるという事ですか?」
「勿論だよ。 誰にでもチャンスは有る。ここに居る全ての生徒の中に、違う学校の生徒にも私を抜く医師が出て来る可能性が有る。 だが、降谷君の熱血型の気性では、医者より警察官の方がいいだろうね。 どちらかといえば機動隊、警視庁警備局警備課の方が向いている。」
「警視庁警備局…」
「通称は”公安” 国家安全保障局、と、呼ぶ連中もいる。 君はこれ、と思い込んだら猪突猛進の性格のようだ。 自ら折れるという事をしないといずれ大火傷をおう。 だが、その火傷は私には治せないからよく考えて行動する事をしたまえ」
「―っ…! は、はい…」
「 そして、一つだけ訂正をしておこう」
「訂正?」
「私には、娘がいてね。その娘が先日、おっきくなったら医者になってお父様の片腕になる、と言ってくれたんだ。だから私の片腕はもう塞がってる。空いて居るのは娘が選ばなかった腕だけだよ」
「博士にそんな大きな娘さんがいるんですか?」
「まだ4歳だよ。 と、言っても6歳になったら海外に留学させて飛び級で進学させる予定だが」
「6歳で留学って… 博士、親馬鹿ですか?」
「かもしれないな。 娘は8ケ月の未熟児で産まれて、保育器に入ってたから何時もハラハラしていてね。私はカトリックではないが、保育器から出る迄、無事に健康の育つようにといつも願っていた。  医師の特権をフルに使って、面会時間外にも会いに行った。 娘に限らず保育器でがんばる赤ん坊は、誰よりも強いアスリートだよ。 ICUの患者もしかり。 君達も大人になって、好きな人が出来て、子供が産まれたら解る事だ。」
「その娘さんは?」
「今はもう保育器にはいってたのが信じられない位でね。可也気性の強い、負けず嫌いのお姫様だよ。」
「うっわ。 小さいのに女王様?」
「そうだな。 うかうかしてると鞭とか使うようになるかもしれない。JRHに就職する時は気を付けろよ?」

生徒の笑いを取った博士のウィンクをして頬を緩める顔が、エレーナ先生がご主人やお嬢さんの話をしてくれた時のふわりとした優しさと重なった。
講義中にふざけた生徒を怒鳴り付け、退出しろと言いはなった姿とは違う。
今ならわかる。
命は弄ぶものじゃない。

有間巳恩はあのジンを後見として育ったが、命の大切さを知っている。
ジンが全てと言い切ったのは嘘じゃ無いが、遊びで命を弄ぶ事はしなかった。
現にジン・デイジーが手を染めたという証言も証拠も出てこなかった。

博士の講義で、僕はただ、警察官になるという進路に機動隊と警視庁警備局を付け加えた。
博士に憧れ、著書を買って、読みふけった。
専門用語はとても難しかったけど、必要な知識だった。
雑誌やTVの収録で娘さんとのツーショットを見て、歳の差を考えず、惹かれてしまった。
この子はIQが高く生まれて日本で教育するには不自由だから、留学を考えていると。
日本の教育ではこの子の知識を伸ばせないから、とそう言っていた。
飛び級制度がない―… というか、浸透していない日本ではギフティで不自由している子供達は多い。
いつかはそんな子供達の才能の伸ばす学校の建設したいと―… そう言っていた。
その夢は博士が殺された事で潰えてしまったように思えたが、数年前に飛び級制度のある絆総合学園が開校された。

あの学校は博士の遺志を継いだだけかが繋げた学園。
博士の描いた理想を誰かが継いだ。
その博士の血を引く娘。
エレーナ先生に抱いた感情とは全く違う感情。
博士と同じ黒髪に黒曜石の様に輝く瞳。

博士が殺され、僕の警視庁警備局への入庁希望は確固足るものになった。
エレーナ先生が退職してから始めたテニスは中学の時に肩を痛めて出来なくなったけど、道が途切れたわけじゃ無い。
大切な人を守る力をつける為に、リハビリを兼ねて始めたボクシングは警察学校に入ってからも続けていた。
プロボクサーになれとスカウトされたけれど、大学を出て直ぐに警察学校に入った。
首席ではなかったけど、必須科目はほぼトップでの卒業。
警察学校の先輩で既に公安に所属していた先輩の推薦で警備局の巡査として入庁した。

降谷はジャガーがビデオから消えて更に数分待ってから、小さく伸びをするとゆっくりと跡を追った。
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