氷壁の姫 Act-19 スケール
「降矢君? 俺に弟子入りしていたお前が、犯罪者を庇うのか?」
「あむろん ………? どうして此処がー…… と、聞くのは無駄かしらね」

毛利が振り上げた手を止めて巳恩の前に立ちふさがる降谷。

「余計なお世話と思ったんですが、貴方の棒術、可也の技術とお見受けしました。誰かが止めなくては、毛利さんが返り討ちに会うかと思いまして。それから、その <あむろん> という呼び方はやめて下さい。僕の名前は降谷です。源氏名の安室透で呼ばれても構いませんが」
「ならばゼロ、と呼んであげる」
「ー…… ゼロ、ですか」
「透けてみてるというのは何もないという事 だからゼロ。 子供がつける渾名なんてそんなもの、でしょう? 私には貴方を名前で呼ぶ価値は無いもの。」
「相変わらず手厳しいお嬢さんですね。 そう尖らなくても今の僕は休職中ですから何の権利もありませんよ。」

降谷は苦笑すると両手を上げて降参の意思を示す。

「それから毛利先生ー…。今は、僕は貴方の弟子では無いので、毛利さんとお呼びしますが、彼女は犯罪者ではありません。 名誉毀損で訴えられたら、負けるのは毛利さんですよ。」
「……」

巳恩に好かれてないのは組織にいた時からだ。
白の組織。
蜘蛛の糸の様に、陽炎のようなその片鱗を掴んだ段階で公安の局長は降谷に情報収集を禁止した。
だが、禁止されたから、はい解りました、と止める降谷ではない。
上層部への報告はせず、信用している数名の信頼できる部下に命じて、上には極秘で個人的に調査を続けた。

ひっそりと白の組織の事を調査を続けていた数日後、潜入捜査官として降谷の個人情報が安室透の暮らすマンションに送られてきた。
差出人名はNOC
封筒に入っていたのは安室透こと降谷零の個人情報。
小学校から中学・高校・大学。
警察学校に至るまでの写真と経歴に交遊関係。
黒の組織での経歴。
切手が貼ってなかった事からマンションのセキュリティに侵入して出入り業者の画像をチェックしたが、ポストに投函した外部関係者は顔も身元も確りしている郵便局員と宅急便、マンションの掃除を契約している業者程度。
怪しいと思われる画像は無かった。
ならば住民のだれか、なのかと公安の部下に探らせたが戸籍に可笑しい面を持つ住人は独りもおらず、反対に怪しい人物がマンションの様子を探っていると近隣の住民から通報された。
そして、公安局長と局長補佐から再度呼びだされた。
安室透に送られたのよりもっと詳しい微細な情報を見せられて、これ以上突っ走るなら潜入捜査を止めて即日懲戒解雇処分にすると言われた。
捜査権利も逮捕権も全て失い、公安にいたという情報も全て抹消され、銃の貸与もされず、指紋認証も消され、公安の入り口へ入る事すら許されない一般庶民に戻る。
部下との縁も切れ、無理に情報を引き出そうものなら自分の手が後ろに回り、部下も情報漏えいの罪に問われる。
公安の情報網が使えないのでは太刀打ちできない。

有間巳恩のバックに白の組織と京都の祇園が付いているらしいという噂をやっと手にした矢先の出来事だった。
巳恩個人は白の組織の件を自ら話すような事は一切せず、また京都 の藤代一族との繋がりがある事も自慢しなかった。
早逝した天才外科医有間厳がただ一人残した遺児であるという事のみ。
黒の組織でほぼ無条件に等しいバックアップでスイスに留学して公式的には14で医学博士号を取得。
複数の言語を操り、父親が立てたJRHに研修医として勤務する傍ら、あちらこちらの高校や中学に顔を出して教育方針や授業を聴講し、父親が計画中だった全国規模の学園の建設と教育機関での認可を取る為に走り回っていた。

日本で初めての小学校からの飛び級制度のある学園。
小学校と中学校は授業料は全額免除。。
養護施設や孤児院で義務教育が精一杯で高校に行きたくても行けない肩身の狭い子供達に無償で高校まで学べる教育機関を考えていたらしいが高校の授業料免除は認可が下りなかった。
遠距離通学家庭の為の学生寮を完備。
分野はまだ少ないが医療系と法律系の大学院まで。
早々簡単に建設できる事業ではない。

降谷は、巳恩の描いているスケールの大きさに早々に匙を投げる事にした。

白の組織がする事は、黒の組織がする事とは全く違う。
ギフティの子供達をもつ親は日本にもいる。
日本の学校は飛び級を奨励している学校も少なく、ギフティの子供達を偏見でみる学校も多い。
孤児院の子供達が偏見の目で見られて差別を受けるのも見られる光景
裕福であろうと裕福でなくても、中学卒業までの学費も試験費用も無い。
テキスト代も無償にする話が出たが、タダでもらえるとなると大切にしない子供達が出る可能性もあるので本やノートは購買で買い求めるシステムを作った。
だが、孤児院暮らしや両親が遠方の子には設備の整った寮を勧め、寮の費用は徴収はしない代わりに共用部分の清掃の手伝いをする。
中学卒業までは無償で教育を受ける事が出来る為に、余裕のある家庭の父兄が寮での生活の足しにしてくれと寄付をする事もある。
そんな学園を目の前で見たのだ。
高校と大学は無償ではないが、特待生や奨学金制度を設け、学園の紹介で様々なバイトが認められる。
有間巳恩の名前は学校関係者として乗らないが、変わりに京都の藤代仁人が理事長として就任していた。
今はまだ赤字続きだが、学園の近くは政府の意向で開発が進み、大手のデパートが建設を始めており付随して高層マンションの建設が始まっている。
新幹線が停まる駅の計画もあり、数年もせずに無償の教育設備がある開発地区として世界規模の都市になるだろう。

”巳恩の考える事は私には到底太刀打ちできるものじゃないの。 そこらの人間ができる事じゃない事を巳恩はしようとしているのよ。探りやなんだからそれ位は知っているのでしょう?”

極秘裁判にかけられる前に降谷は宮野志保と面会をした。
根回しに根回しをして、世界的に有名な推理作家や女優としてのコネを持ってしても、1分たりとも面会は赦されなかった為に、下げたくもない頭をFBIに下げ、降谷に許されたのは10分程度。
だが、阿笠や工藤夫妻を同行申請は許されなかった事を思えば自分一人だけでも破格の扱いといえるだろう。

"何故、そこまで有間巳恩を庇うんです?"
"安室さんは何故そこまで巳恩を嫌うの?"
"今は降谷です"
"私には安室透よ。 降谷零なんて男は知らないわ"
"宮野さん―…"
"覚えておいて。 たとえどのような結果になろうと、死罪になろうとも、無期になろうとも、巳恩の事を敵とみなす連中を私は認めない。 ライバルで研究仲間で親友とも言える巳恩がいたから、私を認めてくれた有間博士がいたから、私は天才科学者と言われる位までの研究を続ける事ができて成果が出せたの"
"ですが"
"私は巳恩を知っているもの。 彼女が父親の名に負けないようにどれ程努力していたのか。 父親の名前に負けるような子じゃないもの。 ただ、ボクの国を守る為、だけに動いていたNOCなんかに巳恩を責める権利なんて小指の先程もないわ"
"―…! 俺が間違っていると"
"自分の行動が原因で仲間の死の原因を作ったのはバーボン、貴方でしょ? それをFBIの所為にしてうらみつらみで脱線した安室透が正義感を振り回すなんておかしいわ"
"先輩が死んだのは俺の所為だと"
"落ち着きのある行動をしていたら死ななかった可能性もあった筈。"
”あなたのお姉さんを利用したのは赤井ですよ? 貴方は恨まないんですか? 殺したいと思わないのですか?”
”殺したいと思ったわ。 でも、彼は沖矢昴として私を護ってくれた。 彼がお姉ちゃんの死に関係があったのは事実だけど、お姉ちゃんを殺したのは赤井さんじゃない。 私が恨み殺してもお姉ちゃんは還って来ない。”
"っ―!!"

短いと文句を言った10分だったが、最後は何も言えなくなって、10分にセットされたタイマーのベルがなって、ハッと意識が戻った時には宮野志保はさっさと面会室から出て行ったあと、だった。

組織がほぼ壊滅した後、一般家庭への盗聴盗撮や上の許可を得ない行為等で公安がパッシングされ、自分を含めた多数の部下が同僚が降格・移動・移籍処分を受けた。
その責めはこれから自分が背負って生きなくてはならない。
白の組織は、世界をひっくり返すだけの事が出来るネットワークなのだと、降谷は思い知らされた。
アリアドネーの糸のようにどこまで続くか予測できない迷宮に棚引く小さな情報。
公安の情報網を持ってしても、幾重にもロックされたPCは開かなかった。
組織の一員であった、宮野志保が安易にハッキングをすれば情報は水泡に帰すと忠告をしたが、ハッキングに自信のあったITのスペシャリストはその言葉を笑い飛ばした。
自信満々で、押収したPCにハッキングを始めたものの、30秒もせずに警報が鳴り響き、内臓されていたと思われる爆破装置が起動。
部屋中に燃え広がり捜査官も大怪我をして情報を見る事は叶わなくなった。

(あの極秘情報を手にいれていたら、世界中に暗躍する犯罪者の情報がもっと安易に手に入れられたはず)

「言っておくけど、私は毛利蘭じゃ無いんだから、怪我なんかさせないわ。 毛利小五郎が勢い余って打ち身や捻挫は有り得るけど。 さっきの突きも寸止めで収めたのよ? 」
「―… それは失礼を。ですが、あの動きは趣味とは思えなかったので」

降谷は自分を睨み付けてきた巳恩の言葉に意識を引き戻す。

「寸止め、だと? 下手なだけじゃ……」
「 藤代の恭兄さんは、殺陣も得意で剣道と棒術を幼少の時から習っていたの。 役者さんに殺陣を教える事が出来る腕前よ。だから教えて貰ったの。 でも私のは歌舞伎の舞台でみた棒術が面白そうだったから、という理由で教えて貰った事だから、子供の児戯に等しいわ。 」
「藤代一家は文武両道で多才な方々でいらっしゃる」
「藤代は別格でいいと思うわ。何しろ祇園の総取締まりのようなもの。」
「確かに、祇園で情報収集はかなり骨がおれました。古く遡れば其処らの財閥なんて赤子のような名士ですね。あの大岡財閥とも繋がりが有る。」
「……藤代はただの旧家じゃねぇのか」
「藤代仁人氏は日本舞踊の大家で藤代流の宗家で梨園とも密接な付き合いをしています。このお嬢さんは仁人氏が末っ子と呼んで可愛がってる人ですよ」
「私にとっては母方の縁戚にすぎないわ。私にとって一番大切なものは藤代じゃないもの」
「そうでしたね」

安室は小さな溜息を付く。

「ま、なんにせよ、毛利小五朗を止めてくれた事は礼を言っておくわ。私の警備棒は小さいけれど芯は強化鉄なのよ。 本気で打ったら大怪我するもの」
「鉄、ですか? ―… ならば止めて正解だったようですね」
「そうね。中の玉鋼は刀匠に鍛えて貰ったのよ。」

目を丸くした降谷にクスリ、と笑う巳恩

「あの、有間さん?」

タイミングを見計らってヨーコが声をかける。

「あら、私とした事が。 彼に気を取られてしまってお相手をせずに申し訳ない事をしたわ」
「それはいいの。」

ヨーコは小さく笑った。

「今度は、一般市民として―… お店にきてもいいかしら? 勿論、お店が混んでたら並ぶし、アルテミスが食べられなくてもいいの。 お友達やTV局のスタッフを誘って美味しいケーキを食べたいだけ」
「勿論、歓迎するわ。スマホでの撮影は料理と、お友達同士の記念撮影だけで良ければ」
「それで十分。 今日の撮影の事は、 その、毛利さんの事も含めて、スタッフにもオフレコを徹底させるから。」
「―…」

ヨーコの言葉に巳恩は黙って撮影スタッフに視線を走らせる。
コクコクと録画装置が入ってないカメラを見せて首を縦にふるスタッフ。

「信じるわ。沖野さん。 ―… アルテミスは、貴女を常連として遇します。」
「常連」
「アイドルではなくて、一個人として、いつでもいらして頂戴。 同行が毛利さんたちの場合は入店をお断りするかもだけど」
「分かったわ。 毛利さんには貴女にちゃんと謝罪して―… 非を認めるまで、彼にはコンサートチケットは送らない」
「ヨ、ヨーコちゃん!?」

まるで1トンの鉄を頭上に落とされたような顔をする毛利。

「毛利さん。一度ペットを飼ってみれば、有間さんの気持ちが、有間さんが怒ったわけが、解ります。 それが分からないなら、探偵は止めた方がいいと、思います」
「―… ペットなんざ英理ントコにいけば猫が」
「ならば奥さんに聞いてみて下さい。 そのペットが殺された―… 近所の子供達をひっかいたとか野良猫と思ったからという些細な理由でけられたりして大怪我したらどう思うか」
「…」

毛利は黙り込んだ。

「さ、撤収しましょ! ホテル編の撮影を1から練りなおさなきゃ!」

ヨーコは明るく笑ってスタッフと賑やかにレストランフロアから去って行った。
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