氷壁の姫 Act-20 渾名
ヨーコ達がガヤガヤと賑やかには去った後は、アルテミスのスタッフと、巳恩、そして降谷に茫然自失状態で経たり込んでいる小五郎が残った。
「じゃあ、俺は毛利さんを連れて此処で消えます。 君ー… 有間さんも俺や毛利さんの顔なんか見たくも無いでしょうし」
「あむろん?」
「だから、あむろんじゃなくてー…… 」
「ゼロ?」
「ー…… いえ、あむろんでいいです。これまで散々呼ばれた渾名を変えて、名前で呼ばれたら反対に心臓に悪い」
「そう? ならばゼロ、と呼ぶのも止めてあげる。 」
「ゼロよりはあむろんの方がマシですね。 ー…… それは兎も角、いいんですか、ホテルに居ても?」
「病院の方から少し休めといわれたのよ。これでも有給があるの。 だから、リトルレディとカノンを連れてスパに来たの。あむろんも泊まりたいなら支配人に部屋があいてるかどうか声掛けてあげましょうか。」
「遠慮します。沖野さんが来たホテル、という事で空室なんてもう無いでしょうし、キングルームや クィーンズルームに泊まれるほどの人間じゃ有りませんよ、僕は」
「へぇ………? クィーンズルームを良く知ってるわね? お得意の盗聴でもしていたの?」
「盗聴するも何も… タダの勘です。 君程の人が普通の部屋を取る筈はない。ファーストクラスの上にキングとクィーンとジャックルームがありますが、キングルームは男性向けの、クィーンズルームは女性向けのインテリアだと、宮野さんから聞いた事があったので。ジャックはスィートとほぼ同じレベルだとも。ホテルの公式サイトでも紹介してますし。 最も、ネット予約は不可となってましたが。」
「志保が? 確かに志保は私と一緒にクィーンズルームに泊まった事があるものね。このホテルは鈴木の資本は入って無いもの。」
「そこがお気に入りなのでは?」
「否定はしないわ。 」
巳恩はくすりと笑う
「時間があると云うのなら、寝惚け探偵を止めてくれたお礼に夕食位ならサービスするわよ。勿論、食後の珈琲付きで」
「…… 貴女が僕に?」
「たかがカフェの夕食と珈琲位って思ってる?」
「とんでもない。 アルテミスはケーキも食事も美味しいと定評が有りますし、珈琲はバリスタが、紅茶はティマイスターが現地まで赴いて買い付けると有名ですから、有り難くご馳走になります。 実は、何度か一般客としてこの店に来てランチやディナーを食べているんです。ここの珈琲は専門店に匹敵するんじゃないかと思いますよ。 個人的にはエスプレッソが絶品で僕にはまだ、真似ができません。ブレンドとブラックなら自信あるんですけどね、」
「あら、ありがと。私は珈琲は飲まないから味はわからないけど、喫茶店で毎日珈琲を淹れてる人に褒められたらオーナーとしては嬉しいわ。」
巳恩はにこりと笑う。
「あむろんー…… いえ、安室さんをご案内して差し上げて。私のカードで何でもお好きなものを。食事に合わせたお酒もね。」
「あ、すいませんが車なのでアルコールは、」
「ならばノンアルコールの物を。 エスプレッソがお好みなようだからご希望を伺って。 彼は、お食事が終わって、店を出るまで私のお客様よ。」
「はい、オーナー」
「じゃあ、後は任せるわね。私はスパに居るから、また事件が起こったら伝言をお願い。後で季節の果物盛り合わせとチーズケーキ、フルーツティを届けて頂戴。 スパから連絡を入れるから」
「食事ではなくケーキと果物で体が持ちますか?」
「体力勝負の手術があるわけじゃなし―… 好きなものを食べたい時にが一番の贅沢よ。 トマトソースを作って冷蔵庫にしまって来たの。でもケーキはホールで作っても食べきれないから」
「オーナーのトマトソースは絶品なんですよ。 アルテミスで出しているパスタのベースになってるトマトソースはオーナーが賄いに作ってくれたトマトソースなんですよ。賄いですからパスタやオムレツ、焼いたチキンとかに掛けるだけで見た目はとてもシンプルなんですが、スタッフに大人気でレシピに加えたものなんです。」
「へぇ…! ランチで食べたのはバジルと乾燥チーズフレークをのせただけのシンプルなトマトソースパスタでしたが、酸味と甘みが絶妙で病みつきになりましたよ。 確かランチのみの個数限定、しかも毎日の提供じゃないとかで。残念です」
「ふふっ ありがと。料理はあまり得意ではないけれど、トマトソースだけは自信があるのよ。実際、色々とアレンジが効くしね。 スイスにいた時もつい、作り過ぎちゃって、志保に何回笑われたか」
「志保さんに(そういえば赤井秀一が沖矢だった時にお隣への差し入れの言い訳に作り過ぎというのを言ってたが、血筋なのか?)」
「一人分で作っても使う材料なんてちょこっとだから中途半端に材料残すのも嫌だったから。」
「確かにそうですね。多めで作った方が味は安定します」
「でしょ?」
「ですがシンプルなものだけに手を抜けない―…。」
「喫茶店でバイトしてるだけあって良くわかってるわね」
降谷の言葉に巳恩は苦笑する
「と、いうわけでね。今、冷蔵庫にトマトソースがたっぷりあるの。チーズフレークはオーナー特権で少し分けて貰ってるのよ」
「なる程。 そう言われれば納得できます。できれば僕も教えて貰いたいですよ、この店のトマトソースとチーズフレークの配合を」
「それは企業秘密ですよ。配合を知るのはスイス本店のオーナーシェフだけでこの店にはフレークになったものが届くだけなので。」
「そ! だから私も知らないの。 聞こうとも思わないけど」
「残念です」
「でもね、一番のスパイスは <美味しくな〜れ> っていう名前のスパイスよ。」
「確かに最高のスパイスですね… 負けました」
降谷は降参だと言う代わりに両手を上げて苦笑する。
「それはそうとー…… この人はどうします?」
「ホテル警備員を呼んで、タクシーに放り込みなさい。」
床に座り込み呆けて居る小五郎を見て真面目な顔で答える巳恩
「ー… 居酒屋当たりに連れて行きましょうか?」
「任せるわ。でも、タクシーの運転手に迷惑がかからない様にね」
「ではそのように。」
スタッフがくすくす笑う
「さ、どうぞ、安室様。」
「ありがとう。 えっとー…… 有間先生。 悪戯はそこそこにしておいて下さい。」
「心得ているわ。」
降谷は本名で呼ばれなかった事が少しばかり残念だったが、カフェのスタッフの後に続く。
そして、沖野ヨーコに嫌われた、というショック状態の小五郎は警備スタッフのささえでタクシーに乗せられた。
そして下ろされたのは閑静な住宅街の一角。
隠れ家的な、公式サイトも作っていない、口コミだけで有名になっている料亭。
季節野菜や魚等を当日の仕入れの時価で料理を出す為、最初に5千円を前金で出し、余った分や足りな分は後精算という、政府の要人とかも通う隠れ高級料亭に連れて行かれた。
勿論、小五郎がその料亭に入るかどうかは分からなかったが、店を馬鹿にされた、と思った店舗のチーフがタクシーにここら辺に連れて行くように言ってくれ、と警備スタッフに耳打ちしたのだ。
降りた場所が門からして磨き抜かれ、暖簾をくぐってから更に30秒ほど歩いて門に着くような日本家屋的な場所だった為と偶々見送りに出た居酒屋の女将を見て、銀座あたりで1日で店のママにもなれそうな和服美人に見とれてにそのままの勢いで店に飛び込み、女将お任せお刺身盛り合わせと焼鳥、ビールや日本酒に合う肴をお任せで頼み、あびる程飲んだ。
そして深夜2時を回り、閉店だと言われて見事に酔っぱらった小五郎は財布を出して足りない分を払おうとして血の気が引いた。
ヨーコちゃんに会うからと、万一の為に見栄をはる為に諭吉さんを15枚程いれた財布がない。
ズボンのポケットの中に100円玉と1円玉が数枚。
綺麗なお姉ちゃんに渡す為に作った金の名刺も、身分証明書になる免許証も、スマホもなく、上着に隠して縫い付けてあったお札を取り出そうにも上着が無く、交番に付きだされた。
そして弁護士である英理に真夜中に電話をして、迎にきてもらおうとして雷を落とされた。
タクシーの運転手が小五郎の次の乗せた客がスマホとか現金をポケットに入れたまま忘れていったジャケットをバックシートに置きっぱなしのを見つけてくれたので、と、帰り道だからと名刺に書かれた探偵事務所まで電話を入れて、自宅謹慎処分中の蘭が受取、そこから母親に連絡が行き、大騒動になっているのだと説教された。
場所柄、NTTで問い合わせても連絡先を教えて貰えない高級料亭が点在し、一見の客は入れない店もある。
深夜を回っても撮影から帰ってもない父親を心配した蘭が母に相談し、英理が弁護士の権限で沖野の事務所に連絡を入れたものの、小五郎が喫茶店のオーナーに喧嘩を吹っ掛けてホテル編の1回目の撮影が半分以上オジャンになった、どうしてくれると反論されては会話も続かない。
一晩牢屋に入って為さい、と雷を落とされた。
警察にお金を借りて自宅に行くにも飲食の不足分支払いができない以上は帰れない。
幸い交番の巡査は毛利を知っていた為、鉄格子の中には入れず、仮眠室を使わせてくれたが、気の毒だとは思いますが、奥さんがきて支払いを済ませるまで帰せないと言われた。
踏んだり蹴ったりとはこの事だー… と、小五郎は思ったが、ヨーコちゃんの前で恰好付けて居丈高の態度だったのは事実だったので、迎えにきた英理と蘭の説教を甘んじて受けた。
「すまん! アルテミスのオーナーが有間巳恩で、つい、蘭の事が思い浮かんで理性がぶっ飛んだ。」
「お父さん! あれ程アルテミスに行くなって! ー…… あんな店、潰れればいいんだわ!TwitterにもSNSにもオーナーの正体は犯罪者って散々書いてるのに、私の被害妄想ってレスしてくるのよ! 片っ端からブロックしてるけど」
ジト目で睨む蘭。
「い、いや、あの小娘が何処かのカフェのオーナーってのは覚えてた! けど、ヨーコちゃんがカフェ・アルテミスのご贔屓ってのは忘れてたんだ!」
「だからって、アナタ! 東都郊外まで繰り出して居酒屋でヤケ酒ってどういう事なの! あの店は政財界の大物が息抜きにこっそり通う店なのよ!! ただでさえ、仕事が減ってきてるのに! 不足分が4万とか、お店にいる人達の分もはらおうとしたの?」
「すまん! ヨーコちゃんが蘭の事を―…ニュースで流れた程度に知ってたらしくて、誤魔化そうとして度が過ぎた。頭に来て喧嘩売って、つい、深酒しちまった」
「貴方―…!」
「解ってる! 蘭が悪いわけじゃねぇ! けど、飼ってる鷹を傷付けた事を認めてねぇのも事実だ。」
「あれは蘭が悪いんじゃないわ。 飼い主が悪いのよ。鷹は猛禽類なんだから動物園で飼うべきよ!」
「そうだな。だが、ー…ヨーコちゃんがゴロの事を引き合いに出した。 ゴロが傷付いて大怪我したらどう思うかー… ってな。」
「ゴロは飼いネコよ!家で飼ってるしトイレも躾けてるわ! 鷹なんかと一緒にしないで頂戴」
「ー…鷹もちゃんと、躾けていた。 足に鈴をつけて鷹匠が躾けた。 野生の鷹じゃない。人と暮らしているペットなんだ」
「で、でも!」
「飼いネコが野良猫と間違われて傷付いたらどう思うかー… 聞いてみろ、とヨーコちゃんに言われた。」
「ー… そんな事ある筈ないでしょ! 人見知りするから滅多な人には懐かないのよ!?」
「ー…だったらなお更だ。 首輪をしてるのに気が付かずー… 野良猫と思われたら。」
「そんな! あの子は外には出ないし!」
「あぁ。俺も蘭もー…忌々しいがあの探偵坊主もそれを知ってる。だが、知らない連中もいるだろう」
「兎も角! その金額はぼったくり! 食べた量が量みたいだから5000円… まぁ、1万位ならいいとして、前金以上請求するなら裁判にするわよ! 店に案内しなさい!」
「と、言ってもなぁ。 」
「いいこと! ウチには、今、高級居酒屋に行くような余裕は無いのよ! 仕事も減って来てるのに」
「ー…… ご免なさい。」
「あ。あぁ、蘭が悪いんじゃ無いわ。 蘭は正しい事をしたんだから。 殺人犯から子供達を守ろうと、蹴飛ばしただけで、犯罪者ー…怪我した方がバカなのよ。 それをー…… 日本警察もFBIもわからず屋ばかりで過剰防衛とか過剰切傷とかいうんだから」
「私… 間違ってないわよね?」
「勿論よ! 蘭は正義感の強い子よ。 空手連盟には毛利蘭の行為は子供達を護る為と、銃を突き付けられた為の自己防衛だと書類を準備中よ。 ママは法曹界の女王なんだから任せておきなさい」
「うん! そうよね!」
「英理? 蘭?」
「蘭が通える空手教室は私が探します。 今迄行ってた道場は男たちが弱いから、蘭に負けるのが嫌で事件をきっかけに追い出しただけよ! 表面上は何とでも出来るわ。 蘭の空手は、其処らの学生とは違うのよ」
「うん! そうだね! 私はー… 高校生チャンピヨンなんだから、勝って当然。」
「そうよ。 そしてオリンピックの空手で世界の選手を倒して、金メダルを取るの。 そうすれば皆、学校も空手連盟も手土産持って膝ついて謝りにくるわ。 金メダルを取るような選手が悪い事をする訳がない。 事実無根のニュースを真に受けた自分達が悪かった、ってね」
「お母さんー…! 大好き!」
「あ、こら! 運転中は危ないでしょ!」
「ご、御免なさい。」
「英理? お前ー… おかしいぞ?」
「何が? 私は法曹界の女王なのよ? 負ける勝負はしないわ。組織関係もFBI関係の事件も、蘭に対する裁判関係の申し立ては少年法とかフルに使って証拠不十分で却下させるように動いているから不自由させるけどもう少し待ってなさい。 学校の方も復学申請の書類を作っているわ。ー… 蘭は反省してます、モードで大人しくしてればいいの。 」
「うん!」
それこそ天使のような笑みを浮かべる蘭。
「ー… 復学はいいとして。 FBIとかは証拠物件があるだろう?」
「そんなの! 捏造に決まってるでしょ! 子供達の命と犯罪者。どっちを選ぶのかと聞けば子供達に決まってるわ。 子供達を守った蘭を責める前に犯罪者を逮捕できなかった自分達の不出来を反省すべきよ! 能無し連中は!」
「でしょでしょ!? 歩美ちゃん達、とても怖い思いをしたのよ? 世良さんだって撃たれて大怪我したし」
「本当にね。なのに一寸怪我させた位で書類送検なんてー… 明後日、弁護士会館に行く用があるからー… その時に書類一式持って行ってくるわね。」
「うん。ありがと!」
「貴方もよ。 父親なら父親らしく、堂々としてなさい!」
「わぁーったよ…」
頭の上で薬缶が湧かせるんじゃないか、という位怒り続ける英理。
(何かが狂ってきている―… 蘭も、英理も。 どうしてこんな事になった?)
小五郎は寝不足も相まってくあぁ、と大きな欠伸をした。
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