氷壁の姫 Act-21 躾
「だから! この金額はぼったくり商法だって言ってるでしょう! 正規の値段ならせいぜい1万前後の筈よっ!!」

ぎゃんぎゃんと門前で柳眉を逆立てて喚き立てる英理。
法曹の女王と呼ばれている英理が同行しているせいか、そうだとばかりに腕を組んで頷くのは小五郎。

「あのね、弁護士センセイ?  この店の仕入は魚は基本的に天然物。肉は放し飼いで育てた動物。卵だって放し飼いの鶏で、野菜も有機で。産地や農家の名前まで書ける物を仕入ているんです。仕入れ台帳も築地市場や太田市場、個人農家の領収書付きで保管してあるんですよ? 品書きは今日の産地のコピーを添えて出しているのを見なかったのか?」
「そんな説明書きあったか? 」

センセイ、という言葉には尊敬の"そ”の字も入ってない棒読みで、英理も気が付いて眉を吊り上げる

「だから何よ。」
「出汁につかう塩や砂糖、酒も日本中から数種類取り寄せてる。 それこそ昆布は北海道の羅臼や利尻、鰹節は枕崎とかね。寒天に至るまでほぼ日本産。 探偵サンが注文した中には、河豚の刺身や白子、大間の鮪の大トロもあったんだよ。 天麩羅はオリーブオイルで揚げてるから胃もたれしないし、使ってる粉も国産なんだ。まぁ、料理によっては外国のものと相性がいい食材もあるから海外産のもあるけどな」
「ー…」
「で、でも! だからといって4万なんて! お父さんは確かにのんべぇだけど其処まで際限なく飲んだりしないわ!」

蘭が力任せにダンっと門を叩く。
普通の高校生じゃない。
空手のチャンピオンが力任せに叩いたのだ。

ガシャンと派手な音が響いて硝子に罅が入り砕け、沓脱の棚に置かれた花瓶が落ちて割れて華が飛び散る。

「ー…料亭なのにこの玄関のドア建付けが悪いみたい。」
「本当ね。修理費用が足りなくて高額設定しているのなら裁判沙汰ね」
「ったく。 TVの特集とかは誇大で放映するから話半分と思ってたんだけど、アンタ、気に入らねぇ事あると力まかせに物を壊したり人を脅して大怪我させてるってのは本当の事らしいな。」
「な!! もとはと云えばぼったくり金額を請求している店が悪いのよ! 今迄どれだけのお客を泣かせているのか調べる価値はありそうね。 その上、娘に罪を擦り付けるつもり! どうしてくれるのよ、靴が水浸しじゃない! 高かったのよ、この靴ー といっても弁償なんてできないわよね。高級そうに見えて見かけだけなのかしら」
「あ、いや、英理。料理は確かに上手かったぞ。 それに中もそんな安っぽい席じゃ―…「貴方は黙ってなさいっ!」」

流石に小五郎が庇おうとしたが英理に言われて黙り込む

「出るトコに出て負けるのは弁護士センセイですよ? この店の常連には政財界の大物もいて、弁護士会館の総長とか警察署の署長とかもお忍びで一個人として来る店なんだ。警視庁のOGや一般人には近づきがたい危ない系のお兄さんもくるし銀座の一流といわれるクラブのママさんたちも海外セレブも来る。俺はしがない料理人だけどな。この店に務めるのは板前から座敷担当まで語学研修で英語の基礎会話は必須。 バイトの子も一流ホテルが主催しているマナー研修も必須できっちり資格を取らせているぜ。 調理人は消防署の緊急時対応の救命士とか火器取り扱い資格とかもな」
「ー…ぇ!」

弁護士会館、とか警察署と言われて英理は黙り込む。

「お、お母さん…」

蘭が怯えたように自分で割ったドアを見る

「どうする? 警察呼んでー…「お止め為さい、見苦しい!」」
「はい、止めまってー… ぇ 違うって!」

声をかけたのは髪を綺麗に夜会巻きのようにセットしてブラウスにスカートの上品な中年の女性とジーンズの上下を着ている腰まで届くような黒髪をなびかせた若い女性
「女将さんと、若女将? どうなさったんです? こんなに早く」
「ん、もう。 板長さんてば。若女将っていう呼び方はやめて。女将見習いを始めたばかりなんだから。今日の夜は宴会の予約が入ってるでしょう? 大広間のお花を変えるために早く来たの。お母様はお出しするメニューの確認。 柳橋の芸妓さんも来るからお土産のお弁当の仕込みも有るし。それに名前は出さなくてもお客様のお話も資格をひけらかすのもタブーでしょ!」
「すいません。 若女将ー…… もとい、優子さん」
「門前での大騒ぎなんて、ご近所に迷惑がかかりますよ! 貴方は板長なんだから、お昼から店を開ける料理やさんがある事位承知でしょう! 仕込みで忙しくなる時間を仔犬のようにぎゃんぎゃんと。イライラしながら作るお料理をお客様に出すつもりですか!」
「女将さん… 」
「何時も言ってるでしょう! この店では皆平等。 常連も一見さんでも手は抜かない。 食べて笑顔になって頂けるものを作れと。ぎすぎすした心で作っても美味しいものは作れませんよ。 作る前に裏の井戸で水を浴びて頭を冷やして、禊をしてらっしゃい!」
「仰る通りです。すいません。 つい、この弁護士センセイと小娘の会話にイラついて」
「門の所から会話は聞いてから云いたい事はわかります。 ですが板長の立場でノセされるのは感心しませんね。 猿のキーキー声に反応するなんて。」
「さ、猿、ですって!」
「優子、硝子屋の具成さんに連絡して直ぐ来てもらえるようにお願いしなさい。具成さんには昨日のうちに万一こんな事もあろうかと連絡してあります。」
「はい。直ぐに」
「それからー… これを」

女将と呼ばれた女性は娘がその場を離れてスマホを取り出すのを横目で見ながらバックの中から懐紙に包んだものを取り出して小五郎に向かって艶然と微笑むと手渡した。

「昨夜の状態からこんな事もあろうかと前金を包んでおきました。これで文句はないでしょう。お嬢さんが割った硝子の弁償も結構。ただし、弁護士権力を振り回すなら、硝子と花瓶の弁償金を警察に通報しますが、玄関の硝子だけで20万はすると心得なさい。 弁護士なら損得勘定位出来ますよね?」
「自分達のぼったくりを棚に上げて弁償しろというの!」
「この店は戦前から続く老舗。 仕事に疲れた人がゆっくりとする為にご先祖様が始めた店。 ですから仕入れも材料も厳選してます。 席も普通の店舗より広く、個室もあります。 一見のお客様のフロアもありますから、その方にはちゃんと最初に予算を伺うようにフロアスタッフに言い聞かせています。 飲んで騒いで喚くお客様もたまに来ますが硝子を割るようなお子さんや権力を笠に着る奥様連れで来るような人はおりません」

凛、として英理に向かう女将には一流の料亭を仕切っている貫禄がある。

「お母様。具成さんが1時間位で硝子持ってきて下さるって。建付けの確認ができる職人さんも連れて来て下さるそうよ。門から玄関までの砂利も来月取り替え予定だったら取り寄せ済だって言ってたわ。 次いでに持ってきて下さるって」
「良かった事。具成さんのトラックが何時でも出入りできるように裏を開けておきなさい。それから納戸から新しい花瓶をね。落ちた花が使えるならお化粧室にでも」
「お花なら任せて。幼稚園の頃から習ってた華道と茶道の師範免許は伊達じゃないもの。華市場のお花屋さんにも電話したわ。 大丈夫。 折れた枝を汚れをとればアレンジは幾らでもできるわ。 追加分はお昼頃になってしまうと言われたけど。」
「優子の生け花は料理の香りの邪魔をせず、かといって地味でもなく料理が来るまで目の保養だと、とても人気ですものね。任せましたよ」
「はい。では、 取り込み中申し訳ありませんが、私は仕事が有りますので失礼致します」

優子、と呼ばれた女性は小五郎達に笑顔を見せて頭を下げるとパタパタと奥の庭に向かう。

「ー…さて、と」

娘を見送った女性はすぅっと息を飲み、蘭の腕を引き寄せるとドンっと腹部に拳を叩き込む。
油断仕切っていた蘭はおもわずよろけて自分で壊した玄関から外に放りだされて倒れ込んだ
それは武道を学んだものだけが分かる技術で、女将が空手を学んだ事のあるー… しかもかなりの上位でおそらくは段位取得者ー… のだと本能で分かった。

「なっ! 娘に何をっ」

女将は英理の方に向き直ると間髪を入れずに英理と小五郎の頬を連打した。

「親ならばどのような子ー… ヤンチャでもじゃじゃ馬でも可愛い。それはわかりますが、悪い事をした子供を叱れないのは親失格です!」
「ー……」
「毛利蘭っ!」
「ぇ、あ、はいっ!」

ピシャリと呼ばれて腕を押さえながら起き上がった蘭は思わず姿勢を正す

「あなたが空手を習ったのは何故ですか」
「強くなりたかったから……」
「なんのために? 力を付けて、自分の言う事を聞かない彼氏を操る為? 強くなったら、逆らわないと?」
「そんな! 新一は推理小説オタクの推理馬鹿で、没頭すると周囲が見えなくなる場合があって! だから私が守らなきゃって」
「それだけ? 空手を始めたのは?」
「小さな頃、新一のご両親が海に連れてってくれて、その時であった人が、不良達に絡まれた新一を助けてくれたの。ー……目潰しで顔面1センチ位の寸止めかなぁ。不良達は逃げもどって、」
(あの時、とても格好良いお兄さんに見えて、私も強くなりたいと思った)
「なら、今、その時の立場だったらどうします?」
「勿論、不良どもをぶっ飛ばすわよ。 悪い事をしたんだもの、腕か足の骨なら1本位折っても、お母さんが何とかしてくれるもの。 今までだって、一度もお咎めなんて無かったんだから」

自分の空手は正義と位置付けている蘭は母親に向かってにこりと笑う。

「なら、その自慢の空手の蹴り、優子ー… 娘に当てられる?」
「いくら女将さんが空手を学んでたとしても、素人相手じゃつまらない。倒し甲斐が無いもの」
「犯罪者しか相手に出来ないと?」
「だって1分で怪我するもの。勝敗は分かり切っているわ」
「…… 大きく出るな。井の中の蛙って言葉知ってるか? 高校のチャンプ程度で自惚れるな」
「どういう意味よ!」

カッとなった蘭が板長に拳を繰り出そうとして、反対に女将にその腕を捕まれてたたらを踏んだ。
経絡を知りつくした抑え込みで腕に激痛が走る

「お、お母様? 封印なさった空手を使ってどう為さったの?」
「躾の出来ない親御さんの変わりにおせっかいをしただけですよ。」

大きい桐箱を裏からカートで引いてきた優子が目を丸くする

「ぇ?」
「制限時間は5分。物を壊すのは禁止。顔と心臓、喉への突きも禁止。高校生チャンピオンなら簡単な事でしょう?」
「私が勝つのは当たり前じゃない! 」
「私も優子も琉球空手を嗜みます。 貴女が勝てたら、全日本空手連盟に、再登録出来るように口添えしてあげます。」
「口添え?」
「空手連盟の理事はこの店のお得意様です。オリンピックの選考会の代表の方もね。毛利蘭がオリンピック強化選手として選ばれるかどうかは分かりませんが空手の世界に戻す位なら、私には容易い事ですよ」
「容易い? 空手連盟の理事達が常連って事?」
「弁護士のお母様が書類だなんだと紛争するより私が一声かけた方が早いのは確かです。 ただし、娘に当たらなかったら、武道の世界から足を抜いて貰いましょうか」
「なっ!?」
「娘に勝つ自信がないなら尻尾を巻いて帰りなさい?」
「いいわ。 その勝負、受けて立とうじゃない! 私が勝ったら、空手連盟に此の場で、電話して貰うわよ。」

蘭は頬に朱を散らして形を取る。

「はぁー… 困ったちゃんだこと。 …… 硝子の飛び散る場所で手合わせする気? 外に出なさい」

優子が諦めたように溜息を吐いて玄関を出る。

「全く。暫く身体動かして無いのよ。 宗家にばれて師弟の縁を切られたらお母様のせいですからね」
「力の使い方を知らない聞き分けの無い弟子を躾ると思いなさい。」
「はいはい。 ルールは急所への攻撃をしない、で良いの?」
「入院するほどのお怪我をさせたらダメですよ。湿布程度にね」
「もう! 久しぶりなんだから手加減何か出来ないわよ。」

話をしながらもポケットに入れてあったヘアピンで長い髪をあっという間に夜会巻きのようにして邪魔にならないようにまとめあげるとジャケットを母親に預けて手首のボタンを外すと腕を回して腰を捻るように回した。

「こっちがタイムキーパーすると不平等ね。 探偵さんにお願いするわ。 」
「お、俺?」
「どちらかが転ぶ迄、と言いたいけれど仕事があるの。5分で勝敗付かなかったら、黙って帰りなさい。結果に満足しないなら日を改めて ”遊んで” あげるわ」
「遊ぶ、ですって? 私はチャンピョンなのよ? その私に向かって大きく出たわね。」
「その台詞、そっくり還すわ。」

すぅー… っと深呼吸をして目を瞑ると自然体になる優子

「何時でもかかってらっしゃい、"おチビちゃん"」
「っ!」

おチビちゃんとけしかけられた蘭はカッとなって拳を繰り出すが優子は余裕で拳を受け止めてはじき返す。

(なっ!? 受け止めた? まさかー… 偶然だわ。 でも”おチビちゃん”ってー… 聞いた事がある…?)

蘭は一歩退いて顔を引き締めて再度拳を繰り出すがことごとく弾かれ外されて流されるが砂利の上にも関わらず足音が殆どしない身軽さだ

「その程度で高校生チャンプなの!本気を出さないならこちらからいくわよ!?」
「っ! 手、手加減してあげてるだけよっ! アンタなんかー…」
「そう? 手加減して貰って勝つなんて面白くないわね? 流したり受け止めるだけはつまらないのよ。」
(この人、強い! 初段は超えてる………? 足音が殆どしないなんて、どこの流派? こんなに強いのに私が知らないなんて、一体誰? でも、なら… 一撃必殺で蹴倒せばいい!)

蘭はするするっと数歩後に下がる。
だが、優子は気にも留めずにゆっくりと立ったままだ。

「優子さん! 駅前の花やさんから注文の件で電話があって、折り返しにしたんでー…」
「!!」

パタパタと、奥からスマホ片手に作務衣姿の板前が顔を見せる
(今だ!)

蘭は優子の意識がすっと切れたのをみて飛び上がると避け切れないような脚力で蹴りを繰り出した。
が、ドタン! 足をとられて派手な音を立てて庭に倒れたのは見事に避けられた蘭だったが負けん気の強さで跳ね起きて構えを取る。

「どちらから倒れたら終わりと云った筈だけど。」
「ま、負けた訳じゃないわ! そっちが除けてばっかで勝負になってないもの! 本試合なら無気力試合って云われてとっくに私の勝ちになってるわ」
「でもね、おチビちゃんの拳も蹴りも私に当たらなかった。今まで、一度も私に当てる事が出来なかった。 此が試合ならおチビちゃんの負け。」
「忘れた? そんなのー… アンタの言い訳じゃない! 私はアンタなんて知らないもの」

蘭は思いっきり容赦ない拳を連続で繰り出したが、優子は目を細めてバシっと受け止めて母親が蘭にしたような鋭い突きを鳩尾に叩き込むと足を膝をにかけて庭に叩き伏せた
母親は手加減をしたが優子は手加減をしない。

「ぐっ!!」
「ら、蘭っ!」

下腹を押さえて倒れ込む娘を抱き起す英理。

「探偵さん。判定は」
「あ、し、勝負あり! そっちのお嬢さんの勝ち、だ」
「違う! 私、は負けない。 いまのは偶然よ!」

顔を顰めてふらつきながら起き上がる。

「これ以上見苦しい真似をするなら、今日の事を警視庁と空手連盟に全て報告します。」
「ー…」
「目を醒ましなさい!」

優子はふらつきながらも目だけギラギラさせて対戦しようとしてくる蘭の顔面1センチ位の場所に掌を繰り出して止める

「(どうして! どうして当たらないの? 何故ー……? 京極さんの動きを真似して、負けた事無いのに! )」
「負けん気だけは変わって無いのね、毛利のおチビちゃん」

その言葉に、蘭は目を見開いた。
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