氷壁の姫 Act-22 記憶
空手を始めたばかりの頃―…
赤井のように強くなりたい、新一の助けが出来るような、悪戯されて困ってる人を助けるような人になりたいと思って通い出した道場で、人一倍おとなしい年上の少女。
どのクラスなのかわからないが、沢山の男性の中で数少ない女性の一人だが、始めたばかりなのか白帯だ。
黙々と立ち位置や蹴りの高さの基礎鍛錬を繰り返していた。
他の男子が師匠や年上と対戦してぎゃふんといわせたくて目立とう精神で勇み足をしている中、受け身や基礎の型を繰り返し繰り返し練習していた。

(音が殆どしないからきっと体の何処かが悪いか弱いんだ。 だから鍛える為に通ってる。)

幼い蘭はそう思っていた。
自分と同じ頃に始めた男の子に手が当たった、黒帯の師範の足に当たったと喜び、師範や年上のお兄さんに褒められてはきゃっきゃと無邪気に喜んだ。

(私は、あんな子よりも強い。)

けれど
自分達のクラスの後は師範以上が相意で認めた才能のある生徒対象の道場宗家の特別指導の時間と重なったある日。
自転車の鍵をテーブルに起きっぱなしでこっそり取りに戻った。
宗家のスケジュールで練習日が決まる為、他のクラスは振替か前倒しになる。
通っている子供たちの憧れのクラスで選抜された生徒は無償で指導を受けられる。
その授業は30分の基礎鍛練、水分補給を兼ねた10分の休憩、30分の個別鍛練と模擬試合と、師範同士の型の見学 ………
年齢に関係無く、道場の中でもエリート中のエリートクラスの鍛練の時間だったため、関係者外は出入禁止となりロッカーに通じる出入口も施錠される為に入れなかった。

(どうしよう… 自転車、置いて帰るしかないのかな…。)

諦めて帰ろうとして窓ガラスから独りで黙々と基礎を練習していた少女が年上の師範に稽古を付けて貰っているのを見て驚いた。
黙々と片隅で基礎鍛練を繰り返していた子供とは思えないスピードと切れ、技の正確さ。
同じ個人指導の少年と互角に打ち合うが、道場に居るのは全員が白帯だ。

「覗いてるのは誰だ!?」

蘭の視線に気づいた見慣れない男性が声を発して、一瞬だが鍛錬が停まる。
ビクン! と硬直した蘭に気づいた師範が宗家に声をかけて入り口にやってくる

「あ! ご、 ごめんなさい。」
「蘭ちゃん? 今日はキッズクラスの後は、宗家の特別鍛練レッスンだからロッカーは閉めるって言った筈だよ。興味があるのは分かるけど帰りなさい。」
「自転車の鍵、わ、忘れもの、して、ロッカーに行きたいの。 でも、鍵がー…」
「自転車で来たのかい?」
「うん。いつもの時間より早くなるのを忘れてて。今日はお父さん遅番でお母さんは打ち合わせが入ってて事務所にいっちゃってるから自転車で来たの」
「あらら。 夜ごはんは?」
「幼馴染のおうちで宿題しながら一緒に食べるの。 だから、早く着替えなきゃって。 鍛練が終るまで開かない ? 」
「大丈夫。 特別指導に重なる前のクラスは追い出されるから、たまに忘れ物する生徒がいるんだよ。 家の鍵とか帯とかね。宗家に話して、マスターキーを借りて開けてあげる。夜ごはんに間に合わなかったら大変だからね。それに自転車の鍵が無くなったら大変だ」
「うん! ありがとう」
「ちょっとだけ待ってて。宗家に鍛錬を抜ける許可を貰って来るから」
「はい」

勢いの有る声が響くドアを開けて、宗家に向かって礼をして小さく話しかける師範。
宗家、と呼ばれた壮年の男性はチラリ、と蘭をみる。
幼い乍、先が楽しみだと云われている蘭は、礼をする事もせずに自分を覚えろとばかりに宗家を見据えるが反対に鋭い視線で睨まれてビクンと首を竦める羽目になっただけだった。

「こら! 目礼でもいいから挨拶しなきゃダメだろう! 礼に始まり礼で終る。 鍛練の時間じゃ無くても宗家に向かって無礼だよ」
「痛っ …… ご、ごめんなさい…… 覚えて欲しくて」

コツン、と頭に拳骨をされて頭を押さえる

「まぁ。道場生が宗家に確実に会えるのは年始の稽古始め日位だからキッズが会う機会もないから仕方ないけどね。 ー…… あ、そうだ、蘭ちゃん?」
「なぁに?」
「優子の練習をいっつも呆れてみてただろ? 師匠たちに教えを乞わず、基礎の鍛錬ばっかで誰とも手合わないって。その優子が、宗家の鍛練クラスにいて驚いた?」
「ぅ… うん… でも、なんで白帯なの? 師範達も皆、白帯」
「それが優子と優子のお父さんとお母さんとの約束なんだ。ー…まずは基礎トレをみっちり。皆の前では技は見せない、目立たない。白帯なのは初心を忘れない為。 このクラスは2級以上だよ」
「見せない? 目立たない?」
「技に奢らるる事なかれ、というのが優子の父親の信条でね。基礎が身に着けば技は自然と身に付くからね。立ち位置、蹴りの高さ、腕の高さ。 力を入れる場所。 此の道場で、宗家が優子や他の子供に仕込んでるのは基礎の基礎で、間違うと腹筋や腕立て伏せのペナルティ。優子は猫の様に柔軟な身体と父親譲りの足音を殆どさせない独特の拳法を身につけているから立ち位置1つで力加減も変わる。」
「… わざにおごらるることなかれ…」
「自分が強いと技に溺れたらいつかは潰される。 力任せでは人の心は動かない。 だから、優子は人前では決して空手を使わない。 優子の祖父は琉球空手の第一人者で、宗家の親友でライバルなんだ。 ご両親も、琉球空手の有段者で俺なんかじゃ太刀打ちできない程強いけど、優子には親の贔屓と思われて天狗にしたくないからと、基礎以外は教えてないし家の敷地内になる祖父が持ってる道場での練習も夜中から明け方しか使わせない。 それを知った我らの宗家が日中の間の練習場を提供した。優子は猫の様にしなやかな身体で音は最小限だから弱いと思われて試合うと痛い目を見るよ。 それにあのクラスの指導師範は宗家指名のが選抜アシストだからミスを許されないから大変さ。」
「蘭も何時か入れる?」
「此の道場に所属する師範の8割が推薦して、宗家の前でのテストに受かり、宗家が認めたら入れるよ。師範が推薦しても宗家が落とす場合も多いから、おとされたら師範のクラスになるけどね。」
「ならどうやって強くなるの?」
「いったろ? 基礎を体に叩き込む。他の子供たちが振り向かない基礎鍛練をする。 そして師範たちの動きをみて何度も何度も繰り替えす。優子の正確な蹴りも突きもそうやって培ってきた。」
「つちかう?」
「覚えてきたって事だよ」
「ふうん?が」
「凄い子だよ。母親の実家は東都でも有名な料亭で優子はそこのお嬢さんなんだけね。」
「そう、なんだ。」
「空手で有名になる気は無いらしくて、先がめっちゃ楽しみなのに残念だよ。空手連盟主催の総合試合でも牛蒡抜きで最年少で入賞記録更新してるのに。」
「へんな子」
「ははっ! 蘭ちゃん位の子には難しい事だったね。」
「蘭はあんな子より強いもん! あの子と試合ったら、蘭が勝つもん!」
「そうやって天狗になっていたら何時になっても、見かけだけの強さで終るよ。」
「強いのが悪いの? (あのお兄さんは強かった。 不良を一発でやっつけた。)」
「蘭ちゃんは、ただ強いだけで終わって良いのかな? 」
「ぇ……」
「強くなるだけなら練習すればいいだけ。でも、優子は違う。強くなった先の先を考えてる。」
「さきのこと…?」
「人を痛めつけるだけでは本当の友人は出来ないよ。学生時代はこんなに小さいのに凄いのね、と褒められても大人になったら、天狗になっているだけだと陰口をたたかれるだけ。」
「蘭はそんな事しないもん。」
「なら、先ずは基礎の動きを100%正確に覚える事だね。 蘭ちゃん技を覚えるのは速い方だけどその分基礎の動きが雑になる。優子ですから宗家に基礎の正確度は7割程と言われてるんだ。 蘭ちゃんなら2割3割と一刀両断でいわれちゃうよ」
「にわり… 」
「まぁ。初めて半年も経ってないからで来てなくて当たり前。これからだよ、蘭ちゃんは」
「うん! がんばる!」
「よし! 頑張れ! ー また、来週な」
「はい!」

ポン!
と頭を撫ぜられて、蘭は笑顔を見せた


(まさか)

優子が蘭と同じ時間に鍛練してたのは僅かな日々だった。
白帯から順当に青帯クラスに挙がった時、中学生で黒帯で初段にまで進級して初級〜中級クラスのアシストにやって来た優子と顔合わす迄忘れていた。
自分は強いと自惚れが出てくる生徒を名前に“おチビちゃん”を付けて呼び徹底的に型を直し、自惚れをせずにに鍛練をする子は名前で呼んだ。
蘭は結局、最後まで“毛利のおチビちゃん”と呼ばれて、クラスでも強い生徒だったにも関わらず、一度も名前を呼ばれる事がなかった。
反対に自分より弱いけれど片隅で同じ型取りを繰り返して練習しても一向に上達をしない子を名前で呼んで基礎の型や呼吸法を丁寧に教え込んだ。

「まさか、優子先輩? 高校生で3段にまでなった、優子お姉さん!?」
「ふふっ やっと思い出したようね? 毛利のおチビちゃん」
「とっくに空手を辞めたと聞いてたのに」
「私は空手の世界チャンピオンになるのが夢じゃ無いもの。 身体を鍛える、という目標はあったけど、おチビちゃんと違って、強さをひけらかすのは本意では無いわ。でも、宗家には随分と可愛がって頂いて、大学生になって留学を期にあの道場を辞める時は、宗家臨席の総当たり試合をして下さったの。 」
「総当たり試合!? ー……(宗家臨席の試合の、あの噂? 稽古始めの時の様に師範達が東西で模範試合を見せるという……。 選抜されたら昇段も昇進も確実で。過去に数回、道場を去る生徒の為に、道場を午前中で閉めて、午後から集合できる有段者全員で送迎試合をして祝う事があるという。)」
「心当たりがあるようね」
「ー… 噂は、知ってる。 でも、空手を止める生徒に試合だなんて―… そんなはずは」
「まだ、自分の弱さに気づかないのね。 高校生チャンピオンと持て囃されて天狗になってる。」
「そんな、天狗になんて」
「現に私に拳も蹴りも当たらなかった。」
「それは、ち、調子が悪くて! 」
「そうやって言い訳するだけ弱いということよ。 表面上は強くなったけど、宗家が蘭ちゃんを個人指導クラスに加える事はなかったでしょ? 師範の個人クラスだったと聞いたわ」
「でも! 私は高校生チャンピオンになった。 宗家のクラスは一人も試合に出なかった!! 」
「宗家が鍛練するクラスは昇段試験を受けてるわ。 そしてね、高校総体より遥か上のチャンピオン達に稽古を付けて貰うのよ! おチビちゃんよりも遥かに強い。 自分の拳が人を傷つけない様に自制心を鍛えてる。おチビちゃんは自制が出来ない」
「そんな事! 」
「おチビちゃんの空手は人を守るためじゃ無い。 」
「違う! 私は!」
「力自慢したいなら、其処らでヤクザ相手のストリートファイターにでも成りなさい!! 」

ヒュッと、風を切るような音がして、蘭の首筋に蹴りが入るがコンマ数ミリの場所でピタリと止まった。

「な………っ」
「チャンピオンを自負するなら、避ける事も出来るでしょう! 本気で蹴ったら顎を砕くわ。私がお爺様から教えて貰ったのは戦闘力をそぐ正確な技。勿論、技と技のぶつかり合いもあるけれど、人を傷つけー… 一生車椅子生活になるような大怪我をさせるような事はしない」
「 ……(なんて正確な蹴り)   優子さんは怖いんでしょ! 戦う事が!」
「そうね。私は何処ぞの坊やのように事件に首を突っ込む趣味は無いもの」
「………」
「井の中の蛙で終わるといいわ。」

優子はゆっくりと呼吸を整える。

「自分の弱さを自覚しなければ上には進めない。回りがちやほやしてくれるのは怪我をしたくないからよ。 おチビちゃんは可愛いくて強い。 ただ、それだけよ。」
「ー… ちがう! 違うわ! 私はっ!! 新一は私のものだもの! 新一を護る為の空手は正義なんだからっ!」

蘭は怒りに任せて背を向けた優子に向かって拳を繰り出す。

「やめなさい、蘭!!」
「止めろ蘭!」

両親の制止の声とゴキ、という嫌な音が響いて、蘭は地面に叩きつけられて腹部を押さえた。

「全くもう。 離婚したという負い目で娘さんの躾は失敗したようですわね」

蘭を叩き落したのは女将。
数メートル後ろに滑って英理と小五郎の間にドシンとぶつかり英理と小五郎も反動で転ぶ

「あらま、反応の鈍いご両親だこと? 脾臓に突きを入れたたけです。 暫くは痛むけど入院が必要な程の怪我はさせてー… 力加減が分からなかったから骨に罅位は入ったかもしれませんけどー…。」
「ー… ぅ…」
「お嬢さんが犯罪者たちに負わせた怪我と比べたら軽症です。 探偵さんはもと警察官で柔道を嗜まれるらしいけど煙草とお酒で体の動きは鈍ってるようね。 これ以上店と娘に絡むなら容赦はしません。」
「…蘭は悪くないのに!」
「背を向けた人に向ける拳が正義ですか? 元は御主人の蒔いた種。自分で蒔いた種位自分で刈り取りなさい。 今ならお嬢さんが硝子を割った事は見て見ぬふりをしてあげます」
「覚えておきなさい。税務署にこの店を報告します。 抜き打ち監査に怯えるといいわ」
「英理!」
「どうぞご随意に。毎月会計士に見て貰ってますから、書類はいつでもお見せできると伝えて下さいな。何処ぞのドラマのように、裏帳簿なんて有りませんよ。」
「そう。 ー… 帰りますよ! 蘭、歩ける?」
「うん。 なんとか」

女将と優子のほぼ正論の言葉に英理は蘭を抱き起すと、脱げたパンプスを穿き直して唇を噛みしめて睨み付けて踵を返した。

「ねぇ、おちびちゃん?」
「なによ! 笑いたければ笑うといいわ!」
「それだけの空手の才能を持ってるのにとても残念ね。」
「ー……!」

優子は艶然と笑うと箒を持って、玄関に飛び散った硝子を隅に纏めだした。
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