氷壁の姫 Act-36 幽霊
くすくす、と笑う声に後部シートの助手席側助でタブレットを操作していた男性が視線を上げる。
「如何なさいました?巳恩様?」
「なんでもないわ。 今頃あむろんとかざみんが部屋の中で頭抱えているか、私の悪口でも云っているのかと思うと顔が見れないのが残念で。あの紅白饅頭を配りたくないとしたら自分で食べるか廃棄するしかないけれど、以外と目立つしね。 和菓子屋としては有名な老舗のだから美味しいし。レトルトのパスタソースはまぁ、1年の賞味期限はあるけど、いくら美味しくてもででででん!って段ボールでおいてあるのをみたら食傷気味になるわよね?」
グラスに入っているジュースを片手に機嫌よく笑う巳恩
「でしたらGPSかカメラでもお付けになれば宜しかったのでは?」
「そうねぇ… でも隠しカメラはフェアじゃないでしょう? 私は赤井や工藤新一のように隠しカメラやGPSで情報収集とかは好きじゃないのよ。 役に立つのは認めるけど。 公安の言葉じゃないけれど協力者は多い方が良いわね。 」
「…でも、それは志保を護るためにしてくれた事だわ! 赤井さんや工藤君に悪気があったわけではー…「恵美香」」
助手席で声を発したの恵美香、と呼ばれた女性は運転手の言葉に黙り込む。
「今だ ”教育中” のお前が公安沖縄支部のビジネスルーム設営メンバーに入れて、沖縄まで来れたのは巳恩様の御厚意だという事を忘れるな。」
「でも! …大く… いえ、赤井さんも工藤く…「恵美香!」っ」
「言葉に気を付けなさい。お前が生きてるのを知っているのは極秘事項なのよ。私は医者という立場上、命の尊さを知ってるけれど、お前をFBIか公安に差し出してジンが帰ってくるなら熨斗付けて引き渡すわ」
「なら引き渡せばいい―…ぅ」
チャキ、と後頭部に塊を感じて恵美香は黙り込む。
「巳恩様を始めお前を助けた方々への敬意を忘れるな、と教育を受けた筈だ。我々はお前が所属していた黒の組織とは違う。基本的に人の命を無闇に取ろうとは思わんが、巳恩様に逆らうならお前の臓器は移植される事になる。我々は巳恩様のお傍につかえる護衛のようなもの。 巳恩さまへの無礼な振る舞いをする輩には容赦はしない。沖縄でスキューバーダイビングをしに来たものの荒波に巻き込まれた死亡した観光客に仕立て上げる事もできる」
「… 死んだら、鑑識が原因を突き止めてくれるわ」
「そう思うか?」
「…」
「我らの手の者は日本中に散らばっている。FBIや公安ごときに見破る事はできはしない」
「まさか…」
「止めなさい。この車は青龍様から頂いたロールスロイスファントムなのよ。 血の匂いを付けないで。命が入らないというなら恵美香の臓器、角膜や腎臓とか… 移植を望んでいる人達に上げればいい事だわ。心臓は移植したものだから使えないけど。 ”朱雀”の医療技術で瀕死のお前を助けてあげた費用は残った臓器で贖わせるわ。 どちらにしてもお前の頸についているチョーカーにはGPSを埋め込んでいるから簡単に楽になれるとは思わない事ね。 それは特殊合金だからダイヤモンドのカッターを使ても簡単には外せないわ」
「!!」
「公安の協力者たちもそう。自ら進んで協力者になった連中は兎も角、脅されるように協力者になった人達の殆どは4ケタの数字で呼ばれる事に不満を持っていた。たとえそれが身を護る事だとわかっていてもね。 黒の組織の壊滅と同時に協力者の事も公にされてしまって問題視され、殆どの協力者達は解放された。数字で呼ぶ事で支配感を得て命令を下だすー…。パワハラ・セクハラも同然よ」
「大体、数字で呼ぶなんて可笑しいですよ。 ナチスドイツじゃないんですから。 我々はちゃんと名前を付けているのに。」
「ホロコーストの事? 確か収容所では数字で呼んでたのよね。収容した人や収容所で産まれた子の腕に数字の焼き印をいれてその番号で呼んでいたとか。 嘆かわしい事だわ」
「姫が欧羅巴好きなのは存じ上げてますが、ホロコーストに関しては随分の厳しい言い方でございますね」
「いかな私でも歴史的事実は曲げられない事だもの。 恵美香が白の組織から逃げたいならいつでも逃げればいいわ。 恵美香は手術を受けた場所を知らないから自白剤を投与されても言えないわ。 お前の夫は変装のデメリットを承知の上で組織外での生活を選んだけれど、組織の場所は知らない方がいいと云ったわ。知ってしまったら記憶に残ってしまうからと。 赤井とあむろんとかざみんは、私の勤務先を知ってるわ。勤務先と有間邸という事に限定したらFBIも警察連中もボウヤも角娘たちも知ってるわ。 京都の藤代の事も知っているかもしれないわね。 でも私にも藤代にも手出しは出来ないわ。 お前が元の名前に戻って赤井とヨリを戻したいなら好きになさい。」
「好きにしろと……」
「巳恩様が宜しければ我々は構いませんが酔狂も程々になさいませ。 我々の資産が支部の改装や学園都市の費用ごときで揺らぐ事はございませんが、四天王の方々が呆れかえっておられますよ」
「そうね。」
巳恩は苦笑する。
「ホテルに付いたら恵美香は好きになさい。米軍基地の将校に昼食会に来てほしいと招かれてるの」
「同行しなくてもいいと?」
「私はお前を沖縄につれてきたけど、信用も信頼もしてないわ。 輝がお前のコーディネーターとしてのセンスを褒めていたからスタッフにいれただけ。そんなお前を米軍基地に連れて行くと思うの?」
「輝さんが」
「東都の一部のエリアでしか生活できないのは可哀想だからと頼まれたの。 輝はそれなりに私に尽くしてくれている”草”なのよ? その”草”の頼みだもの。 上に立つものとしては聞かざるを得ないでしょう?」
「確かに輝の銃の腕はそれなりですし、元の仕事柄情報収集にも長けています」
「彼は拾いものだったわ。友人との縁もすっぱり切ってこちら側にきたんですものね」
「仰せの通り」
「私は米軍基地の将校に昼食会の後、そのまま基地を案内して頂いて、医療機関を見学して来るから帰りは夜中よ。時間があえば軍のヘリに試乗できるわ」
「昼食会ですのでスーツをホテルにご用意して御座いますが、ヘリに搭乗なさるならパンツスーツの御着替えもご用意させます」
「セミフォーマルなスーツであれば十分よ。試乗しても操縦する訳じゃないもの。 公安支部の改築で一部だけど軍の権力を使わせて貰ったのだからそれなりの見かえりを渡しながらのお食事がメインなんだから。ここら辺は昼食会での駆け引きね」
「承致しました」
「見返りに関しては玄武様がご用意して下さったと伺っておりますが。」
「情報に関しては玄武のユニットに勝てる人はいないもの。 探りやのバーボンと比べても月と鼈よ」
「たかが公安と玄武様を一緒にしては公安の方が可哀想でございますよ」
「違いないわ。」
「あの… ホテル内で主人と息子にお土産の買い物をしてもよろしいですか?」
「いいわよ。昼食と夕食は好きになさい。 ホテルで食べてもガイドマップをみて食べに行ってもいいわ。 観光しててもいい。」
「あの…?」
「今のお前は役立たずだもの。ファントムに乗れただけでも破格扱いよ。輝は仕事で時々同乗させているけど。 いいかげん恵美香も輝に相応しいパートナーになりなさい。 組織では妹の御蔭で下っ端のFランク。 ホワイトカラーでは夫の御蔭で協力者として生活ができているなんて甘えは許さないわ。 輝に不満はない筈よ。 お前に与えた猶予期間は時期に終わる。その後、離婚するならそれなりの生活基盤が必要よ。 輝の家にその儘居候なんて許さないわ」
「−… 分かってます。 輝さんは私には過ぎた夫です。」
「ならいいわ。コーディネーターならコーディネーターらしく、もっと世界中の建築物の本を見てスキルを磨きなさい。 3流商社のビジネスルーム程度なら兎も角、私のマンションのデザインはあちらこちらの貼り付けデザインでオリジナリティがなくて素材もお粗末すぎて使えなかったわ。あのマンションは家賃もそれなりに高いけど24時間セキュリティの高級マンションなのよ。共用ロビーも映画室もアンティークなだけでファッションの欠片も無かったわ。 なんとか合格をだせたのはジムフロアの受付位よ。 こんなんじゃいつまでたっても輝の足手まといで良い年をしながら扶養家族のままで終わるわよ」
「はい…」
恵美香は唇を噛みしめて小さく頷いた。
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