それは光に溶けた
溜まり溜まった涙が一気に流れた。ここ最近ずっと泣くことを忘れていたから、こんなにも気分がすっきりしたのは久しぶりだった。オビには感謝しないといけない。
けれど、オビを信じることにしたのはいいものの、やっぱり義両親達の存在を思うと心配なものは心配である。以前、上手くやれるからと言っていたけれど本当に大丈夫なのだろうか。まだ私には完全に安心して信じるのは難しかった。
「はい、お嬢様タオル替えて」
「ありがとうございます…」
目に当てられるタオルが冷たくて心地いい。顔中を真っ赤にして、目を腫らし鼻水をすする私はきっとロクな顔をしていない。もし仮に好きな人がいたのなら絶対に見せたくないし、見られたら死にたくなる程の恥ずかしさのはずだ。
「…オビ、側にいてくれてありがとう」
「なんの、お安い御用ですよ」
時間にしてどれくらいだろう。すっかりと夜も更けたにも拘らず、オビは私が泣き止むまでずっと隣で頭を撫でていてくれた。
「それよりさ、メイお嬢様はこれからどうしたいですか?」
「どうって…?」
「今後のあんたの人生」
突然振られたオビの問いかけを上手く飲み込めず小首を傾げる。これからの私の人生。私はライナー家で義両親達に使用人として扱われていて今までは苦しい日々だった。けれど、明日からはオビをここでの支えとして考えてもいいのだ。
「これからは、オビもいるしまた頑張ります…!」
「あれっ、ここでこのまま暮らしてていいんですかい?」
私の言葉にオビは面食らった顔をしてそう言った。そんな反応をされて今度は私が面食らう番だ。
「えっ?」
「だってメイお嬢様、しょっちゅう窓の外見てるじゃないですか」
「それはそうだけど…。ここを出るのは無理な話です」
このまま暮らしていく。私の脳裏にはその考えの他には何もなかった。ここを出ていこうとすれば、また誰かが犠牲になって私一人だけが戻されるのだから。
「そこで!そんな悩めるお嬢様にひとつ提案があります」
「…何ですか?」
不安げな私とは裏腹にオビの口角がニヤリと上がる。そして、彼は私の想像を絶することを言い放ったのだった。
*
今晩は夜空に浮かぶ月はなく、辺りは真っ暗ではっきりと物の形を捉えることはできない。足元には草木が覆い茂り、足を運ぶたびに衣服に擦れた。
「…ほ、本当に見つからないですよね」
「大丈夫。この時間はまだ誰もいないですよ」
「この道で本当に合ってますか?」
「安心してください。間違いないですよ」
重大なことをしてしまった。そう思っても時は既に遅く。私はオビに連れられて屋敷を飛び出していた。…それも窓から。
「こんなこと、お祖父様になんと謝れば…」
「いやもうお祖父様はいないでしょうが」
どう考えてもオビが飛ばされる未来しか見えないこの状況。私はつい先ほどの出来事を思い出していた。
――――
――
「メイお嬢様、俺とデートしましょう」
「えっ!デ、デートって…いつですか?」
思わぬ誘いに声が上ずる。何かの冗談かと思ってもオビの顔はいつも通りといえばそうだが、何処か違って見えた。
「そんなのこれからに決まってるじゃないですか」
「これから!?だめです!お義父様達に見つかりでもしたら終わりです!」
「つまり見つかりさえしなきゃ、メイお嬢様は俺のデートの誘いに乗ってくれるわけですね?」
―そうだけど、そうじゃない。そう言いたいのに、あまりの発言に返事の言葉が出てこなかった。口をぽかんと開けたままの私をオビは面白そうに覗き込む。
「大丈夫ですって!朝になる前にパッと行ってパッと帰ってきますから!」
――
――――
そう言ってオビは返事を待たずに私をひょいと横に抱き上げ、勢いよく窓を開け夜空へと飛び込み現在に至る。オビの身のこなしは軽く、確かに彼が言った通り私が思った以上に“上手くやれる”ように見えた。
「オビ、何処まで行くんですか?」
「んー、もうちょっとです」
オビは私の手を掴み、ずんずんと草木を掻き分け進んでいく。そこにはとりたてた会話はなく、手と手が触れるのはこれで2度目だ。以前よりむず痒さはなくなっていて、むしろどこか居心地がよかった。
「お嬢様、着きましたよ」
目が慣れてきてようやく辺りが見渡せるようになってきた。着いたのは少し拓けた空間で、ここが野山であることは分かったが、ここまで迷いなく歩みを進めてきたオビを見るとその夜目は実にたいしたものだと感心する。
「時間的にそろそろだと思うんですよ」
「何がです――…」
私の言葉は眩しい光によって飲み込まれた。視界に飛び込んできたのは澄んだ空気の中にある鮮やかなクラリネスの街並み。私は繋がれたままの右手に無意識のうちに力を込める。それに反応したオビがチラリとこちらを見ていることにも気付かずにいた。
「すごい…綺麗……」
「…ここね、冬の寒い朝ならたまにダイヤモンドダストも見られるそうですよ。」
「ダイヤモンドダストが?」
「そう。俺も人から聞いた話なんですけど是非とも本物を見てみたいもんですね」
なんて清々しい朝なんだろう。毎日の朝が来るのが億劫でしかなかった私にとってにわかに信じがたい気持ちだった。
「…オビ、また冬になったら連れてきてくれますか?」
「え?」
「一緒に見に来ましょう!ダイヤモンドダスト!」
それは自然と溢れた言葉だった。オビは琥珀色の瞳を大きく丸くしたが、すぐに私の手を優しく握り返して満面の笑みで頷いた。ここに来てよかったと、義両親たちのことを忘れていた私は心から思っていた。
「…ええ、約束ですよ。メイお嬢様。」
「はい!約束です!」
手を握りしめながらそう交わした私たち。その時のオビの顔にはとってつけた感じはどこにも見当たらなくて、信じて疑わなかった約束。
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